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◇加害者には二次加害を抑制する義務がある◇
本来であれば中居正広は、記者会見を開き、説明責任を果たし、ファンに二次加害をしないように呼びかける義務があった。ところが彼は、引退発表する声明文の中ですらファンとの絆を強調した。こうした振る舞いは示威効果を発揮し、被害者非難を促すような目配せとして機能する。そしてファンはそうした要請に呼応するように彼を擁護する発信を繰り返している。
そんな中、中居正広のファンクラブが2月19日に解散するというニュースを受けて諸々の懸念がよぎる。「2月19日」は彼にとって様々な意味を持つ特別な日とのことだが、このように、彼は未だに被害者ではなくファン(自分に利益をもたらす存在)の方を向いている。こうした「想い出深い」去り方は神格化を促進させかねない。
解散後、アタッチメント対象を失ったファンの混乱や怒りは、やっとのことで名誉を回復させようともがく被害者の脚を引っ張りかねない。それは何としても防ぎたいので今回はファンについて考察する。私自身、自分の心理状態や行動パターンについてよく知らない人に分析されるのは苦痛だし、このように直面化を強いる類の分析は本来最低限にすべきだと認識しているが、今回は必要性を感じたので例外的に試みる。
論点が多岐に渡るため、2回に分けて更新する。
◇女性ファンによる加害者擁護◇
今回の一連の報道は、男性アイドルグループという特質から、通常の性暴力報道で出現するような、男性が男性を擁護する「ヒムパシー」による二次加害だけでなく、女性ファンによる被害者非難もかなりのボリュームを占めている。
性暴力報道に二次加害は必ずと言っていいほど起きるが(それは言うまでもなく社会教育の不足から起きることで、どれひとつ正当化されない)、多くは男性による加害者擁護だ。しかし今回は、女性ファンによる加害者擁護が圧倒的な火力で被害者を攻撃している。ファンの中には、長年のファンであったが性暴力は許せないのでファンを降りたファンもいるが、ジュニア時代からのファンで何が何でも中居正広の味方をしたい母性型や、彼がいないと生きていけない共依存型があるように感じた。これらは振り落とされないことに価値を置く一蓮托生型なのが特徴だ。
◇ジャニーズと家父長制◇
「母性型」に関しては、いわゆる「男児ママ(自分の息子の加害行為を庇ったり、「男の子はヤンチャだから」とミソジニーを積極的に助長/肯定/イネイブリングする母親)」に似た香りを放つ投稿が多く見られた。「#中居くんを守りたい」というハッシュタグと共に、加害者の人格的優越性を讃美するコメントと、「我が身より大事な中居正広」の安否を懸念するコメントが、多少の風ではびくともしないような強い信念で吐露されている。彼女たちの言葉の端々には不気味な母性や庇護欲を感じる。ジャニーズというのは、ジャニー喜多川のおもちゃをファンが消費する、そういうシステムで利益をあげる組織だと私個人は解釈しているが、そのサイクルがある以上、ファンも胴元(=ジャニー喜多川)との価値観の同一化を避けられないのではないか。
この層のファンは、男児ママ同様に、男を絶対的に肯定し、男の無能化をイネイブリングする性質を持つ。例えば、家庭内で性虐待が起きたとき、被害者である娘の味方をせずに、加害者である夫や息子の肩を持つ母親はとても多い。それと同様に、彼女たちは家父長制というイデオロギーの中で支配者に同一化し、女性蔑視を内面化していく。
なにしろ私の母親もこの類だ。暴力まみれの家で育った私は、加害者である夫や息子を庇って被害者の私を嘘つき扱いする母親の二次加害に随分苦しんだが、様々な本を読んだり学会に出席する中で、彼女が極端な人格異常者なのではなく、家父長制が男性の名誉を最優先する序列を決定づけているのだと理解するに至った(構造の問題を理解することと彼女を許すことはまた別の話であり、私の葛藤は現在進行中であるが)。
◇内面化された女性蔑視(Internalized Misogyny)◇
例えばセクハラ被害を訴える女性に対して、「そのくらい大したことないわよ」「我慢しなさい」「あなたに問題がある」「私はセクハラなんてされたことない、あなたがおかしいだけ」と被害者非難をする女性が一定数いる。
こうした非共感的な態度は「内面化された女性蔑視(Internalized Misogyny/Sexism)」と呼ばれるもの。男性社会が育成した「女性を差別する女性」だ。ミソジニー社会に生まれた女性たちは、男性優位社会への適応を強いられる過程で、家父長的価値観や役割期待の内面化を余儀なくされて行く。このように、男性社会によって女の敵となるように育成された女性たちは、自分自身だけでなく他の女性に対しても抑圧を強いるようになる。この現象は、社会が男性優位であればあるほど顕著になる。
◇ジャニーズタレントとファンの疑似的な母・息子関係◇
元・光GENJIの木山将吾氏の証言によると、故・ジャニー喜多川は、お気に入りの少年を赤ん坊のように扱い、一緒にお風呂に入って少年の身体を丹念に洗い、食事の際も食べ物を口に運び少年には箸を持たせることすらさせなかったという。
そして、性的に搾取する。こうした虐待に耐えた少年はデビューを約束されたという。
デビュー前にジャニー喜多川の飼育欲によってシーズニング(味つけ)されたタレントを、デビュー後は女性ファンが成長過程を見守る形で応援する。まるで母親のように。
Twitterで話題になっていて知ったのだが、中居正広のホームページは赤ちゃん用のスタイをつけた中居正広のイラストで飾られている。
彼は52歳になっても、幼児的なイメージを前面に打ち出したブランディングを続けているのだ。
少年性を商品化する起業の搾取精神を女性ファンも模倣することで、男性タレントの心理的な成長拒否は正当化され続けてきたのだろう。
若い頃の、SMAPが「わちゃわちゃ」する様子を懐かしむファンも多い。少年たちが無邪気にじゃれ合う姿、その無防備さに庇護欲を刺激されるのだ。
◇家父長制は大きな赤ちゃん製造システム◇
家父長制社会には、精神的に成熟することを免除されてきた男性の幼児性を女性の母性愛に補完させることで関係が共依存化する悪循環があるが、中居正広とファンの関係性もこれに該当すると言えるだろう。
中居正広は子どもっぽい言動やキャラクターを演じつつファンの庇護欲を刺激し、ファンは「守るべき対象」があることで、推し活に費やす自己犠牲を正当化し、共依存を深めていく。
さらには、無垢な少年性を売りにしているため、性暴力が報じられても、「彼がそんなことをするはずがない」「むしろ被害女性のほうが嘘をついている」 という認知の歪みを生じさせやすい。
ファンの言動は、中居正広を庇い、擁護しているように見えて、実際には中居正広をSpoil(男性を甘やかすことで、男性から成長の機会を奪い、男性を無能化するという意味)している。つまり、今ファンがしている中居正広擁護は、結果的には中居正広の利益にすらならない行為なのだ。ところが、このタイプのファンには、「あの男は性加害者だ」と言っても通じない。彼を信じることが自分自身のアイデンティティになってしまっている以上、彼を疑うことは自己否定にも直結するからだ。共依存関係にあるファンは「中居正広が否定される=自分が否定される」と感じ、客観的判断ができなくなる。
ではどうしたらいいのか――
次回(後編)では、家父長制の象徴としてのジャニーズと、ファンの洗脳や集団幻想がどのように成立・維持されるか、もう少し踏み込んでみたい。
ニュースを追い過ぎて疲れてる人も多いと思う。自分の被害経験に関連するニュースは特に、情報と距離を取ることが難しくなるし、代理受傷も深くなる。性暴力のニュースは、その他すべてのサバイバーの人権にも関わる問題だし、自分の人権の行方が見えない状態はとても苦しい。サバイバーが孤立しない社会の在り方を引き続き考えていきたい。