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TALK ABOUT THIS WORLD ドイツ編 北の海と戦争の痕

中沢あき2024.08.27

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先の夏休み、昨年と同じく北フランスの海に行った。
西ドイツのこの辺りから近いビーチを求めてオランダやベルギーの海に行く人は多いが、いわゆるリゾート地なので宿の値段も高い。エアビーアンドビーで検索していくと、海岸線を辿ってベルギーから国境を越えてフランスに入ると、宿の値段がやや下がる。それにフランスに行くと、食の楽しみも大きくなるので、北フランスに向かうことこれで3回目。昨年訪れたダンケルクでは今回いい宿が見つからなかったので、もう少し先のカレーに宿をとった。

カレーは7年前にダンケルクに泊まった際に一度訪れた限り。かの有名なロダンの彫刻「カレーの市民」を見、たまにはと奮発した星付きレストランのデザートの上に「original」と書かれたキャンディの包み紙(中身はない)が飾りとして載っていて、相方が「まさに『オリジナル(個性的)……』」と呟いていたことが思い出。
そしてここはフェリーやユーロトンネルで英国と繋がる地でもある。この辺りを車で走っていると、急に物々しく鉄条網が巻かれたフェンスが立ち並んだ風景が出てきて、何かと思ったら、ユーロトンネルの入り口の国境審査所らしい。カレーの街中も、UKのナンバープレートをつけた車がたくさん駐車している。フランスに来るたびに思うが、隣の国とはいえ、やはりドイツとは文化も哲学も感覚もずいぶん違うなあと思うことが多くて面白い。ドイツに住む私にとっては、久しぶりに「外国感」を味わうひとときなのだ。

昨年見つけた白い崖壁の前に遠浅の海が広がる絶景もまた見に行きたいし、でももう少し足を伸ばして他の海の街やビーチも見てみたいし、とグーグルマップで海岸線を辿りながら、旅のプランを練っていて気がついた。ビーチの他にいくつか、要塞とか防空壕のしるしが出てくる。人里離れたところに戦争博物館なるしるしもある。カレーにもダンケルクにもそれぞれ戦争博物館がある。そういえばこの辺りは戦争の激戦地になった地域だ。

2017年に公開されたクリストファー・ノーラン監督の映画「ダンケルク」は1940年の第二次世界大戦の際、英仏連合軍兵士40万人がここダンケルクでドイツ軍に追い詰められ、最終的に民間船も含めた英国軍の援軍によって救助されるという物語で、映画公開の前に偶然この街を訪れた私は、その後に見たこの映画の冒頭に登場する、兵士が必死で走り抜ける街並みを見て、あ、ここは泊まった家の辺りだと思った。ところどころ崩れた壁に弾痕もまだ残る家並みがダンケルクにもカレーにもたくさんある。

フランスの他の街もそうなのかは知らないが、この二つの街には3〜4階建てのアパートメントタイプの家が長屋のように並んでいて、たまに外壁を綺麗に塗り直している家もあるが、多くはおそらく建設当時からのものだろうか、色もくすみ、ところどころ穴が開いたり少し崩れていたりする壁の家が多い。ただし内装はきれいにリノベして住んでいるようで、私たちが泊まった民泊の宿も内装はモダンできれいだった。壁まで修復するお金がないのか構わないでいるのか、地震がない地域だからとはいえ、あと何年建物が持つのか、そんなことを考えてしまうが、おそらくそれらの家は戦争の時代もそこにあり、弾痕を抱えながらもそこに存在し続けている。そのことをふと不思議に思った。その時代を生きていた人間はほとんどもうこの世にはいないのに、その家だけは今もそこにあるという、はかなさのような感覚だろうか。

奇しくもフランス滞在中に原爆投下の日を迎えた。長崎の平和式典にイスラエル大使が招待されず米英含む西側諸国の大使も足並み揃えて不参加だったニュースをラジオでも聞いた。8月は戦争の記憶の時期だなあとぼんやり思いながら、そういえば、と思い当たった。カレーもダンケルクも街のあちこちにまだ戦争の記憶が形として残っている。

ドイツはといえば、こちらも街の真ん中にすらまだ防空壕がよく残っているし(よく文化施設として再利用されていたりする)、建物に残る弾痕も見たことがある。ときどき、第二次大戦中の不発弾が出てきたので、と半径2キロ以内が封鎖されたりすることもまだある。
私の住む街だって、郊外の森や野原にハイキングに行けば、そこは昔軍事演習場だったとかでフェンスの向こう側には立ち入るなという立て札の手前に、薬莢が落ちているのを見つけたこともある。

一時期、マグネットフィッシングという強力な磁石で河川の中から宝を釣り上げるという趣味が流行っていたが、ドイツでは本当に戦時中の武器や弾丸とかが釣れるらしく、マグネットフィッシングを禁止した地域も多い。
思えば、結構身近に戦争の記憶が残っている。残っているどころか、今だって、同じ陸続きの国では戦争をしているのだから、間接的にとはいえ、戦争に現在進行中で関わっている。
振り返ると日本では、戦争の追悼碑のようなものはどこかで見かけた記憶があるものの、日常の中でこんなふうに戦争の記憶を目にすることはない。もっとも日本は木造家屋が多かったから燃えてしまったのか、地震などの災害などで消えてしまったものも多いのかもしれない。日本人の戦争の記憶も、そうやって消えてしまっていっているんだろうか。

とはいえ、記憶が消えるのは日本人だけではないんだなと感じた出来事がある。昨年ダンケルクに滞在していたときのこと。街の広場に立つマルシェに買い物に行き、数日前に買って気に入った地元産のバターをまた買おうと、乳製品の専門店に並んだ。トラック内のショーケースにずらりと並んだチーズの種類の多さはさすが畜産業大国のフランス。
ダンケルクもカレーもドーバー海峡を越えてイギリスからやってくる人々の入り口となる街であるのに英語はそれほど通じず、高校時代のフランス語の授業で覚えたという相方の語学力で私たちの買い物はなんとかなっていたが、ちょうど私たちの前に並んでいた20代くらいの女性と4、50代くらいの女性、母娘だろうか、ドイツ語を話しているのに気がついた。ダンケルクは観光地ではなく、多くのドイツ人はベルギーのリゾート地にいるのでドイツ語を耳にするのはちょっとめずらしい。さて彼女たちの番が来ると、おもむろにそのお母さんがショーケースの向こう側の店員さんたちに「ドイツ語は話せますか?」とドイツ語で訊いていた。
すごいな……。私は度肝を抜かれ、隣にいる相方も失笑し、店員さんたちも戸惑って苦笑いしながら、ノン、と首を振っている。同じように苦笑いしながら、お母さんの後ろ側にいた娘さんが英語はどうですか?と慌ててフォローし、店員さんたちも指で「ちょっとだけ」とジェスチャーを返しながらやり取りが始まった。そうして無事買い物を済ませた彼女たちは去っていったが。

私が驚いたのは、いまやグローバル言語となっている「英語話せますか?」というならわかるが、隣の国とはいえ、旅行慣れしていると言われるドイツ人がドイツ語でも通じるだろうと思っていたというのは軽いショックですらあったし、ましてやここはかつてドイツ軍に攻撃を受けた地である。現在は同じEUの国であり友好関係にあるとはいえ、時と場合によっては過去の歴史がまだこの二つの国の人たちの精神性に影を落とすこともあるんだなと感じることもある。ダンケルクの歴史なんて知らないんだろうなと思いつつも、その女性のアッパレとでも皮肉りたくなるくらいあっけらかんとした無知さに苦笑と失笑が入り混じった。ナチスドイツの犯した罪とホロコーストの過去に向かい合ってきたと言われるドイツ人でもこういう人っているんだなと、ある意味で勉強になったと思ったくらいだ。

さて今年はカレー滞在が主だったが、最終日、帰る途中でやっぱりダンケルクにも立ち寄った。観光地ではないとはいえ、相変わらずきちんと整備された海岸に行くと、天気も良くて気温も水温もほどほどに温かくて、海に足を入れに行く。遠浅に広がる海ではしゃぐ人々を見ながら、84年前はここで、あの映画のような阿鼻叫喚の出来事があったなどとは信じたがたいくらいと思う。人は消えても、物は残る。家も弾痕も海も残って、人だけが消えていく。命ってはかないな。せめてその命が再び殺し合いなんかで消えることがないようにと、そっと願った。

©︎ Aki Nakazawa
「1940年6月5日、ダンケルクの戦いで命を捧げたフランス軍および連合軍の航空兵、水兵、兵士の栄光の記憶に捧ぐ。」

ダンケルクの海岸に立つ戦争追悼碑。映画「ダンケルク」で描かれた史実の戦いのものです。上に立つ旗は両脇がダンケルクの旗、左からベルギー国旗、フランス国旗、イングランド国旗。連合軍に参加した国を表しています。ダンケルクはベルギーとの国境側の町。ここはベルギーも含めたフランダース地方で、料理のメニューなどはクリームを使ったものやフレンチフライ、ムール貝などベルギーの料理と共通しています。マルシェに並ぶ野菜も夏なのに、インゲンやじゃがいも、キャベツ類など、意外とシンプルでドイツとあまり変わらない感じ。これが南の地方へ下ると、もっとカラフルに種類も増えて豊かになるんだろうな。フランスも大きく広がる国。一つの国の中でも複数の異なる文化や精神性があるんだろうな。

©︎ Aki Nakazawa
遠浅ゆえ、引き潮と満ち潮では大きく表情が変わる。北の海は南のようにギラギラした光ではない、やわらかな光ゆえ、肌寒い気温ですが、心が落ち着きます。

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中沢あき

中沢あき(なかざわ・あき)

映像作家、キュレーターとして様々な映像関連の施設やイベントに携わる。2005年より在独。以降、ドイツ及び欧州の映画祭のアドバイザーやコーディネートなどを担当。また自らの作品制作や展示も行っている。その他、ドイツの日常生活や文化の紹介や執筆、翻訳なども手がけている。 

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