たいへんご無沙汰しております。みなさまお元気でしょうか。
二年前に社長になってから、体ごと会社に向き合え、みたいな状態になってしまって、このコラムを書く頭がなくなってしまいました。
それでも経営に関すること以外で、日々漠然と考えていることを言葉にしたいな、という気持ちはあって、ときどき友人と話したり、SNSの投稿を見たり、本を斜め読みしたりして、それをまた周囲の人にしゃべることで、他人の言葉で何か言った気になっています。
それにしても「Ⅹ子」ってなによ。えっくすこ。語呂も悪いし、間抜けな感じ。子を付ければ女の名前って昭和かよ。裁かれているのが昭和の価値観だから仕方ないのか。
去年は松本で今年は中居、来年は長渕ですか。女を踏みつけにして威張ってた男たちが業界から追放されるのはいいことですね。でも世界はトランプ、プーチン、習近平で、マイノリティを排除することで成り立つ俺社会が堂々とのさばりそう。
あー戦争いやだー、若い男たちを洗脳して銃を持たせて人を殺させるなんて、ほんとくだらない。なにやってんの、なにやらせてんの人類。じゃあAIで、ってそういうことでもないでしょう。
もし世界中からすべての兵器が一瞬で消え失せたら、支配欲に侵されたあの権力者たちはどうなるんだろう。どうやって自分を保つんだろう。
年始が明けたところでインフルエンザにかかってしまい、5日間は人に会うな、となったので、これ幸いと手つかずだった小説を読むことにしました。ひさしぶりの星野智幸、『ひとでなし』(文藝春秋)という新刊です。
600ページを超える長編で、作家人生の集大成、と帯に謳ってあります。
でもソフトカバーなのね、2900円。これでも値段を抑えたんだな、と本屋なので、いろいろ推測します。20年前ならハードカバーで、2000円くらいで出せたのではないかしら。紙、インク、物流もろもろの高騰と、紙の本が売れなくなっている状況が反映されていると思われます。
読み始めてソフトでよかったと思いました。ぺたんと開くし、座ったりベッドに寝転んだりしながら読むのに置きやすい。
昭和40年7月13日という中森明菜と同じ誕生日の主人公の、小学生時代から現在(2024年)までが描かれます。
著者の略歴と呼応するような人生が続き、過去作にも登場した「女子サッカー」や「メキシコ」などの世界も織り交ぜながら、主人公のクィアな感覚を軸に、あり得たかもしれない世界が展開していきます。
冒頭で担任の先生から「架空日記」を書くことを勧められて、現実にはなかった世界を書きながら、過酷な子供時代を生き延びていきます。
そのうち大人になって、阪神淡路大震災は起こるけど地下鉄サリン事件は起こらない、9.11のテロは未然に防がれるけどリーマンショックは起きるなど、現実とは微妙に違う「現実」が描かれ、小説内では起きないけれど実際に起きた出来事は「架空日記」の中で描かれるという逆転現象が起きていきます。その仕掛けも面白いのですが、ゲイでもトランスでもない(もちろんただのノンケでもない)主人公を通して、何を(誰を)描きたかったのかが終盤になって焦点が合い、そのまま終焉を迎えるところにため息が出ました。
小説内の現実はハッピーエンドで、架空日記の結末は、今の戦争だらけの世界から破滅に向かう人類の未来が示唆されます。
ああ、私がいるのはこっちの世界なんだな~、とため息が出たわけです。
ずっと世界に歓迎されていない感覚を持っていた主人公は、その世界を破滅したいという欲望とせめぎ合っていて、けれど人を殺す側に回りたくはなくて、だったら、同じように破滅を望む者たちに殺されてしまおう、という結論を「架空日記」で出すのです。
それってどうよ、生きさせてーな、と怠惰な私はベッドに寝転びました。
ちょっとまって、じゃあ、プーチンは独占したいんじゃなくて世界を破滅させたがってるってこと? と短絡な私はすぐ現実を結び付けます。
あの人は自分をキングとした大帝国を築きたいんじゃないの? 自分が認めない者に人権はないし、民主主義なんて時間の無駄くらいにしか思ってなさそう。まあ、西欧諸国の価値観をぶっ潰したいという意味では同じようなもんか。
そうそうそう、とトランプと習近平が喜んで乗っかってきそうな世界観ではある。
自分の都合のいいように世界を書き換えたいだけで、自分たちが破滅させたいのは世界ではなさそう。
あーまとめて滅んでほしい。
あ、これか。そうお互いに思っているからいつまでたっても相容れない。相容れなくていいとさえ思っていて、隙あらば相手を殺してしまおうと考えている。
その自分の欲望に気づいているから、それを実行しないために、もう殺されてしまおう、と。でもそれは相手の思う壺なんかではなくて、人類はこれを乗り越えることはできないという絶望から来ているのだと、そういうことをこの主人公は言っていたのかもしれないです。
絶望と言えば20年くらい前に、「君は絶望したことないでしょ!」とある人を激怒させたことがあります。楽しく会話をしていたつもりの私は急展開でびっくりしましたが、彼の話をニヤニヤしながら聴いていた態度が彼の癇に障ったのだろうと今は思っています。
ニコニコのつもりだったけれど相手にはニヤニヤに見えたのだと思いたい。
あの頃、あの人は40代前半、今の私より若い、星野智幸と同世代。
若いときはよく年上の男性を怒らせていたので、その一環だとは思いますが、よくある「バカにしてんのか!」ではないバージョンだったのでよく覚えているのかもしれません。
違うか、「そうやってあなたは僕のことをバカにするけど」って言われながらも態度を変えなかったから、の爆弾でした。
けっきょく何のことかさっぱりわかりませんでしたが、あの人の絶望とは何だったんだろう、といまだに思い出します。