前回、小池都知事が朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文の送付を取りやめたことを取り上げた。
それから1か月しか経過していない今ここで、あろうことか、歴史修正主義の姿勢をあらわにした小池百合子都知事が、安倍一強への挑戦者かのようにふるまっていて、目まいがする。
経過を確認しよう。
大義なき解散
森友加計学園問題について「丁寧に説明する努力」を約束したはずの安倍首相が6月に野党が憲法53条に基づいて要求した臨時国会召集の要求を3ヶ月余りも放置した挙げ句、9月28日に召集した臨時国会の冒頭で所信表明演説にも代表質問にも応じず、衆議院解散に踏み切った。解散によって真相追及から逃げ、8月に改造した「仕事人内閣」と喧伝した内閣を「仕事しないかく」とするわけだ。解散の目的は、北朝鮮問題と少子高齢化対策をあげ、「国難突破解散」と称した(「「国難突破解散だ」 安倍首相が解散を表明。会見で何を語った?【全文】」ハフィントンポスト2017年9月25日吉川慧記者
)。北朝鮮のミサイルへの対処が課題なら、なおさらなぜ今解散をするのか、総選挙でみな浮き足立っていても大丈夫なら北朝鮮情勢は緊迫していないのではないかと突っ込みたくなる。まあ実際、10月1日には安倍首相と菅官房長官が同時に4時間東京を不在にしてもいる…(毎日新聞2017年10月2日朝刊)。全然大丈夫なのか。だったらなんであんな広域にJアラートなんてしたんだ…。
「緊迫する北朝鮮情勢」のほか少子高齢化も国難だというが、少子高齢化は何十年も前に始まっていることで、とってつけたとしか思えない。少子高齢化対策として消費税の増税分の一部を教育無償化に充てることなど、党内でも国会でも議論してなかったもの。議論すれば合意形成が可能と思われ、これまたわざわざ解散する必要がない(毎日新聞社説2017年9月22日朝刊など)。
海外メディアが的確に報じるように、「野党の混迷と北朝鮮の核・ミサイル開発実験に対する強硬な姿勢への支持に乗じ」たとしか思えない(9月25日付け「ガーディアン」 「英メディアが日本の衆院解散を酷評した理由 これは「野党混迷」と「北朝鮮危機」への便乗だ」2017年9月27日東洋経済)。
「国難」なる大仰な言葉の狙いは、危機感を煽り立て、衆議院で新たに多数派を得ること以外にない。「対外的危機を利用して国内の支持を得ようとするのは、悪質な強権的な政府の常套手段」である。私たちがここで危機の言説にあおられて、与党を勝たせてしまったら、アベノミクスの失敗の責任を不問にし、言論や報道の自由への圧迫や議会の軽視を問題視しないことになってしまう。強権的政治体制を確立させてはならない(小林正弥「「国難」という謳い文句はナチスにもあった 権謀術数の衆院解散で問われているもの」2017年9月29日web ronza)。「ナチスの手口を学んだらどうか」、「(政治は)結果が大事だ。何百万人殺したヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくても駄目だ」と二度もナチスの手法ないし動機を肯定した(後に撤回したとはいえ)麻生太郎が副総理かつ財務大臣という政権の要職についているということは、偶然ではないように思える。
大義なき解散にかかる予算は、いくらか。過去のデータであるが、2012年の衆院予算では約650億円だったという(「解散総選挙?衆院選ではどのくらい税金が使われるのか」2014年11月12日ハフィントンポスト)。これだけの予算を教育予算に回してくれないものか。2013年の教育への公的支出の割合は、日本はOECD諸国の中でハンガリーに次ぐ32位である(「教育への公的支出、日本なお低水準」2016年9月15日20時54分 日経)。改憲を待たずに教育予算の拡充はできる。してほしい。大義なき解散にじゃぶじゃぶ予算を注がないで、必要な分野へ予算を配分してほしい、と切に願う。
そこかしこで、安倍首相こそ問題であるという意味で「#おまえが国難」といったハッシュタグが飛び交ったり、聴衆を恐れ逃げ回るかのように遊説日程を事前告知しない安倍首相を追跡しようと首相の頭文字をとって、「#Aアラート」というハッシュタグも作られた。私たちはまだ抗議もできるし、投票で意思を表明できる。
希望がもてない「希望の党」、しかし選択肢はある
混迷に乗じられた民進党は、奇策に出た、のだろうが…。策士策に溺れる、という様相だ。
9月28日、前原誠司代表は「名を捨てて実を取る」と希望の党へ事実上合流するとの提案をし、両院議員総会で了承された。しかしその後、名を捨てて実も捨てたとしか思えない事態となっている。つい先日民進党の代表選で、消費税の使い道について丁寧に議論し、「ALL for ALL」と掲げたはずなのに、消費税は凍結。さらに、「ALL for ALL」とは、「みんなが尊厳を感じられる。みんなが分断をなくし、みんなが支え合う。そういった社会を作っていく」ことだったはずなのに(ログミー2017年8月21日)、小池百合子が「(民進党議員)全員を受け入れることはさらさらない」「安全保障、憲法観という根幹で一致していることが政党の構成員として最低限だ。排除されないことはない。排除する」と排除の論理を持ち出し、「選別」したことについて(「「排除の論理」小池氏の一存 候補選別「左だからダメ」」2017年9月30日5時1分朝日新聞デジタル)、当初は「希望者は全員、希望の党から立候補させたいという意向を示していた」という前原代表は、遺憾の意を示すどころか、「全てが想定内だ。(略)自分の判断は正しかったと思っている」と言ってのけた(時事ドットコムニュース)。えーと。「ALL for ALL」ってなんだったの…。二度とALL for ALLなんて言わないでほしい(井戸まさえ日誌 2017年10月3日 「「民進党分裂は想定内」それはないよ 最初で最後の前原批判」)。
それにしても、前回で取り上げたように歴史修正主義・排外主義的な姿勢が見え隠れする小池代表がポピュリストとして権力を握るまでその姿勢をスマートに隠すのだろうか。と思いきや早々に馬脚を現した。
いかに小池代表の姿勢に疑問をもっていた私でも、希望の党が公認候補に承諾を求めた政策協定書の中身を知ったときには、そのあからさまな内容に、度肝を抜かれた。そしてこれを信頼していた議員たちが受け入れたことにも。民進党が懸命に批判したはずの安保関連法の容認や、未だ議論されていないはずの改憲支持、上限も明示されないままの党への資金提供等もあきれ果てるが、特にぎょっとしたのが、「⑥ 外国人に対する地方参政権の付与に反対」という項目だ(「希望、安保法容認求める 政策協定書、民進合流組へ条件」朝日新聞2017年10月3日3時00分)。民進党の前身の民主党は結党時から「外国人の地方参政権付与」を基本政策に掲げていたはずだ。どうしてこんなものを受け入れたのか。政策協定書の受け入れは踏み絵を踏むともいわれ、踏み絵を踏んだ議員たちは、見たところ、特段の説明もせず、SNS上「全ては安倍政権打倒のため!頑張ります」あるいは「私も辛い、でも私は変わりません!」といった空疎で愚鈍な言葉を発している。そんな言葉を目にするたびに、こちらまで分断を受け入れる鈍さと冷酷さが移るようでどんよりする。
この問題については、韓東賢氏の論稿(「希望の党の性格露わにした「政策協定書」-幻の外国人参政権を踏み絵に」、「〈希望の党〉仲間選びのハードルは排外主義的、表向きの公約では差別反対-問われる有権者」)を参考にしてほしい。
そうはいっても、勝ち残らないと意味がないではないか、という意見がきこえる。ええっ。有権者が信用されていないということか。これくらいの偏狭さがあっても、有権者のおおかたは自分たちが排除されるわけではないと痛まない。なんとなく人気がある小池の風に乗れたら乗りたい。当選したあとで、リベラルに活動していくから大丈夫。トロイの木馬。
そううまくいくのだろうか。排除することの表明は「方便」ではすまない。今、自由に見解を表明できない人が、議員になってから党に反して自由に見解を表明する勇気が出てくるなんて信じられない。希望の公認を得た議員は「(民進党という)組織が決めた」と言った。上記の政策協定書の中身までみていない段階で組織の決定があったのではなかったか。最近読まれているアーレントの「エルサレムのアイヒマン」は、アイヒマンを、残虐な殺人者としてではなく、ヒトラーの指示で動いただけの「凡庸な悪人」と表現したことで激しく非難を浴びた。しかし、アーレントは、組織の中での昇進にしか熱心でなく、完全に無思想なアイヒマンのあり方をもちろん問題視していた。そして、出自や属性にかかわらず、さまざまな立場から意見が表明されることの重要性を説いた(「特集ワイド 今に響くハンナ・アーレント 官僚の無責任・排外主義…」毎日新聞2017年9月27日夕刊)。「組織が決めた」から政策協定書を受け入れた、なんて思考停止の候補者には民主政を任せることはできない。
自分自身で自由に考えて、一票を投じたい
思考停止して政策協定書を受け入れた議員たちは、どうせ有権者は思考停止なんだからなと見なしているようだ。それ自体、民主政の危機ではないか。有権者の見識が問われている。
幸い、権力は憲法に拘束されるという立憲主義の意義を無視し改憲改憲と勇ましく言う政党だけが選択肢ではない。立憲民主党のほか、立憲主義と民主政の価値を重視する政党が複数ある。市民たちの要望を受け入れ、全国各地で野党統一候補が立っている。私も、地元東京2区の野党統一候補の当選のために頑張りたい。
アーレントのアイヒマン分析を踏まえた岡野八代さんの以下の指摘で、本稿を締めくくりたい。この言葉を胸に、選挙権のある人は、投票所に向かおう。投票権のない、在日コリアンとの分断にはNO、キャッチフレーズではなく真のダイバーシティを求めたい、と念じて、票を投じよう。
「アーレントは、自分自身で考えて『おかしい』と思う人が行動を起こすことで希望が生まれる、と考えました。どんな権力でも、一人一人の自由を根絶やしにすることはできない、と。」