映画「Hidden Figures」=隠された姿、の本当の意味
2017.10.19
先日、映画『ドリーム(原題:Hidden Figures)』(2016米)を観ました。
黒人女性3人がヒロインだとわかる新聞の一面広告!
「全ての働く人々に贈る、勇気と感動の実話」で、1960年代のアメリカ宇宙開発のNASAの頭脳と呼ばれた女性たちの話。全米で大ヒット、アカデミー賞3部門ノミネートというし、面白そう!で、とびつきました。面白かった!(^^)! おススメです。
マーゴット・リー・シェタリーのノンフィクション小説『Hidden Figures』が原作。
1961年のバージニア州。当時は東西冷戦下、アメリカとソ連が熾烈な宇宙開発競争を繰り広げている頃で、アメリカ南部においては、依然として白人と有色人種の分離政策が行われていた時代のこと。NASAによる宇宙開発の舞台を、新たな視点で伝えようとする史実に基づく物語です。
その偉業を支えた歴史上知られざる3人の女性数学者、キャサリン・G・ジョンソン、ドロシー・ヴォーン、メアリー・ジャクソン。彼女たちは、まだコンピューターのなかった時代に多大な貢献をした天才たちでした。
ウィキペディアによると、史実との相違点は、当時実在する人間関係や価値観をわかりやすく反映させるためにエピソードが描かれていると説明しています。そこは映画です。
エピソードにもりこまれた白人専用のトイレや図書館、学校などの問題は、差別と排除が公然とまかり通っていた時代を象徴しています。そう、これは紛れもなく、人種差別、女性差別の問題が下敷きにあります。だからこそ、黒人(有色人種、カラード)で、女性であった彼女たちが「Hidden Figures」=隠された姿(または数字?)と名付けられたのでしょう。
なので、日本語題『ドリーム』には、なんで?です。後で、この日本語題を問題視するSNS上の批判があったことも知りました。
この時代感覚を、アナログとモノクロ経験のない今の若い世代がどこまで実感がもてるかな、と気になります。あの時代は、黒板に向かってチョークを握り、自分の頭脳だけで計算をする世界でした。有能で天才的頭脳をもつ人たちによって有人宇宙飛行が成し遂げられたことは、歴史上の事実であり、快挙でした。
ただ、この映画の主題はそこではありません。
マイノリティーが置かれた不当な環境の中で、有能な天才的能力をもつ彼女たちが闘うたくましい姿と、マイノリティーでさらに女性であるがゆえに「いるのにいない」ように扱われ、道具として使われ「隠されてきた」存在がやっと世の中にしらしめられたという点ではないかと思うのです。仕事をしても「名前は必要ない」でしたからね。
マジョリティにとっては当たり前で当然のこと(この場合、白人専用トイレ、学校など施設や生活空間など)が、それが制度だから法律なのだから、という点で疑問をもたない。それがすでにマイノリティーを侵害しているとは気づかないのでしょう。
以下、ここは観どころ。(*映画のネタバレが一部あります)
キャサリンは、正確で確実な仕事をするため、国防総省の会議に「出席させてほしい。私は適任者です」とボスに詰め寄り食い下がります。上司は「女性が参加した例はない」。ひるまずキャサリンは言い返します。「男性が地球のまわりを飛んだ例もないわ」(拍手!!)と。一民間人で、しかも女性で、その国防総省会議で見事な計算をしてその能力をみせる場面は喝さいですよ。
ドロシーは、白人でないことを理由に昇進願を却下されます。「偏見などもっていないわ」と言う白人女性上司に「わかってるわ。あなたがそう信じていることは」と(気の毒そうに)静かに言います。たぶん、マジョリティの彼女には理解できないだろうという視線をこめて。彼女はのちにコンピューター室のスーパーバイザーに昇進します。
メアリーは、NASAで初めての黒人女性エンジニアです。
裁判所に請願を出しますが「ここは白人専用の学校ですよ」という判事に「前例となる重みは誰よりもご存知のはず。NASAの技術者を目指しています。それには(人種分離州なのに)白人の高校での受講が必要です。肌の色は変えられません。だから前例になるしかないのです。判事のお力が必要です。100年後も意義があるのでは?」そして受講を認められます。
メアリー・ジャクソンの仕事に対する情熱は、機会均等に大きな影響を与えたそうです。
映画の中には、偏見や誤解を打ち砕いていく言葉がいくつもあります。当たり前のことが当たり前に語られています。
「権利は平等よ。色は関係ないわ」(メアリー)
映画は実に楽しめる娯楽映画に仕上がっています。
こういう形で彼女たちの功績が記録されたことは、彼女たちを称えるだけに終わらない、女性やマイノリティーの問題提起となる意味があります。そして後世に残ります。
差別的な環境や制度、システムは当時から比べれば今はその比ではないといえるかもしれません。でもなくなっているわけでもありません。誰が為政者になるか、権力の采配を振るうかで、抑圧と差別と分断の社会が再び訪れるおそれがあるのです。
彼女たち3人の毅然とした姿、不当な制限や限界に立ち向かうエネルギーと正当な主張、闘い方のすばらしさから学ぶことの多い映画でした。
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話は変わりますが、
今、インドネシアのバリ島は、9月中旬からアグン山が噴火しそうな状態で、警戒レベル4が続いています。現在も14万人が避難しているそうです。
実は10月はじめにバリに行く予定をしていたのですが、直前まで迷いに迷った結果、泣く泣くキャンセルしました。楽しみにしてたんです・・。
世界の火山分布図を見てみたら、うわっ、日本はほぼ全土が火山地帯で真っ赤に塗られてる。日本は世界有数の火山国だと認識していましたが、アメリカ、ロシア、インドネシアに続いて、4番目の火山数ということです。う、う、インドネシアもそうだったんだ。
世界の火山の1割近くが日本にあるってことは、この国土の狭さです。どれだけ危険が身近なんだ! いつ何が起きてもおかしくないところに住んでるんだ。そういえば、ある人が「だから日本という国は住んじゃいけない土地なんです」と言ってました。う~~ん、確かに。覚悟して住み続けるしかないということのようです。
さて、この空いてしまった休暇は、東北に行ってきました。
まず仙台に入って、平泉・中尊寺、松島へ。その後、震災の跡地を訪ねました。
2014年、郡山で開催された日本フェミニストカウンセリング学会全国大会。「被災地を知る・見る・聞く~バスツアー」で全町民避難の富岡町を訪ねていました。当時はバスの窓は開けない、途中降りられない場所を通る。線量計も配布されました。封鎖されていた道路のギリギリの場所で遠くに福島第一原発を静かに眺めた記憶があります。
今回、封鎖が解除されている道を走って、福島第一原発に一番近いところまで行く。近づくにつれて、普段は1日にこんなにたくさんのパトカーに出会うことはないよな、と思うほどすれ違ったし、いまだ封鎖されている脇道への入り口に立つ監視員の姿は異様なものでした。あの人たちはここで1日立ってる仕事・・・放射線量はどうなるんだろう・・・そういえばコインランドリーがあったな。この人たちに絶対必要だろうな。ここまで来たけれど、用もない人はここには来ないんだろうか。もしかしてどこかで誰かに見張られていたりはしないだろうか・・そんな緊張もありで、あれこれ思いながらの道のりでした。
黒くビニールで覆われた物体がそこかしこに積まれているし、今は住めなくなったけれど、確かに人の生活があったはずの建物が残骸のように残っている。場所によっては、帰還して戻ってきたと思える人の住まいも見られる。でも、複雑な気分でした。
その後、双葉町から浪江、川俣と避難経路となった富岡街道を走行。途中、飯館村に続く道があり、秋の収穫の時期なのに作物がない(植えられない)田畑が、ここでも。あ~、こんなところまで、いまだに、という距離と現実を実感。今も終わらない問題を目の当たりにするものでした。
浜通りから中通り、会津にむけて移動するうちに、だんだん緊張が解けていく、どこかホッとする感じが、正直いってありました。福島に住むということ、行くということの重みを感じざるを得ませんでした。
今回は、震災だけでなく、原発事故の非日常的な事実、現実をわずかに垣間見たにすぎません。問題はまだ厳然と現在進行形ですし、その後始末に終わりが来るとも思えません。
私に何ができるか、はすごく難しい。でも、忘れない、過去のことにしない、風化させない。信念を守りたい。権力に負けたくない。そんな思いで帰途につきました。