「最強官庁」のセクハラ問題
先月12日発売の週刊新潮が福田前財務次官のセクハラを報道してから1か月。批判を受け、前次官は辞任したが、何をどう批判していいかわからないほど多数の問題が噴出した(セクハラ以外にも、森友、加計、自衛隊日報、厚労省データ、どれをとっても政権が吹っ飛んでもおかしくないことが日々明らかになっている…!)。
大体、前次官は、録音が発表されてからも、「全体を見ればセクハラではない」との強弁を撤回しなかった。辞めたのは、「職責を果たすのが困難な状況になっている」というもので、セクハラ行為をした責任からではない。財務省が報道各社にセクハラ被害にあった女性記者がいれば、調査を委託した法律事務所に連絡するよう求めた調査手法にも批判が上がった。同法律事務所は、財務省と顧問契約を結んでおり、野田聖子総務相も指摘した通り、女性記者にとっては弁護士を相手側の関係者であり、名乗りでるのは、高いハードルだ(「野田聖子氏「違和感がある。高いハードルだ」財務省と官房長官に申し入れ」産経ニュース2018年4月17日)。
しかし、当の財務省は、「(名乗り出ることが)そんなに苦痛なのか」と、被害者の視点に全く立てないことをこれでもかと露呈する答弁をしたが、その答弁が問題になった後も、「ほとんどくそ野郎という感じで報道されたが、そんなことは申し上げていない」とむしろ被害者意識を炸裂させている(「セクハラ問題 財務省官房長、報道内容に不満 衆院厚労委」毎日新聞2018年5月11日 )。
財務省は、4月27日、前次官のセクハラを認定し、減給20%、6ヶ月の懲戒処分相当とする方針を固めた。しかし、麻生財務大臣は、前次官辞任前も、「はめられて訴えられているんじゃないかとか、世の中にご意見がある」、「(セクハラを)言われている人の立場も考えないと。福田の人権は無しってことですか」等と発言しただけではなく(「セクハラ疑惑 麻生財務省「はめられたとの意見ある」」毎日新聞2018年4月24日岡大介、立野将弘 )、その後の5月2日にも「セクハラ罪っていう罪はない」「殺人とか強(制)わい(せつ)とは違う」などと発言した(「麻生財務省「セクハラ罪という罪はない、殺人とは違う」」朝日新聞2018年5月4日 。その後、5月11日には、「はめられた可能性を否定できない」発言は撤回。)。
セクハラは様々な犯罪にあたりうる行為を含むがいやそういうことではない。あえてセクハラがゆゆしき人権侵害とはとらえず、たいしたことがないと軽視していることを、どうしても示したいととしか思えない発言だ。このようなトップのもと、財務省でセクハラの再発防止や被害者救済に真摯に取り組もうと思っているとは到底信じられない。こんなトップのもとだから、前次官も反省などせず否認を続け、官房長もむしろ被害者意識でいられるのだ。5月9日、財務省でセクハラ研修が実施されたというが、真っ先に受講してほしい肝心の麻生大臣は出席していない…(「財務省でセクハラ研修 講師「世の中の常識とズレている」」朝日新聞2018年5月9日栗林史子 )。
「セクシュアルハラスメント」流行語大賞から30年
1989年、日本初のセクシュアルハラスメント訴訟が注目を集め、「セクシュアルハラスメント」が流行語大賞の新語部門を受賞した。それから、約30年。「セクハラ罪」はなくても、人事院規則には「セクシュアルハラスメント防止等の運用について」がある。男女雇用機会均等法も、セクハラ禁止規定はないが、事業者に対して、セクハラに関する雇用管理上の措置義務(11条)を課している。セクハラが人格的尊厳を害する違法な行為であるとして、民法709条の不法行為として慰謝料等の賠償責任を認める裁判例も蓄積されてきた。
だがしかし。
もりかけ問題で信用が失墜してきたとはいえ、「最強官庁」といわれる財務省のトップが、「おっぱい触っていい?」といった幼稚かつ卑猥な言葉を記者に繰り返した挙げ句それを「言葉遊び」と言ったり、社会問題になってからも、上記の通りはめられた云々とうそぶくとは…。めまいがするではないか。
つい、「エリートなのに」と首を傾げたくなる。いや、エリートだからこそなのではないか。圧倒的にパワーがあると自認しているからこそ、他者である女性の尊厳など気にもならない。鈍感でいられるのだ。
残念ながら、こういう感覚は財務省以外にあるかもしれない。周囲も、被害者予備軍も、セクハラを人権侵害だと直視せず、サバイバルするのが、大人、プロ、と思っている人もいるだろう。メディア関係者から、「周囲は冷ややかだ。「押し倒されたわけでもあるまいし」という感じだ」ときいたこともある。暴力をふるわれたわけではない、「言葉遊び」だ、そんなの我慢して、取材源から情報を取ってこい。メディアの内情を垣間見る。でも、そのままでいいのだろうか。そんなことはもう通用しない。実際、メディアでも多数、我慢してきたが、後輩たちにも我慢を強いてきたことになるのではないか、もう終わらせよう、といった反省の声が取り上げられた。
背景にはジェンダー不平等
財務大臣、前次官、官房長、みな、男性だ。セクハラに抗議した女性たちを「セクハラとは縁遠い方々」「絶対セクハラは致しません」と揶揄するツイート(後に謝罪)をした自民党の長尾敬衆議院議員も、麻生財務大臣の「セクハラ罪ない」発言をあえて「全く正しい」と擁護した自民党の伊吹文明元衆議院議長も、男性。セクハラ再発防止のための法整備や、研修の強化を唱える野田総務大臣は、女性。これは、何かの偶然であろうか。いやそうではない。権力の中心を男性が占めていることが、被害者である女性(女性だけが被害者ではないとはいえ)の視点をもった対策がとれないことと、無関係ではない。世界経済フォーラム(WEF)が2017年に発表したジェンダーギャップ指数で、日本は144カ国中114位という低さ。政治分野の低さが順位を押し下げている。
政治、行政だけではない。この国では、メディアその他会社でも、大学でも、男性が権力の中枢にいるだろう。労働政策研究・研修機構が2016年に発表した実態調査では、28.7%の女性社員がセクハラを経験している。しかし、なんとその63.4%が「我慢した」と回答している。未だ、泣き寝入りが大半なのだ。
少しずつでも変化を
八方ふさがり…と嘆いていても仕方ない。性被害やセクハラ行為を訴える#MeToo運動は、日本では米国ほど広まっていないとよく言われる。しかし、それでも、今回セクハラを受けた女性記者に、被害を明らかにする勇気をもつ後押しをしたかもしれない。前財務次官はともかくも辞任をよぎなくされた。麻生財務大臣は被害を重視し法の欠缺を問題視したわけではないが、逆手にとって、フランスや台湾にあるというセクハラ罪を考えてもいい。しかし刑事罰にあたるかどうかだけが問題ではない。今回の件も、相談窓口の充実や研修の強化、セクハラは容認すべきではないという社会の転換点になればいい。世の中を変えていきたい、#WeTooと声を上げる人が、マジョリティになっていきたい。
尊敬する角田由紀子弁護士は、30年前の初のセクシュアルハラスメント事件の原告の代理人を務めた。角田弁護士も、「社会の認識は大きく変わったと思っていたけれど、そうでもなかったかしら」と愕然とし、「セクシュアルハラスメントは女性差別が甘受されているから起こる」と指摘しながらも、「少しずつではあるけれど、既に変化は起きているんです」「一つ一つの声と変化を積み上げていくしかない。そうやって、世の中は変わっていくんです」とおっしゃっている。私も、変化に貢献したい#With You。