「ごちゃごちゃうるせえ‼︎」
先日、トークショーに出演させて頂いたのだが、「差別ヤローに対する有効なカウンターは?」というような質問をする若い女性が多かった。高尚なジェンダー論というよりも、女叩きクソヤローや、身近な性差別クソヤローへの有効な反撃方法に興味がありそうだった。
ツイッターで繋がっているのも、ネットやテレビの「女叩き」にブチギレて、女叩きクソヤローを激しく罵倒する女性のアカウントばかりだ。
彼女たちのほとんどが、大学でジェンダー論を勉強してきたようなタイプではない。趣味のアカウントで女性蔑視に出会ったり、幼少期にお気に入りのアニメを検索してエログロにぶち当たりトラウマになってしまったり、性風俗に従事していてクソな男を毎日見ていたり、主婦としてツイートしていたら「オカン叩き」に遭遇した人たちだ。それに何らかの性犯罪のサバイバーや、セクハラの被害者だったりすることも多い。
例えば、BL愛好家の女性たちはBL作品を、「検索しにくいようにしろ」「鍵アカウントで共有しろ」「自重しろ!」と常日頃からオタク仲間に要求され改善してきたが、男向けのエロコンテンツはタレ流しで、ほとんど自重する様子が見られないことに「フェアじゃない!」と怒っている。
子持ちの女性は「電車にベビーカーは迷惑だ!」とか、「こんな暑いのに小さな子どもを連れ歩くのか!非常識だ!」とか、日々の行動をツイートをしているだけでも、やたら女叩きクソヤローから絡まれる。
そういう日常的な理不尽に「フェミニズムとはこうだ」と構えることなく、ブチギレている人たちがたくさんいるのだ。
【学級会をやりすぎ問題】
ネットやテレビをはじめ、世の中にはびこる「女叩き」への怒りの表現について、
「クソオスという言葉は男性をひとくくりにしていて、フェミニズムではない」
「”低学歴が!”という罵倒は学歴差別だ」
「反撃とはいえ、それはルッキズムだ」
などと、差別に怒る人同士で議論が巻き起こることがしばしばある。妥当な批判もたくさんあるし、自省や自浄は大切だが、正直なところ、加害者そっちのけで差別に対抗する者へ向けられた「学級会」があまりに多すぎるのではないかと思う。
わたしは、もともとはフェミニズムに興味がなかった。趣味や仕事の話をしていてやたらマウントしてくる男にムカついたり、政治的な話題や母親としての意見を発信をする中、女叩きクソヤローから攻撃されたから反撃してきただけだ。
たくさんの女叩きクソヤローやりとりをしてきたのだが、ヤツらは、
「差別に怒る人にどんなヒドい言葉を投げかけても、モラルに反するような罵倒はしてこない」
と、安心して「クソフェミ」をサンドバッグにしている。ストレス解消の道具なのだ。
mixi時代から「いかに女は頭が悪いか」という内容ばかり発信している「鬼ノ目発信号」というアカウントがある。彼の、
「女は感情的で頭が悪く、生物学的に劣っている」
というような発言に、
「中卒は黙れ」
と、返すことがある。学歴差別と言われたらそうなんだろうが、他に、よりダメージを与えられる罵倒があるだろうか。「反差別の人間はモラルが高いからそこは突いてこないだろう」という甘えを裏切る必要があるとたまに感じる。
「反差別」やら「フェミニスト」やらのアイデンティティがない大多数の人間にも、こういうアホな発言は怒りを買う。ネットに溢れた、
「女は産む機械とか正論でしかない」
みたいな戯言にめちゃくちゃ怒ることで、世間一般よりも高いモラルを求められるようになることがおかしいのだ。こんな暴言にはどんな人でも怒っていいに決まっている。
反差別の人間にモラルに欠く言動があれば、
「反差別なのに差別的!」
と、大騒ぎするのもヤツらの十八番なんだが、
「反差別? カンケーねえ! おまえがムカつくんだよ!」
と、いうマイノリティの素朴な怒りは抑圧されるべきではない。意識が高い人しか差別に怒れない現状が大きな問題なのだ。
【暴言で発言しやすくなることがある】
わたしは一応、あまりモラルに反することがないよう注意しているのだが、もともと繊細さに欠く人間なので、たまにやらかす。またやらかすのがイヤで口が重くなり、発信をやめている時もある。
そんな時、自分よりもやらかすタイプの人の暴言に、
「わたしはここまでめちゃくちゃ言わないな。気にせず発信していこう!」
と、勇気をもらうことがよくある。
マジョリティが「露悪発言のチキンレース」さながら、ものすごい勢いであらゆる差別を拡大しているが、マイノリティやいわゆる人権派と呼ばれるような人たちは自浄&自省しまくりだし、もとより大して権力がないので、もう少し雑になってもそう酷いことにはならないのではないか。「正義の暴走ガー!」と騒ぐアホがたくさんいるが、マイノリティの暴言によって虐殺が起こった例なんてないだろう。
「スキのない人しか語れない反差別 vs タブーがなく言いたい放題の差別ヤロー」
という戦いでは、後者の意見がネットやマスコミに溢れるので、明らかに後者に有利である。
大衆的な言葉で「女叩き」にブチギレている人たちの口が軽くなるようなフェミニズムが今、求められている。
わたしは彼女たちの仲間でありたい。