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TALK ABOUT THIS WORLD ドイツ編 神さまの授業

中沢あき2024.10.25

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ドイツの新学年は夏に始まる。夏休みのタイミングが州ごとで違うので、新学年の始まりもまたそれに合わせて違うのだが、だいたい8月の半ば頃から9月にかけて、新学期が始まり、入学、入園の子ども向けの必要な道具類の販売キャンペーンだったり、入学祝いのプレゼントのキャンペーンだったりが広告に踊る。

早いもので我が子も来年の小学校の入学を控え、市から入学手続きの説明が送られてきた。これも各市町村で違うのだが、うちの市では、住まいから距離の近い学校から2校を紹介され、それらの学校へ優先的に入学できるようになっている。うちは子どもの園の友だちも、近所の友だちも通うことになるであろうと兼ねてから予想と希望をしていた学校が紹介されたので、先日そこへ入学の申し込みに行ってきた。
ドイツは小学校から義務教育であるが、小学校は市の直営管轄のもの、キリスト教会やモンテッソーリ、シュタイナーといった思想の下に設立されている教育団体が運営するものと、各校で独自の教育方針や運営方針をもつものもあり、しかし一部の完全な私立学校運営のものを除いては基本的に市の傘下という形で学費も基本的に免除になる。我が家が希望したのは市営の小学校で、近所の友人の子どもたちが以前通っていた時から私もその子の担任を知っていたり、子どもと同じ幼稚園の卒業生が何人もいたりと馴染みのあるところだ。

この学校の場合、申込書の提出の際に、子どもも同伴し、子どもは15分程度、先生との面接の中で一般的な生育度に達しているかをみる、簡単なテストを受ける。といっても先生の質問に答えたり会話をしたり、またまっすぐ歩けるか、などの簡単な運動能力テストである。自分の子どもの頃の記憶など遥か彼方で、日本の公立小学校の入学前にそんなことをした覚えがないのだが、ドイツの公立の小学校ではこんな入学前テストがあるのか、とちょっと驚いた。

さて、もう一つ、驚きというか困惑というか、この日までの数日、我が家はちょっとした混乱にあった。原因はこの入学申込書の一項目である。申込書は2種類あって、一つは市に登録情報を提出するための一般的な情報を記載するもの、もう一つはこの学校に今後の要望なども含めて提出するものである。この学校に提出する申込書には、子どもがどの宗教に属するのか、洗礼の有無、そして小学校で実施されているカトリックかプロテスタントの授業に参加するかどうか、またはそれらに授業に参加しないかを選択する項目がある。

このカトリックかプロテスタントのキリスト教の授業というのは、ドイツの小中高等学校ほぼ全てに存在する。教会が運営する学校だけでなく、いわゆる市町村直轄の運営の学校でもこの授業の存在は必然である。例えばトルコ系やアラブ系などの移民が多いドイツ社会なので、学校によってはここにイスラム教の授業があったりすることもあるが基本はこの2つ。そしてイスラム教徒の家庭の子どもはもちろん、その他の理由でこの授業を受けないと子ども及び保護者が選択した場合、授業を受けない子どもたちのための別の授業と教室が割り当てられ、教師の指導の下で各種の社会的なまたは道徳的なテーマについて考え、話し合うような取り組みがある。

日本の小学校で道徳の授業を経験している私はこの「第三の授業」はいわゆる道徳倫理の授業なのだと思い込んでいた。で、我が子にはその授業を受けさせようと思っていたのだが、そこで相方と意見が分かれた。彼は子どもの頃に学校でカトリックの授業を受け、自身も一応洗礼を受けたカトリック教徒である(といっても、教会の礼拝に通ったり、聖書を開いたりする姿は一度も見たことがないが)。
だから自分と同じ経験を子どもにはさせたいし、そもそもドイツという国の習慣はキリスト教に基づいているのだから、歴史や習慣をこのクラスで学ぶことが大事だと言う。
さらに彼の指摘で気がついたが、申込書に記載された「第三の授業」は名前がない。「残りの子どもは別の教室に集められて、別の教師が対応する」という実に曖昧な、何をするのかよくわからない2、3行の文章の説明表現になっているのだった。
「本当に倫理の授業だったらそれでもいいけど、ただ集められて放置されるのなら、ちゃんと宗教の授業を受けさせるべきだ」と言い、さらにその後、学校の事務室に問い合わせた彼曰く、対応した学校秘書の話では「倫理の授業ではない」という。さらにその秘書の個人的な意見としては「この学校の授業はよく知らないけれど、私自身宗教については懐疑的だったけど、私の子どもは別のカトリックの小学校でカトリックの授業を受けたらとてもいい経験になったわ」とのこと。いや、でも、他の学校の授業の話をされてもさ、しかも個人的な意見なんて言われてもさ…。

しかし同じ学校に子どもを通わせていた、または通わせているママ友たちからの話では、ちゃんとその授業時間内で討論などをしながら皆で学んでいる、ということなので、私は混乱してしまった。結局その欄への記入はせずに申込書を持参し、約束の時間に学校へ提出に行った。指定の場所である事務室に行くと、例の秘書と校長が出迎えてくれ、我が子が別室で面接を受けている間、この「第三の授業」についての説明を聞いた。というより、秘書の子どもたちの体験を再び聞かされ、校長も「カトリックの授業だからといって、キリスト教を絶対に信じなさい、とか、そういう授業ではないんです」と一生懸命説明してくれるのだが、それは私もわかってるよ…。私が言いたいのはそうではなくてね。

私自身は日本でではあるが、小学校の時に友人に誘われて一時、プロテスタント教会の日曜礼拝に通っていたし、中学高校とキリスト教の学校に通い、毎朝礼拝に参加して聖書を読んだり讃美歌を歌ったりしていたので、キリスト教の文化に馴染みはあり、キリスト教そのものを否定する気はない。が、特に小学校という義務教育の最初の数年間に、一つの宗教の考えのもとで社会や世界の話を学んでいくというのは、いくら「ゴリゴリの宗教観を押し付けるわけではない、キリスト教の授業内でもイスラムや別の宗教についての話も学ぶよ」と言われても、やはり抵抗があるのだ。そうではなくて例えば、すべての宗教を一通り学べる授業や倫理の授業でいいじゃないか、と思う。
いくらドイツが歴史的にもそして伝統や習慣もキリスト教に基づいていると言われても、インクルーシブとかマルチカルチャーと言われている現代のドイツ社会で、そしてさらに言えば、宗教絡みの戦争にドイツも巻き込まれつつある現況においては、そう楽観的に子どもに一つの宗教に基づいた授業を受けさせたくないのだ。ましてや、我が子の幼稚園もそしてこの小学校も実のところ、生徒の半数近くはキリスト教以外の宗教や文化背景を持つ家庭の子どもたちである。

秘書に校長に相方も加わって私への「キリスト教の授業は危険なものじゃない」アピールの総攻撃に苦笑しながらも、私はこの上記の理由を述べた。なるべく落ち着いてにこやかに努めながら。そしてこう付け加えた。数年前までこの小学校に居た私の友人の子どもたちから「第三の授業がとてもおもしろくてよかった」と聞いたことも理由だと。

すると私と同世代かやや若いくらいの女性の校長がこう話し出した。自分はこの春、隣町のカトリックの小学校からこの学校に転任したばかりで(どうりで一昨年の説明会の時の校長先生の話とも顔ともなんか違うなとここで合点がいった…)、これまでの授業をどう運営していたのかがまだ把握しきれていないのだと。そして実のところ、この「第三の授業」の参加生徒数がキリスト教の授業よりも圧倒的に多く、指導師の負担がやや大きくなっていること、またその保護者たちの要望に応えた授業内容をどうしていくかも検討する必要性を感じていると。倫理や道徳という授業名をつけられないのは、その専門資格を持つ指導師がいない(ここにも人手不足が影響しているわけで)からで、その問題もどう今後解決していくか、検討しなければならないと思っていると。
「だからこれらの授業をどのように運営し、内容を発展させていくかはこれからなんです」

それだけ「第三の授業」に集まる生徒が多いということは、おそらく自身がキリスト教徒であってもキリスト教の授業を受けさせないと判断した保護者も割といる、ということだろう。まあ実際、私が話を聞いたママ友のケースはそれだしね。

入学直前でも、または一度選択した後、次年度にまた授業を変えることも可能だと言われ、ではもう一度時間をかけて検討します、と返した私たちだったけれど、申込書の記入は今日中にしてほしいという。その選択結果を市に報告するのだそうだ。ならば、と思った。
「では我が子の選択も『第三の授業』にして、市には、それだけ包括的な宗教や道徳の授業を望んでいる保護者が多いという現状を伝えたい。そして市全体で今後、この現状に対応できるような指導師の派遣などの対策を検討してほしい」と校長には伝え、我が子の申込書には、カトリックでもプロテスタントでもない、その「第三の授業」に印をつけて提出したのだった。

その数日後、公園で出会った件のママ友にその報告をした。そこの夫婦はそれぞれスペインとフランス出身で、彼女自身はカトリックの学校に通っていたという。けれども、我が子には「第三の授業」の選択をした。「だからと言って、教会と繋がりを断つわけじゃないのよ、入学のお祝いの礼拝には行かせたし、私が聖書を読んであげたりキリストについて説明をしてあげたりもする。でもね、今の世の中を見ていると、どれだけ宗教のことで揉め事が起きているか、納得できないことが多々あるでしょ。だから学校でこの授業を受けさせるというのはやっぱり抵抗があるの。」

全く同感だ。私も我が子が教会に行くのは構わないし、むしろ体験してほしいと思う。キリスト教文化の下のドイツの生活習慣も歴史も知るべきだと思う。けれども学校という義務教育の場で、一つの宗教観のもとで物事を見ていく時間を与えられるというのは、やはり違うと思うのだ。民主主義や公平性を謳うこの国で、例えばキリストの名前を冠した政党があったり、教会税というものがまだ存在していたり、それらへの参加が義務ではなくても、やはり私には納得できない部分がある。この学校での宗教の時間はまさにその一つだ。

ちょうどこの記事を一通り書き終わった日、偶然ラジオのニュースでまさにこの件の報道を聞いた。文化省の最新の発表では、ドイツの公立の小中高校で、10年前には授業への参加率がそれぞれ35%ほどだったカトリックとプロテスタントへの授業の参加率が徐々に連続して下がり続け、現在は25%と29%だという。代わりに、代替授業として行われる倫理のような授業への参加生徒数が増えていっているそうだ。つまりこれは全国的な傾向であるということであり、マルチカルチャーを謳う我が地区だけではないということ。ちなみにイスラム教の授業への参加数は0,7%と1%を切っているので、移民の増加云々という理由とは全く違う背景があるわけだ。

国民の思想に変化があることを国や行政は受け入れ、教育改革に臨むべきだと思う。この先の教育が、この社会の現実に沿った包括的なものになっていくようにと1人の親として願うけれども、なにせ人材不足の問題は教育現場でも年々大きくなるばかりで、きっとそれを理由に大きな改革はないのだろうなとも覚悟する。またはまさか今どきに?という「宗教(キリスト教)離れはいかん!」なんていう意見も「専門家」から出てきそうな気もするけど…。一般市民の考えと、政治や行政の現場が離れているのをまた感じた一件だった。



 ©︎ Aki Nakazawa

11月には我が子の大好きな、聖マルティンの行列というイベントがあります。貧しい人に自らの外套を与えたという、キリスト教の聖人である聖マルティンの逸話を祝うこの習わし。11月前半はドイツのあちこちの街で、子どもたちが手作りのランタンを持ち、歌を歌いながら列を作って歩きます。行列の後、暖かいココアやスパイスの入ったフルーツジュースなどと共に、ベックマンというパイプをくわえた人形のパンをもらうのですが、相方が子どもの頃は近所の家を訪ねてはお菓子をもらったのだとか。ハロウィンとちょっと似ていますね。我が子の幼稚園はキリスト教以外の宗教背景の子どもも、また親の出身国や言語がドイツ語以外の子どももたくさんいます。その見た目も様々な子どもたちがランタンを持ち、大きな声で聖マルティンの歌を歌い、スカーフを被ったムスリムのお母さんや保育士さんも一緒に楽しんでいる姿は、私には感動的ですらあり、初めて体験したときは考えさせられました。日々、多様性について感じることがあるこの国で、既存の文化や価値観もこうやってゆるく楽しく、変わっていけばいいのにと思います。そんなに簡単なことではないと言われるかもしれないけれども、問題を難しくするのも簡単にするのも、自分次第なのかもしれません。

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中沢あき

中沢あき(なかざわ・あき)

映像作家、キュレーターとして様々な映像関連の施設やイベントに携わる。2005年より在独。以降、ドイツ及び欧州の映画祭のアドバイザーやコーディネートなどを担当。また自らの作品制作や展示も行っている。その他、ドイツの日常生活や文化の紹介や執筆、翻訳なども手がけている。 

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