年明け、ツイッター上で、学生服メーカーが作成したというポスターが話題になった。学校に貼られてあるのを見て、問題に思って投稿したということだった。そのポスターに書かれていた文言がこちら。
痴漢に気をつけて!
自分が「カワイイ」と思った短いスカートによって性犯罪を誘発してしまいます
自分だけでなく、仲間・友達のために出来ること
メーカーによれば、このポスターは2012年に作成されたもので、学校に掲示を呼びかけていたものなのだとか。このポスターを問題視したツイートは拡散されて、メーカーが謝罪文を出し、それを新聞が取り上げるにいたった。
「お詫びとご報告」(2019年1月15日)
「ポスターに不適切な表現 菅公学生服、批判を受けて回収」(朝日新聞2019年1月16日)
「ミニスカ「性犯罪誘う」に批判 菅公学生服が不適切表現を謝罪」(毎日新聞2019年1月16日)
HPに掲載されたお詫びの文を読むと、なぜみんながこのポスターを問題にしているのか、メーカーは分かっているのだろうかと心配になった。そして、「このような表現を目にされた方々に大変ご不快な思いをさせてしまったことを深くお詫び申し上げます」というお決まりの「ご不快メソッド」。
別に「ご不快」になったわけじゃない。誤った性暴力認識が見られること、それが当事者を守るためといいつつ、加害者を擁護し、被害者を追いつめて、むしろ目ざすところから遠ざかっていくから、怒っているのだ。表現だけの問題じゃない。その背後にある性暴力やジェンダー認識が表れたものだから、普段からこんな考え方で制服を作っていたのか、と思うから怒っている。「女性蔑視や軽視を意図するものではなく」というのも落胆ポイントだ。意図の問題じゃない、そもそもの認識を問うているんだ。
「仲間・友達のために」も、よく分からない。友達に、「そのスカート、短すぎない? 痴漢を誘発するよ」と言ってあげましょう、とでもいうのだろうか。自分の短いスカートが男性の性欲(!)を刺激して、それによってあなた以外の女性が狙われてしまうかもしれないんですよ、とでも?(驚くべき事に、こういう考え方で、女性の服装を非難する男性がいるのである!)
だいたい、誘発って何? 被害者が被害当時にミニスカートをはいていたという外形的な事実と、外部の者が加害原因を服装に求めること、加害者の動機・原因を探ることは、全く違うことだ。
痴漢と被害者の服装は関係ないというのは、これまでの調査で出ているでしょう、と言いたい。最近発表された、2018年9月に関東圏の男女約1万2千人(15〜49歳)を対象に実施されたインターネット調査結果でも、「制服のスカート丈を長くしても、痴漢被害を防ぐことはできない」と結論づけられている。
この結果を見ても、さりとて驚かなかった。女性たちがずっと言い続けてきたことが数字として示されているだけだともいえるから。
ただ、電車の中の痴漢被害は、地域によって差があるということは付け加えておきたい。首都圏で把握されている電車内痴漢事案の発生数は、やはり多い。
地方に住む「若い女性」から、自分に痴漢被害経験がないと言ったら女としての魅力がないからだと、被害に遭った方がいいかのような言い方をされた、おかしいと思うし悔しい、というメールを貰うことがたびたびある。首都圏の被害状況を地方にも当てはめて、女性の大半は痴漢に遭うらしいという情報を元に、被害の有無を聞き出すというプライバシーの侵害を行った上に、性被害の遭いやすさを女性の魅力の問題にすり替えて被害性を矮小化して加害者を免責しつつ、被害に遭ったことがないという女性を、性的魅力がない女性だとして、貶める。こうした痴漢を巡って行われる貶めも性暴力の一種だから、実際に電車内で痴漢被害に遭ってはいなくても、痴漢被害を受けているといってもいいと思う。
もう一つ付け加えるならば、「痴漢」という行為や人の定義は、結構あいまいだ。性犯罪全般を痴漢と呼ぶことも珍しくないし、番号通知が一般的になった今では少なくなったと思うが、昔は、「声の痴漢」というヤツもあったのだ。高校生の頃、帰宅するのを待ってかどうかは知らないが、わたし以外に誰も家にいない時間に、電話がかかり受話器を取ると、男の荒い息づかい(!)が聞こえるというのがしょっちゅうあった。そういえば、ひとり暮らしをしている頃にも、そういう電話がよくかかってきた。親と職場の人しか電話番号を知らない時でも、帰宅した頃を狙ったかのようにかかってくる。お父さん何してんの!なわけがなく、職場の人間であることは明白だった。ちなみにその職場とは……。
メーカーは、HPのお詫びに、こう書いている。
「生徒の皆さんを守りたい」という想いで行ってきた活動が、このような結果になってしまったことを深く反省しております。
ここにもマモルくんがいた。どうか、炎上したという「結果」をお詫びするのではなく、この結果に至った、性暴力、ジェンダー認識に問題があることに「想い」をはせて欲しい。むしろ、その「想い」こそが、事実を見誤り、当事者に負担を負わせ、加害者を擁護しているのかもしれないことに、「想い」をはせて欲しい。