女性オンリーのイベント「GOLD FINGER」を1991年にスタート。現在は二丁目で、イベントと同じ名前のバーも経営しています。セクシャリティーはレズビアンです。実は特に隠す気がないから、カミングアウトをしたことがありません(というか、職業的に、むしろ「歩くカミングアウト」なのかもしれませんね)。と、簡単に自己紹介しましたが、一般的には、「はじめまして、私は男性が好きです」とか「こんにちは、僕Sなんです」なんて言わないですよね。LGBTってたくさんいるし、そろそろ言わなくてもいい世の中になってもいいんじゃないかと思います。私の場合聞かれもしませんが(笑)。
そう、私たちには性的指向をいちいち説明しないと、とても面倒になる局面がたくさんあるんです。レズビアンにとっては、中でも婦人科検診が困る。問診票の「性交渉の経験はありますか?」は、ストレートであることが大前提の質問。検診の内容を考えると、当然「男性器を膣に入れたことがありますか?」って意味ですよね。でも、ないってチェックを入れたら「大丈夫ですよ、痛くないようにしますから」って看護師さんが言ってくださって。でも、そんなの誰だって痛くないほうがいいに決まってますよね(笑)。
今回のテーマである「セックス」も、だからまずお断りしておきますが、私にとってのセックスには「男性器」「精子」は介在しません。「生殖行動」ではない、「愛と快楽のための」セックス。もしも、人間が繁殖のためだけに生きているのだとしたら、私に生きている意味はなくなってしまう。けれども、セクシャルマイノリティでなくても、何らかの病気で子孫を望めない人も、ポリシーとして子供を望まない人も、生きていることに変わりはありません。みんな普通に存在していて、恋をして、好きな人と一緒にいたい、愛を確かめ合いたい、快楽を得たいと思う気持ちを持っている。特に女性は精神的な部分と快楽が直結しているんじゃないかと思います。私も正直、若い頃に酔った勢いの快楽だけを追求したセックスもしたことがあります。もちろん刺激的だから、フィジカルなエクスタシーという意味では、これ以上のものはない、という経験も。けれど、そういうときって、スポーツみたいにスッキリ! ではあるけれど、心には何も残らない。アクシデントが生みだす気持ち良さでもあるから、同じ相手と同じ状況は二度とありえないですしね。勢いでするセックスが、最悪とまでは思わないけれど、ふたりの間に心の絆が出来てからのほうが、気持ちいいですね。
そういう意味でも、最高のセックスは、「途中でふたりとも、気持ちよく寝ちゃうこと」。出会ったばかりの頃、お互いを知りたくて、体を探り合って、ドキドキしている時間も楽しいですけれど。時が経って、関係を育てて深まって、安心できる相手と抱き合っているうちに、一緒に寝落ちてしまえるのって最高。セックスの最終形って「絶頂感」だけじゃないと思うんです。まあ、そういうことばかり続くと、パートナーには叱られちゃいますけど、セックスで叱られる関係って幸せなんじゃないかな。もちろん油断は禁物。長い付き合いになると、体が置き去りなってしまいがちだけれど、そこはふたりで追求していける関係を築きたいと思っています。それは、心が離れない大切な要素。体と心は表裏一体。体は心に正直に反応するし、心が体に左右されることもあります。
レズビアンとゲイには、少なくとも2015年の日本では、結婚という制度が適応されないから、法律上は、恋人が家族にはなり得ない。「制度が関係を守ってくれる」という意識がないから余計に考えてしまうのかも知れませんが、将来、家族になることができるようになったとしても、そこは同じ。子孫を残す、残さないにかからず、愛を確認するためのセックスは、必要不可欠。
ストレートでもレズビアンでもゲイでもバイセクシャルでもトランスジェンダーでも、そして、いくつになっても、体と心、両A面で楽しんだもの勝ちなんじゃないでしょうか。