道徳より法教育こそ
虚偽の答弁をしてはいけない。公文書を改ざんしてはいけない。改ざんの動機を解明し説明し責任をとる立場にありながら「分かりゃ苦労しない」と居直らず、民主政におけるアカウンタビリティを果たす。セクハラ罪という罪はない、等と、人権侵害であるセクハラをあえて軽視しない、etc.…。子どもたちではなく、道徳教科化を推し進めた安倍政権こそ、真っ先に道徳教育というか研修を受けてほしい、いや責任をとってほしい…。
とはいえ、既に小学校では2018年度から道徳が教科としてスタートしている。中学校では来年度からである。小学校の道徳教材には驚き、困惑させられた。道徳教育より法教育を、という木村草太教授の指摘に頷く(「これは何かの冗談ですか?小学校「道徳教育」の驚きの実態」)。
教科書展示会へGO!
今まさに全国各地で中学校道徳教科書等教科書の展示会が行われている。文科省が定めているのは6月15日から30日間のわずか2週間に過ぎない。また、近隣というわけではない教科書センターにわざわざ行く時間をとることも難しい。ただし、自治体によっては若干長期にわたり展示会を開催したり、図書館などを臨時会場にしている場合もあるので、是非お住まいの自治体のホームページ等で確認して、赴いてほしい。
中学校道徳教科書の発行社は8社。それが各3学年分発行しており、8×3=24冊を読み通すことはなかなかヘビーな作業ではある。私も最寄りの図書館で4社分×3の12冊を斜め読みした段階だが、疲れた…。でも、是非チャレンジしてほしい。会場には、教育委員会あてに、意見や感想を寄せるメモ用紙が備え付けられている。子どもたちが「まだまし」な教育を受けられるように、率直な意見をガンガン寄せてほしい。
歴史的真実の隠ぺい
教科書を手に取ると、めまいがする箇所が多々ある。どんなところが、というのは、各自で確認するのが一番であるが、そんな時間はないかたのために、子どもと教科書全国ネット21の指摘が参考になろう。このたび、教科書ネットによる「中学校「特別の教科 道徳」教科書の全体的な特徴」、各社の教科書ごとの「2019年度用中学校道徳教科書分析」、「中学校「道徳」の教科書って?」をペーパーベースで入手した(以後、これらのペーパーでの知見は、「教科書ネット」とする)。たいへんな労作に頭が下がる。Webには、「談話」が公表されているが、是非上記各ペーパーも公表してほしい。出版も是非!と心より願う。
さて、ニッポンスゴイという日本礼賛(外国にルーツをもつ中学生もいるのに…)、社会の構造等の分析よりも自分の心がまえ次第が原因かのようにすること(これでは過労死寸前まで追い詰められても忍従せよとなるのでは)、自然科学や社会科学の到達点の無視(植民地の人に尽くしたよい人もいたetc.…日本教科書)、などなど、問題点をあげれば尽きない。
学校図書2年用の教科書が第二次世界大戦中ナチスドイツからの迫害を受けたユダヤ人を助けるためにビザを発行したリトアニア領事杉原千畝氏をとりあげた題材で、当時の日本がドイツと防共協定を結んでいることをあげて「ビザを出すのは難しい」と答える場面に検定意見がつき、他の社と同じように「数人分ならよいが、大勢の人たちに出すのは難しい」と修正された。当時の日本政府の責任を隠蔽する「改ざん」ではなかろうか。
「家族の一員として自覚をもって充実した家庭生活を築くこと」とは…
パラパラめくっていると、クラスの男女がもめている場面。男子が「だから女子っていやなんだよな。すぐ感情的になるから」とまんまステレオタイプ発言。「なんですか、その偏見丸出し」などと女子が切り返す…かと思いきや、「はっ」として反省…。なんなんですか、その展開…(東京書籍1年)。
日本教科書は、女性たちの縦の「生命の継承」を強調する題材がみられる。1年用には、「私」が母と祖母が加賀友禅の着物を箪笥にしまっているのを見て、いつか形見にほしいと母に言う。母は、着物の代わりに「私」にへその緒を見せ、大切なことは今日無事でいることだと諭し、祖母も同意する。家族を継承するのは女性の役割、女は脈々と子どもを産み育てよというアピールか。 日本教科書には、他にも、生命の継承は女性の役割というかのような題材がみられる(教科書ネット)。
日本教科書の2年生用は、母が明日は管理職への昇任のための面談があるというのに、祖母からその日の通院の付き添いを頼まれてしまうという題材がある。そこで母は父と言い合いをするが、父は仕事へ。母が管理職への昇任というキャリアアップを諦め、祖母の付き添いに出かける…。ってここから何を中学生に学ばせたいの?男より女が家庭のためにキャリアアップを諦めろとか?外出、通院の付き添いなんかも、外注できるのに、家族が引き受けるのが美談?
家庭内での介護の称揚は数社にみられる(介護されるのはおばあさんのような
…見逃していたらすみません。しかしなんか弱き者は女かよという印象が)。日本文教出版の1年生用では、祖母の介護を嫌がった自分を反省し、介護を担う。そのうち、祖母は元気に。何そのご都合主義的な展開…。介護を家庭内で担え、社会保障に頼るなという国策を背後に感じてしまう。
元凶は学習指導要領、さらには政治
残念ながら、これなら問題なし、という道徳教科書はなさそうではある…。なんのことはない、文科省が学習指導要領で事細かに、子どもたちに教え込むべき内容を規定してしまっており、教科書はそれに縛られるからである。教科書を斜め読みしていても、「あ、これは、学習指導要領のアノ徳目を植え付けようとしているな」とありありとわかる。
徳目ありき。率直に言うと、ものすごく退屈で、あくびがでる。これをいちいち素直に感動する中学生がいたら、大丈夫かとむしろ心配だ。要領のいい中学生なら、あくびをしながらでも、すらすら大人が期待する作文を書けるだろう。裏でこっそりお友だちをいじっていたりしていながらも。大人の建前に疑問をもち、反抗し、批判していく思春期に、要領のよさ、あるいは盲目的な従順さを培ってどうする。こんな教科の時間があったら、本や新聞を読み、たくさんの知見を培ってほしい。そのほうが、よほど健全な発達に資するというのに。
根本的に、道徳教育の教科化を推進した政治が問題なのだった。そんな政治を押しとどめなかったから。文科省のパブリックコメントにすかさず意見しなかったから。もう手に負えない。間に合わない。…と嘆息していてもしかたない。
せめて、展示会場へ。この教科書はいくらなんでもまずい!教科書にしばられず、自分で考える子どもになってほしい!等など、意見を寄せましょう。