車で2時間あまりの距離に一人で暮らす私の母T子さんは84歳。このGWに父の法事で帰省して、久しぶりに母と過ごす時間がありました。その後、娘として、長女として生きてきた私自身の母との関わりを再考・熟考中です。
今年1月に続き私の母娘葛藤第2弾です。
実は最近、母と話すとなんだか気分が悪い、なんだかムカつく、いいかげんに聞いて電話を切りたくなる。
前はそれほどでもなかったのに、う~ん、なんだろ、この感じ。やだなあ。
1~2週間に一度は電話して、ご機嫌うかがいというか、話し相手をしていたのですが、最近のT子さんは正直、ウザくて疲れます。ネチネチといつもの話を繰り返してなかなか終わろうとしない。わかっているけど、だんだん耐えられなくなってきている私の限界度の問題と思っていた。
でも近頃の母はやっぱりちょっと、いえ随分エスカレートしてる。それは確かだ・・・。
一人暮らしだし、友だちもずいぶん亡くなったし、話す相手もどんどんいなくなってるもの。確かに寂しいのはわかる。年のせいもあるしね。そうなると、これからますます強化されていくってことになる・・・(はぁ)。
そんなうんざり感を抱えつつ、妹たちには会いたいし、気が重いながらも出かけてきました。
父が逝って5年、母は「幸せなおひとりさまライフ」を満喫中、と以前のコラムに書きました。とはいえ、今は自分で自分の面倒をみて暮らせていますが、いつまでできることか。見た目は元気そうですが、このところ、自分でもそろそろ限界かな~、と気弱な言葉もでます。施設を探しておく必要がありそうです。
母には、長年自分を犠牲にして、父のため、家族のために生きてきたのだから、せめて残された時間は、誰にも遠慮しないで、自分のためにその生活を堪能してほしい、人生の埋め合わせをしてほしい。娘として心底願うところです。
母は元々クールな人です。きっと一人でも生きられたはずの人。
なのに、今更ですが、なんで父と別れなかったのか。苦労のあげく「これ以上はムリ。離婚して!」50歳を過ぎて、決意の宣告をしたのに、頭を下げて更生を誓う父、しがみつく父を振り払えなかったんですよねえ。
父は母の生活力や生きぬく底力を見抜いていたんだろうな。学歴とプライドだけは高い父は、母を見下しながらも、母の仏ごころに甘え、依存していたのでしょう。
結局母はそんな父の言葉を信じて見捨てられなかったし、父は母にしがみつくことで最後までわがままな人生のしりぬぐいを彼女にさせる人生だった。まさに共依存ですよね。
そんなあおりを食ったのが、子どもの私たちきょうだいです。父を甘やかすしかなかった母なのに、私たち子どもにはクールでした。
子どもなのに、あんまり子ども扱いされなかった感じかな。
おかげで、どの子も親のスネをかじれなかったひもじさはあったけど、独立独歩で自分の道をつかむ体力はつきましたね。
そんな母だったからこそ・・・どうしちゃったの、T子さん? になるのかも。
長年自己主張してこられなかったツケが、こんな形で出てきてるのかな。
些細なことにもこだわりが強くなって、どうでもいいと思えるようなことにも細かい指示がとんできたりする。お皿のふき方、食事の時にどの椅子に座るか、お風呂のお湯のはりかた、電源は切ったか、電気のスイッチをつけろ、消せとか。やめて、うるさいよ。ほっといてよ。久しぶりの実家なのに、居心地悪くて帰りたくなる。ちょっと遠慮がちに言ってるときも、目でチェックしてるのはわかるもの。(はぁ)
一人暮らしだから余計なのでしょう。自分のやりかたにこだわる、そうでないと気がすまない、言い出したら聞かない、引かない、人の話は聞こうとしない・・・以前はこんなじゃなかった・・・老いてきた証拠、誰でもそんなもの、ある程度は仕方ない、流そうとするのですが・・・。
頭ごなしに決めつけられると、自分のやり方を押しつけられると、その頑迷さにイラついてガックリきてしまう。
「しばらく連絡やめとこ、行くのもやめとこ」
結局のところ、距離をとるしかありません。
さて本題は、法事や墓参りをしたことで、母に向き合う自分の気持ちを整理せねばと思ったことです。
実際に母と共有できる時間は限られているし、それほど時間があるとも思えません。
だからといって一緒にいて耐えられるのは2日程度と気づいたのも改めてビックリ。
母を嫌いでもないし、自分が無理をしていた自覚はなかっただけに、やっぱり無理していた自分を認めるしかありません。
「今なら間に合う」そう思えて、なんだかホッとしています。
6人きょうだいの「第1子」で、「長女」であることは、私にとって、ずっと前から、そして今も、それが当たり前です。
いつからか、子どもなのにおとなの役割を引き受けていたのだとしたら、誰かにいわれたわけでもないのに、自ら「大将」のつもりで「私がやらなきゃ」「お手本にならなきゃ」「そう見せなきゃ」気づかないうちにそれが当たり前になって、それをプレッシャーとも思わずにいたのです・・・。
自分ではかわいそうな子どもだな、と思う反面、下のきょうだいにとっては目の上のコブでもあったかもしれません。なんせ、えらそうな大将がいるのですから。
複雑な気分です。
母は自分の終い支度はほぼ準備万全です。葬儀場はここ、とすでに予約ずみだし、お墓も心配ありません。ほんとにご立派。
そんな母をどう見送れるかな、私に残されているのはそこですね。
もう「長女」という過剰責任から卒業しよう。
自分でしょってきた、見えない「長女」のとらわれと呪縛をほどいて自由になろう。
私にとってその最も象徴的でわかりやすい形は、母を葬送するときだと思えます。
「やるだけのことをやらないと心残りになる、後悔するんじゃないか」
これまではそう思って陣頭指揮に立っていたし、それが当たり前でやり続けていたのです。自分の首をしめてると思いつつ、やめることができなかった。
その罪悪感こそが、過剰責任行動の落とし穴だって、わかっているはずなのに。
私以外に妹や弟たちもいるのに。
「もしかしたら、私がかれらの出番を邪魔してるのかもしれない・・・」
そう思えたら、なんだかやっと肩の荷がおろせそうな気がします。
「あなたたちに任せる」
その一言で、私は解放される気がします。