去年の秋、浅草に熊手を買いにいった帰りの電車で、痴漢に遭った。
おそるおそる振り返ると、ハゲていて、太っていて、おまけに鼻毛まで飛び出したオヤジが、ぱちんと私にウインクした。
膝が震えた。こわいと思った。しかし、なぜこわいのかと考えると、分からなかった。
逃げるように途中駅で降りると、痴漢は私の腕を強く強くひっぱって「来い」と言った。私は、思わず着いていってしまった。
狭い個室トイレに入ると、痴漢は、なにかものすごいカードでも切るような顔で、チンコを取り出した。巨根だった。形は立派だが、全体的に色素が薄く、蒸した鶏肉のように生気がない。
「舐めてくれる?」
はい、と従う。めちゃくちゃに頬張って吸い上げる。
白い巨根は、見た目どおりの無味無臭で、まるでプラスチックでもしゃぶっているような感じだった。つまんないなあ、と思う。
もうどうにでもなれと、ファーストキスもくれてやった。ぶっちゅうう……という音はひたすら下品で、キスに対して抱いていた幻想が、一瞬のうちに砕けていった。ただいいこともあって、ずっと歯にはさまっていたカツオぶしの残骸が、スポンと取れて、痴漢の口腔に吸収されていった。
左手には、ど派手な熊手が握られたままだった。下町の職人さんが丹精込めてつくった、2万近くする上等な熊手。とても繊細なものなので、トイレの床なんかには置きたくなかった。「お客さん、きっといいことありますよ!」と笑って、三三四拍子をしてくれたお兄さんの笑顔が、罪悪感のむこうに霞んでいく。
ハァ、パパパン、パパパン、パパパン、パン。
ヨッ、パパパン、パパパン、パパパン、パン。
痴漢は果てた。やはり匂いのしない精液を、汚れた便壷に吐き出して。
なんてことない顔で痴漢と別れたあと、私は滝の用に汗をかいて、自宅のソファに倒れ込んだ。翌朝目覚めると、二日酔いよりももっと酷い頭痛で立ち上がれず、一日中吐いたり叫んだりした。救急車を呼びたいのに、視界がぼやけて、うまくダイヤルが押せない。
薄れゆく意識のなか、これは裁きだ、と思った。
それから数ヶ月、ずっとあの時感じた恐怖と、裁きの正体を探し続けた。
性被害に遭ってしまったこと。被害者である自分から逃げるため、ほとんど意地で相手役を演じてしまったこと。
色々な要素が浮かんだが、どれもしっくり来なかった。もっともっとグロテスクな答えが、きっとあるはず。
そしてこの間、ようやく答えを見つけた。
私を苦しめていたのは、あまりにも強烈な、父親への罪悪感だった。
私と父親には確執があり、もう16年近く、まともな会話をしていない。
根底にあるのは、幼少期に感じた、父親のホモフォビアだ。しかし今になって思えば、父親なりに隠そうとしてくれていたと思う。問題は、そんな彼の気遣いを見抜いてしまった私自身にある。
父親を拒絶する一方で、私はずっと、息子になりきれなかった自分を責め続けている。
もはや父親自身も望んでいないであろう、「完璧な息子」になるため、それを投影した「男らしい」男の子たちに自己投影して崇拝したり、わざと女言葉を使って、父親をもっともっと裏切ってやろう(だから叱って!)と足掻いてみたり。
痴漢は、こんな私を、家のなかから救い出そうとしてくれた、ある意味白馬の王子様だったのかもしれない。そう、だから着いていったんだ。
しかしキスをして、セックスをして、おとなになってしまうことは、私にとって恐怖でしかなかった。父親のこどもで無くなってしまうことに、耐えられなかった。
だってまだ、こどもとして、父親になにもしてやれていない。キャッチボールをしたり、並んでハイキングに出かけたり、こっそり女の子の話をしたり。
痴漢に遭ったあと、知り合いから「せめてイケメンだったらよかったのにね」と言われたが、あの日触れてきたのがトムクルーズでも、韓流スターでも、やはり同じように傷付いたと思う。いやもはや、恋人相手のセックスだったとしても、傷付いたんじゃないだろうか。
そう思っている自分を発見したとき、ばっかじゃないの、と脱力した。
だけど、どうしようもない。気付いたところで、変われない。
塔の上のラプンツェルは、どうやって塔から出たのだろう。
調べたら、長い髪を垂らして、そこから王子様を登らせたらしい。
首、もげちゃうでしょ。いやひょっとしたら、塔からの救済なんて幻想だ、ってことを言いたいんだろうか。
塔の外には、遥か地平線が続いている。それは朝も夜も、どんな季節のなかにおいても美しく、これを一生眺め続ける人生も悪くない、なんて思えてくるのだった。