長年、テレビディレクターとして映像の世界に生きてきた。
映像の持つわかりやすさ、力強さ、即時性…
ほぼそのままを映せるのは、
ひとに何かを伝える時には非常に便利なメディアでもある。
ただでさえわかりやすいのに、
昨今そこに敢えてかぶせるテロップ。
小さなことをわざわざ大きく見せる演出、
そうCMの後すぐ!のアレなんてその最たるもの。
説明過多でお腹いっぱい。
『わかりやすいものを病』に罹った作り手側、
とどのつまりは視聴者の理解力をナメているってこと。
ナメているし、『わかりやすく作ってやっている』感が滲み出るから、
テレビ離れが甚だしいのだ。
ある意味自業自得。
と、自分がやってきた反省も含め(笑)古巣をディスってみたが、
映像からエロが消えたのは、
このテレビのわかりやすくする為の説明過多と比例していると思う。
テレビが、匂わせる、想像させる、という手間を省き、わかりやすさにスイッチしていったのと時を同じくして、
AVも、余韻や想像喚起を排除し、どんどん直接的に短絡的になっていったように思える。
わたしが高校時代に初めてみたAVは設定もユニークで、
女性を喜ばせるという台本だったなと記憶しているが、昨今のそれ、
設定がマニアックになりエグさ増す実写。
嫌がる女たちは実は喜んでいるという、どれも同じオチ。
それだけでも飽き足らず、
アニメーションの手法をとったAVは、
もはやセックスというものを描いてはいない。
女性を人形的に扱った単なる暴力でしかない。
男が求める男目線のファンタジーに、
背筋が凍るばかりだ。
嫌な世の中ですなぁ。
いったい男は女をなんだって思っているんだろうな。
どんだけ男は女を支配していたいんだろうかな。
『俺は男だ。だから偉いのだ。ガハハハー』
時代錯誤だと信じて疑わなかったそんな台詞、
実は現代の日本男性のDNAに組み込まれているんだなと思わざるを得ない。
詩織さん事件の一連、
杉田水脈議員の生産性差別発言、
東京医大の女性受験者への差別、、、
あまりにも頻発、日常的すぎる女性差別。
こういうことをキッカケに身近な男たちも気を付けて見ていると、
ただ言動にしないだけで、
男尊女卑的思考を持っていることが続々発覚。
男はバカだよねーなんて言いながらも、
どこかめんこく(かわいいの北海道弁)、
興味深い存在として見ていた日本の男性からマジに距離を取りたくなっちゃうよなぁ。
「そんなこと言いながらも、浩子さんそれプレイでしょ。わざとそうやって、盛り上がりたいパターンでしょ?
嫌よ嫌よも好きのうち、だしねー。」
耳タコ台詞。
すみません。
そんな台詞を吐く男を作ってしまったこと、
わたしの責任です。
君とはもうセックスしないよ。
男社会で生き抜くために、
女であることを否定し男まがいで生きてきた時もあった。
男に負けたくないと、
女の悪口を言って結果男のように振る舞ったこともあった。
こんなに頑張ったのに、男社会で出世することもない現実を知った。
そしていつの間にか、
男をコントロールして男に手柄を取らせるような技術を身につけるようになった。
結局、男社会を、男尊女卑を容認していたのは自分だった。
他人は変わらない。
だから、自分が変わるしかない。
少しでもおかしいという事に声を上げていこう。
で、
嫌よ嫌よも好きのうち発言の男はすぐに切ろう(笑)