一人一台端末を用いた悩みごと相談の利用が広がっている。当初は、教育委員会が作成した相談窓口アプリだけだった。悩みごとや困ったことがあれば、いつでも入力して、あるいは電話口で相談できる仕組みだ。匿名性を利用した悪質なSNSでの悩み相談を利用しての事件・事故に子どもたちを巻き込ませないためにも、安全・安心な公的な相談窓口を子どもたちに提供することは大事だ。保護者や教職員に話せない場合の相談先として、タブレットの利用は有効な手段の一つだろう。
ところが最近、更に一歩踏み込んだ相談ツールの導入が進んでいる。それは、一人一台端末を利用した、自殺予防に特化したものだ。見過ごされがちな子どもたちの自殺リスクを可視化して、自殺予防につなげるという。
確かに、日本の若者の自殺者数は深刻で、政府が2024年10月29日に閣議決定した自殺対策白書によると、2023年の小中高校生の自殺者数は513人(2022年は514人)と高止まりの傾向が続いている。日本は若者の死因のトップが自殺で、自殺が死因のトップなのはG7の中で日本だけ、しかも死亡率も高いらしい。若者の自殺予防は待ったなしの状況にあるのも事実だ。
自殺予防に特化したアプリを実際にどのように進めていくかというと、次のような手順になる。見過ごされがちな自殺リスクを可視化するために、まず生徒一人残らず全員に端末を使って回答させる(一次検査)。次に、一次検査で緊急度の高い回答があれば、教職員が該当生徒一人ひとりに更に詳しく丁寧な質問を実施する(二次検査)。その後、ケース会議やスクール・カウンセラー、スクール・ソーシャル・ワーカーにつなげる等の対応をするといった流れだ。
だが、一次検査を始める前に、端末設定等の事前準備が必要だ。最初に教職員と全校生徒を登録するところから始まる。生徒・教職員一人ひとりにIDとパスワードが必要なのもお約束。この登録業務もかなりの負担だ。夏休みや春休みなどの生徒の長期休業中に頑張って登録するしかない。本当に余計な仕事を増やしてくれたものだ。そして新学期が始まり、生徒に回答させようとすると、IDやパスワードの入力に思った以上の時間がかかり、日程の変更を余儀なくされることとなる。
何とかIDとパスワードの入力にこぎつけて、実際に生徒に回答させてみると、まず一次検査で全校生徒のうち九割を超える生徒の回答結果が「緊急性が高い」と判断された。一人を除いて残りの全員が「緊急性が高い」に該当するクラスもあった。これでは「見過ごされがちな自殺リスクを可視化」とは言えないだろう。「明日の天気は?」と聞かれ、「晴れか曇りか雨」と答えて、次の日に「天気の予想が当たった」と言っているようなものだ。
そんな九割を超える生徒に対して、一人ひとり丁寧に二次検査をする時間が今の学校現場のどこにあるというのか。7時間目まで授業のある学校が多い高校では、授業の終わりとともに勤務時間も終わるといった学校も少なくない。放課後に担任や副担任が二次検査をするにも無理がある。導入事例として、二次検査を保健室の養護教諭が実施するケースが紹介されていたが、各学校に一人か二人しかいない養護教諭が全校生徒の九割以上の生徒に二次検査を行うなど現実的ではないだろう。
しかも二次検査には、非常にデリケートな内容も含まれている。そもそもが「自殺予防」をうたっているため、自殺関連の質問は避けては通れない。希死念慮に関することや自傷行為の有無なども、質問項目にあるのだ。精神科医でも臨床心理士でもない一介の教職員がそんな繊細な質問をしてもいいのか。中途半端に二次検査したことにより、自殺のリスクを高める危険性はないのか甚だ疑問だ。質問をした後のフォローを十分に行えるとも思えない。二次検査をして更に「緊急性が高い」という結果になっても、すぐに心療内科等の医療機関につなげるのは難しい。予約して何ヶ月待ちの心療内科もあるのだから。
生徒が回答した情報はアプリを開発した大学の研究室に送信されて、データベース化され教職員間で情報共有される。開発した大学側には、居ながらにして全国の導入校からデータが集まってくる。そんなシステムになっているから、当然無料ではない。年間費用として一校につき数万円、生徒一人につき何百円かがかかる。
都道府県単位で導入しているところは、保護者負担なしで教育予算に組み込んで地方自治体がお金の負担をしているようだが、そんなお金があったらもっと他に有効な使い道があるのではないか。
少子化が進んで子どもの数が減っているのに、不登校の数は増え続けている今の学校現場。根本的な解決をせずに、対処療法だけしていても何の解決にもならない。
教職員が生徒一人ひとりと向き合う時間を充分に確保すること。授業の持ち時間数を減らし、一クラスの定数を四十人ではなく欧米並みの二十数人に減らすこと。ゆとりある学校現場にすることが、子どもたちがゆとりある学校生活を送ることにつながり、ひいては自殺予防につながるのではないだろうか。