ラブピースクラブはフェミニストが運営する日本初のラブグッズストアです。Since 1996

banner_2212biird

スクールフェミ「SNS時代の選挙とどう向き合うか」

深井恵2024.07.10

Loading...

東京都知事選挙、小池百合子氏の3選だったが、得票数第2位に石丸伸二氏が入っていて驚いた。都民ではない人が県外から石丸氏を個人的に応援しに来たり、石丸氏が演説してる様子をSNSで動画配信したりする人が何人もいたという。石丸氏自身も、SNSでの拡散・発信を、聴衆に求めていたらしい。

立候補者本人がそこにいなくても、演説している様子をいつでもどこでも見ることができるSNSの動画配信。文字だけの選挙広報や時間が決められた政見放送とは比べものにならない自由度だ。カラーだし、動くし、見るものに強い印象を与えられる。

立候補者本人が作成した動画でなくても、一般市民が自由気ままに録画してアップして拡散して…これらは規制の対象になってはいない。都合よく切り取ったり、フェイク動画を作ったりしても、受け取る側にはわからないかもしれない。事実と異なる動画、事実と異なるニュースによって、投票先を判断してしまう恐れだってあるのだ。フェイク動画はスマートフォンを使って、いとも簡単に作ることができる。

こんな時代にあって、自らしっかりと考えて一票を投じる行動に移すためには、何が必要なのか、本当に考えさせられる。「周りの人が推しているから」とか「『いいね』が多いから」とか、そんなものに振り回されることなく、情勢を自分なりに分析して、何が正しいか何が必要かを見極めることのできる力をどうやって育むか。

1人1台タブレット端末が導入されて、教育現場にも動画や画像が非常に身近なものになった。ICTを使った授業も推進されている。「授業改善」と言えば、PowerPointを用いた説明、タブレットを用いた「メタ文字」、「Teams」による宿題の「配信」等々。PCやタブレットを使えば、授業が「改善」されたことになっている印象だ。ただ、筆者はなかなか「改善」する気になれないでいる。

確かに、生物や化学、地理歴史、家庭科など、生徒の視覚に訴えるのが効果的な教科・科目があるのは確かだ。英語の授業でも動画を視聴させたり、英文をPowerPointで大写しにして説明に使ったりしている。

それに対して、日本語の授業はどうだろうか。筆者自身はなかなか導入できないでいる。漢字テスト1つとってみても、アナログだなぁと思いつつ、紙と鉛筆(シャーペン)でテストしている。タブレットを使っての漢字テストを実施する気にはなれない。出題方法1つとってもしっかり。まず、生の「音声」による書き取り問題だ。この「音声による出題」は、どんなに「ICTだ」「タブレットだ」と言われても、譲れない一線だ。

人の話を聞きながら言葉の意味を理解するには、その時に使われている言葉がどんな言葉なのか、頭の中で正しい漢字に変換しながら聞かなければならない。その訓練も兼ねて、口頭による出題にこだわり、紙の解答用紙に鉛筆で記入させる漢字テストのスタイルをとっている。文字の書きやすさから言って、やはり「タブレットにスタイラスペン」で、とはならない。

毎回漢字の問題集1ページ分を範囲として、その中から10問出題する。10問出題した後、自己添削させる。空欄は残させず、書けなかった漢字と間違った漢字は色を変えて正しい漢字を記入させる。この「自己添削」にもこだわりがある。教員が採点するテスト形式で実施すると、生徒はわからなかった漢字を書かないまま、そのテストを終わらせることになる。書くことによって漢字は定着していくのだから、わからなかった漢字はその場で書かせるに越したことはない。書けなかった生徒にいかに書かせるかが大事だ。

また、人の話を聞くときに「知らない言葉」が多ければ、話の内容を理解するのが困難になる。変換できる漢字も限られてくる。つまりは語彙を増やすことも重要になるのだ。知らない言葉に数多く触れさせて、「知らなかった言葉」を「知っている言葉」に変換させなければならない。漢字テストに加えて、毎時間の授業で国語辞典を開かせ、「知らない言葉」を1つ見つけて意味に目を通させたり、知らない諺や故事成語に触れさせる時間を意図的に盛り込んだりしている。生徒にとっては「知らない言葉」が「知っている言葉」になる瞬間だ。

YouTubeだTikTokだと映像・画像に触れている時間が多い今の生徒に、「動かない」「カラーではない」文字を通して世界を広げる愚直な学習活動。いくら動画や画像が増えても、読書同様に、欠かせない学習活動ではないかと考えている。

PowerPointやタブレットを用いた授業が増えるのに連れて、板書しない教員、チョークを使わない教員が増えている。かつて、筆者が教員になりたての頃は、授業で必ず事前に求められていたものの一つに「板書計画」があった。生徒の理解を促すために、1時間の授業の黒板の内容を事前にある程度計画を立てておくのだ。1時間の授業で、板書1枚。その授業の流れや内容が黒板1枚に全て描かれることになる。

しかしPowerPointが使われるようになってから、「板書計画」は死語になりつつある。次々と移り変わる画面。急いでメモしないと消え去っていくスライド。画面の後戻りはできなくはないが、最初から最後まで一目で見通すことは難しい。

国語科の教員としては、筆者自身が黒板に文字を書く際の「書き順」にも注目させているつもりだ。残念ながら、生徒の漢字の書き順を正そうと言う気持ちはもう失せてしまっているが、せめて教員が正しい書き順で文字を書いているところを見せる必要があると信じている。すでに活字として仕上がったPowerPointの画面上の文字では書き順に触れさせることはできない。

また、タブレットを持つようになって、生徒が考えなくなった印象を受ける。わからないことがあるとタブレットを用いてすぐに調べるのはいいが、自分で考えることを放棄して、答えをすぐにインターネットに求め、その情報を鵜呑みにしてしまうのだ。情報の取捨選択能力と思考力が問われる。

考えることの源は言葉だ。知らない言葉で思考することはできない。言葉を豊かにすることが思考を深めることにつながる。どんなにSNSや映像・画像による選挙活動が普及しようと、深い思考力があれば、振り回されることはないだろう。ICTの良さは取り入れつつも、ブレずに、思考を深めさせる取り組みを続けたい。

RANKING人気コラム

  • OLIVE
  • LOVE PIECE CLUB WOMENʼS SEX TOY STORE
  • femistation
  • bababoshi

Follow me!

  • Twitter
  • Facebook
  • instagram

TOPへ