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夜のカルテ 〜オンラインクリニックからの報告〜 Vol.2 コミュニケーションの癖と家族

椿 佳那子2024.08.28

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オンライン精神科クリニックを開業してから3ヶ月経過しました。オンラインなので対面の普通のクリニックよりもずっと患者さんの年齢層が若い中で、やはりみな体調を崩すほどのストレスは主に仕事関係なのだなぁと思う今日この頃です。

ところで、仕事とは関係なくここ数ヶ月私がよく考えているテーマなのですが、最近、自分が親しい人に全く意識せずともプレッシャーを与えてしまうタイプの人間なのだと気づきました。
この場合の親しい仲とは友達の中でも親しさ上層部(親友レベル)〜恋人〜家族に値するひとたちのことであって、普通の仲の良さの友達や同僚などからは気づかれないほどにはごく自然に、しかししっかりと私の性質としてそれがあることに気づいたのです。そしてそれは、親が私に接したやり方を人間関係の基本としているからなのだと思います。

私は教育的で学歴志向の親に「中学高校時代というのは大学受験のための準備の時間なのです」と言われて育ちました。
勉強をして医者になれというプレッシャーは空気のようにあり、それを逆にプレッシャーだと思わなかったからこそさほど疑問に思わず、そして勉強がわりと得意だったためにすんなりと医学部に進学したのはいいが、その後親からの結婚・出産プレッシャーにより摂食障害になりました。
プレッシャーを外部からのプレッシャーとして撥ねのける力がなかったから自分への暴力になったのだと思います。(今思うとそれは親の資本主義的思考により「若さをステータスと金に換えろ」という指示だったから苦しかったのだと思う。それはまた別のテーマになりますが)

そんなうちの親ですが、先日母が友達に「どうやったら子供をみんな医学部に入れることができたの?」と聞かれた際、ものすごく嬉しそうに「私、なーんにもやってないの」と言っていたところを目撃しました。
あれだけやっといて!開いた口が塞がりませんでしたが、プレッシャーというものはえてして無意識だったり、早急に記憶から消し去られるタイプの精神的暴力なのだと思いました。
プレッシャーというものは自分の意のままに相手を動かそうとする念力のようなものですが、大抵「あなたのためだと思って」と枕詞がついていたり、なにか不平感を正そうとする思いから来ていたり、世間ではそれが常識とされていたりして、とくに権力勾配の上から下に与えられるものの場合、なかなかそれとは気づかれずリアルタイムで現行犯逮捕できないものだと思います。

また、「とはいえ親の与えたプレッシャーがなかったら医者になっていなかったから今思えばよかったと思うよね」という話を、医者の後輩としたことがあります。
プレッシャーは子育てには必須なのだろうし、それにより私の人生の土台が安定したことはもちろん感謝している部分もあります。親からプレッシャーを与えられなかったという友達から「生きる方向性を与えられていいな」と言われたこともあります。

私がプレッシャーに関してトキシックだなと思うのは、愛する人が私にプレッシャーをかけてきたときにその内容をあたかも自分が欲しているかのように錯覚してしまうことにあります。それはいわゆる私の「自我境界の弱さ」だと言われればそれまでですが。
子供の頃から親に反対意見を言い親の言う通りに生きなかった人には尊敬の念を抱きます…。もちろんそれにはそれの苦しさがあることを承知の上で。

話は戻り、日本社会における「仕事をしないといけない」というプレッシャーはひどいものだと思います。それにより、コロナ禍で働けない時にすら罪悪感を抱いて抑うつ的になってしまっている人がたくさんいました。
かく言う私も、仕事が好きだと言いながらそれが自分で自分にかけているプレッシャーなのかどうかわからなくなることがあります。ですが、私のオンラインクリニックに来る人には少なくともその抱えているプレッシャーの正体を暴き、いらない分は捨て、自分が本当に必要としているもの(=多くの場合心身の休息)を手に入れられるよう手助けをしたいと思っています。

また、精神科医としてはある程度できるのに身近な人に今まで自分がすることができなかったこととして、「言ってほしくないであろうときに言わないでおいてあげる優しさ」があるなと最近思います。
精神療法では、ずばっと精神科医が構造を言い当て患者さんに内省させようとすることを「直面化」と言います。患者さんとの信頼関係ができあがり、そして今ならという限られたタイミングでないと行われないことですが、診療室以外の人間関係では私はそういった制限をあまり気にしていませんでした。そこまで大袈裟でなくても、そっとしておいてあげることや言わないでおいてあげるというのは、表面的だったり白々しさだったりするのではなくある種の優しさであって、それもまた私が両親からまったくもらえなかった種類の気遣いだなと思っています。

両親への愚痴のようになってしまいましたが、逆にうちの家族関係はとてもフランクでそれが羨ましいと人から言われる場合もあります。何事も正解・不正解があるわけではない…。
ただ、独立して精神的にもまたひとつ成長しているような気がしている昨今の私は、親からもらったギフトのなかからも要らないものは捨てていってもいいのかなと思っています。



国際疼痛学会@アムステルダムでポスター発表をしました。

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椿 佳那子

椿 佳那子(つばき・かなこ)

1986年生まれ。精神科医。認知行動生理学と慢性疼痛の研究をしている。2024年5月女性医師による主治医制のオンラインメンタルクリニックを開業。https://kokorotokaradaonline.jp

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