「しつけ」って、「家族」って何なんでしょうね。
10月1日、北海道南幌町の自宅で祖母(71)と母(47)を殺害したとして17歳の女子高校生が逮捕されました。女子高生は警察の取り調べに対して、2人を殺したことを認め、「しつけが厳しくて、今の状況から逃れたかった」と話しているそうです。
報道によれば、女子高生は、まじめで明るい子だったそうです。近々、生徒会長にもなる予定だったとか。なぜそんな子が殺人という手段を選んでしまったのでしょうか。
しつけ。身の回りでもよく聞く言葉です。
特に虐待死事件では、虐待、暴行をする加害者側がその動機、言い訳としてよく聞きますよね。泣きやまなかったから、挨拶できなかったから、あらゆる理由で暴力をふるい、「しつけのつもりだった」「しつけが行き過ぎてしまった」と。
今回は子どもの側が「厳しいしつけから逃れたかった」と母親と祖母を殺害しました。
17歳になる彼女にどんな「しつけ」がされていたのか、10月5日の時点では、詳細はよくわかっていません。ただ、彼女が6歳か7歳だった2004年に、彼女が虐待を受けているとして児童相談所に通報があったことがわかっています。そして指導措置がなされたことも。
少し前のことですが、思い出した事件があります。
2004年11月、茨城県水戸市でも当時19歳だった少年が両親を鉄アレイで殴って殺害するという事件が起きました。
裁判のなかで、彼は祖父への恨みが両親殺害の動機だったと話しています。
両親はともに教員で、帰ってくるのが遅く、少年を含む4人兄弟の面倒は祖父が見ていたそうです。祖父は礼儀作法に厳格で、叱られると少年は言葉を発せなくなるような恐ろしい存在だった。両親殺害の動機についても、もともとは祖父の殺害が一番の目的だったが、両親を殺したらやる気がうせてしまったのだと語っています。
裁判中、少年はあくびをしたり、まったく「反省の色」を見せませんでした。弁護側は精神鑑定を求めたり、離人症の可能性についても言及してます。
少年は被告人質問などで、「やったことは後悔していない」「八王子医療刑務所に送って欲しい」などと話していて、たとえ判決が無期懲役でも控訴はせず受け入れるつもりだと話していました。
水戸地裁は「祖父によって不適切な教育がなされたとまでは認められない」として、「身勝手な犯行」だと少年に無期懲役の判決を下しました。
少年がもっとも恨んでいたと話した祖父は裁判を傍聴し、こんなことを報道陣に語っています。
「(無期懲役は)厳しい判決とは思わない」
「(自分は)ふつうの教育をしたつもりだった」
「法廷で反省の言葉を聞かれなかった。まともな人間になってほしい」
デバ子はこの祖父の言葉に違和感を感じたんですよね。そして、裁判では少年の苦しさをきちんと聞き取ったのだろうか、「しつけ」が彼にどんな影響を与えたのか、「加害者が虐待の被害者でもある」という可能性について十分に考えたのか、と疑問に思いました。
家庭内でもっとも弱い立場にいる子どもが、どうして怒られると口もきけなくなるほどの恐怖を感じたのか。まだ19歳の彼がなぜ控訴もせず、無期懲役の判決を受けようと思ったのか。
少年は犯行後、ネットに「自分の地獄」という言葉を書き残しています。
文字どおり、家庭は彼にとって地獄だったのではないでしょうか。だとしたら、戻りたくないと考えるのも納得がいきます。
性的虐待についての勉強会に出た時、子どもは親への被害を警察や周りの人に話すことができないと聞きました。訴えるどころか、つらい、苦しい、と感じながらも、つらすぎて記憶を消してしまう子どももいます。現実の生活だけでなく、親を犯罪者として認識してはとても生きていけないからだと。
北海道の女子高生の言葉を聞いて本当に痛ましく感じたのは、虐待の被害を受けていたであろう彼女ですら、「しつけ」だと思っていたんだ、ということです。
つらい、耐えられない、と思っていても、自分が虐待を受けているとは受け止められなかったのではないか。この部分はあくまでもデバ子の推測で、詳細は今後の捜査と裁判を待たなければなりません。彼女には、凶器を捨てるのを手伝ったとされるお姉さんがいます。
家庭は外部からの目が届かない密室なので、加害者と被害者だけで目撃者が少ない、また目撃者も被害者であることが多いです。
裁判官には彼女の行為だけでなく、家庭が地獄であった可能性についても十分に考えて審理してほしいと強く思います。