ヘビににらまれ黒を白に・あるものをないものに
森友学園問題の全容も明らかにされないまま、加計学園疑惑が浮上。
安倍政権は国家戦力特区に獣医学部の新設を半世紀ぶりに認可したことに関連して、5月17日、朝日新聞が文科省が特区を担当する内閣府から「官邸の最高レベルが言っている」、「総理のご意向だと聞いている」などと言われたとする記録を文書にしていたと報じた。5月19日、松野博一文科相は、「該当する文書の存在は確認できなかった」とする調査結果を発表した。その調査方法といえば、19日に7人に1人あたり10分から30分聴き取りをし、電子データは専門教育課の共有フォルダーだけを調べた、という…。個人管理のパソコンのデータも調べず、共有フォルダーの削除履歴も調べず。それで調べた、追加調査は必要ないと言われても…。民進党ならずとも「恣意的で、結論ありきの調査だ」と反発したくなる(「「『総理のご意向』文書確認できず」加計問題、文科相の発表に民進党は反発」朝日新聞デジタル2017年5月20日 )。私たちの目の前で、あるはずの文書がないものとされてしまうのか。民主政とは…。
めまいがしていたところ、1月まで文科省事務次官だった前川喜平氏が、5月23日に朝日新聞のインタビューに応じ、上記の記録を、「自分が昨年秋に、担当の専門教育課から説明を受けた際に、示された」とし、「総理のご意向」「官邸の最高レベル」などの文言について「誰だって気にする。(文科省側が)圧力を感じなかったといえば、うそになる」と語ったことが、報じられた(「加計学園文書「昨秋に示された」前文科次官が証言」朝日新聞デジタル2017年5月24日21時54分)。前川氏は、同月25日、記者会見を行い、文書の存在を「間違いない」と認め、特区での選定をめぐる経緯について「公正公平であるべき行政が歪められた」と指摘した。「赤信号を青信号だと考えろと言われて赤を青にさせられて、実際にある文書をないものにする。いわば黒を白にしろと言われているようなもの」。「現在の文科省については、官邸、内閣官房、内閣府といった中枢からの要請について逆らえない状況にある」(「[加計学園]前川喜平氏、会見で圧力語る「黒を白にしろと」学部新設の方針「暗黙の共通理解あった」朝日新聞デジタル2-17年5月26日9時52分
)。どの言葉も、薄々感づいていたものの、事務方のトップ経験者が証言したことに意義は大きい。
日経新聞の世論調査では、加計学園問題につき、政府の説明に「納得できる」18.6%、「納得できない」81.4%に対し、前川氏の説明に「納得できる」74.1%、「納得できない」25.9%であった。アンケート回答者から、政府に対し、「完全否定ばかりでなく、もう少し再調査もしたうえでわかりやすく説明を」という意見などが寄せられている。全くである。その後も様々な事実が報じられているが、松野文科相は、文書の再調査の必要性を否定し続けている(「文科相「官邸の最高レベル」文書再調査の必要性を重ねて否定」NHK 6月6日12時06分 )。なぜそんなに頑強に再調査をしないのか。再調査したら、簡単に出てくるからだよね、と誰もが思う。「官邸の最高レベルが言っている」と伝えられた文書を共有するために文科省内で送られたとされるメールの写しについて、文科省は6月5日、送受信者欄に名前のあった10人全員と同姓同名の職員が実在することを認めた。それにもかかわらず、再調査を拒否という無茶苦茶さ…(「送受信欄の10人、実在 文科省「同姓同名職員いる」首相、再調査は拒否 加計文書」朝日新聞デジタル2017年6月6日5時00分 )。確実にないなら、再調査してもないものはないはずなのだ。あるとわかっているくせに…。首相の「腹心の友」が理事長を目指す獣医学部の新設につき、官邸から圧力が加えられたのではないか。皆がもうほとんど真っ黒に近いグレーの心証をもった事実を誤魔化しきろうと必死なのだ。前川氏によれば、文科省の立場は、「ヘビににらまれたカエル」なのだから(「岡山・加計学園 獣医学部新設問題 前川氏「官邸強すぎ」文科省はヘビににらまれたカエル」毎日新聞2017年6月4日朝刊)。
既に監視され情報が支配されている
加計問題自体もいくらでも語るべきことがある。しかし、今回心底震撼とした読売新聞の記事について取り上げねばならない。5月22日、私のiPhoneに立て続け諸々のニュースアプリから前川氏の「出会い系バー通い」を報じる不可思議な読売新聞の記事が表示された。なんだこれは…。瞬時にピンときた。これは…。まさか…いくら読売でも…いやしかしそのまさかにほかならないのでは…。私は震えながら読売のその記事をシェアしながらFacebookのタイムラインに書いた。
「いま、ある意味話題沸騰の記事。
独裁政権下での報道を読み解く力がついてくる。以前担当したビルマの民主化運動をしていた人からきいたコツをリアルに感じる時代になるとは…(-_-)。」
前川氏はこのリークを意に介さず、インタビューや記者会見に応じた。6月4日の報道ステーションインタビューでは、座右の銘は面従腹背、今は面背腹背、「表現の自由を100%享受できる喜びは大変なことですよ」と語った。ああああ…、そうよ、民主政を支える表現の自由。前川さんが「38年宮仕えの後獲得した表現の自由」、宮仕えに縁のない私たちはフルに享受できる。しかし、ひょうひょうと楽しげに見える前川氏だって、本当は並の覚悟ではないはずだ。あえて、あるものがないとされる事態にスルーしてリタイア生活を満喫していても、誰からもにらまれず、静かで穏やかな生活が送れる。役人時代のお仲間から縁を切られることもない。しかし、ないものがないとされることは、それがあると知っている以上、さすがに見逃せない。良心のある人として、当たり前のことのようで、当たり前ではない。
「読売新聞は「ポチ新聞」に成り下がった」(「官邸の意を受けた読売、産経、週刊新潮のみごとな連係プレー 首相の便宜供与 火消しに大わらわ」2017年5月25日 JCASTテレビウオッチ 元木昌彦)、「読売記事の掲載は、動機・目的が、時の政権を擁護する政治的目的としか考えられないこと、記事の内容が客観的事実に反していること、そのような不当な内容の記事の掲載が組織的に決定されたと考えられること、という3点から、過去に例のない「新聞史上最悪の不祥事」と言わざるを得ない。」(「読売新聞は死んだに等しい」2017年6月5日ブロゴス 郷原信郎)、等、厳しい批判が読売新聞に向けられている。しかし、読売新聞は、反省することなく、6月3日付け朝刊で、「不公正な報道であるかのような批判が出ている」が「こうした批判は全く当たらない」と菅官房長官お決まりのフレーズを使って居直る原口隆則社会部長の「反論」らしきものを掲載した。当然のことながら、世の中の納得を得るどころか、ますます炎上している。
原口社会部長曰く、前川前文科事務次官が出会い系バーに出入りしたことは、「公共の関心事であり、公益目的にかなう」とし、「これからも政権・行政の監視という報道機関の役割を果たしていく」と…。本気でそう書いているのか。自嘲的なブラックジョークではないのか。ネット上の反応のように、「公共の関心事は出会い系バーじゃない」(「「出会い系バー報道」、読売新聞が批判に反論もネットやTVで大不評」JCASTニュース2017年6月4日)。安倍政権の大臣の下着窃盗や副大臣の買春はなぜ報じなかったのか等ツッコミどころ盛りだくさんであるが、そもそも、公共の関心事は、「総理のご意向」のもと、総理の「腹心の友」のために行政がゆがめられたか否かではないのか。その点について発言を始めようとした前川氏のスキャンダルめいたネタをあえてこのタイミングで流す読売新聞の姿勢に大いに疑問を抱く。そういえば、自民党の改憲草案13条は、公共の福祉ではなく、公益及公の秩序に反しない限りで、それも個人としてでなく単に人としてのみ尊重される、とする。個人でなく、何らかの組織(ひいては国)の構成員として尊重されるということに転換すれば、13条の意味は全くなくなってしまうというのに。そして同じく以前より改憲を求め、5月3日には安倍首相の改憲インタビューを無批判に載せた読売新聞の社会部長が、市民にとっての関心事とはほど遠い出会い系バーを堂々と「公共の関心事、公益目的」というのは、すなわち、自民党改憲草案の「公益及び公の秩序」と同様、為政者の恣意的な関心事、利益を意味するのではないか、とはたと気づく。
そして、共謀罪の審議が切羽詰まった情勢の今、前川氏についてのこの謀略的スキャンダルに、危険な兆候を見出す人は多いはずだ。
青木理氏らが前川氏に対し5月29日に行ったTBSラジオのインタビューでのやりとり。
青木:もう1つ。出会い系バーに通っていたと言われて。在職中に警察庁出身の杉田官房副長官に言われたと。どういう印象を受けました?
前川:まったく私的な行動ですから。どうしてご存知なのか、とにかく不思議に思いました。
武田:政府が何らかの形で行動確認をしていた可能性があるってこと?
前川:その辺は、私は全くわかりません。とにかくご指摘を受けた時には驚いたと…。どうしてご存じなのかと。
なぜ、官邸はこのような「まったく私的な行動」を把握していたのか。青木理氏の「共謀罪で変質する公安警察の研究」サンデー毎日6月18日号によれば、警告を発した杉田官房副長官は、公安警察の中枢を歩んできた経歴を持つという。公安警察が高級官僚のプライベートを調べるのは既に珍しいことではなくなっている。把握された情報は、いざというときに「恫喝」の材料につかわれるのである。冷戦体制が終焉を迎えたのち、「反共」に軸足を置いてきた公安は存在意義を失いそうになった。官僚組織でもある公安としては、組織と権限の縮小は避けたい。そこで、「反共」から脱皮し、与野党問わず政治情報を広範にかき集めていくことで存在感を誇示できないかと画策を始めた。そして、特定秘密保護法は、特定秘密を取り扱えるか否かの「適正評価」にあたって公務員のプライバシー情報を「当該行政機関の長」が調査するよう定めるが、結局それらの情報を収集できるのは公安であり、いずれは公安の権限が大幅に押し広げられることになる。
そして、共謀罪。「プライバシーや表現の自由を不当に制約するおそれがある」と得た情報に基づいて懸念を示しつつ4つの質問を行う書簡を国連のプライバシー権に対する特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏から送られた日本政府は、あろうことか、「不適切な内容だ」と不快感を示した(「共謀罪 国連特別報告者の書簡 野党は新たな攻撃材料に」毎日新聞2017年5月23日)。ケナタッチ氏の質問に淡々と答えればよいものを、「抗議」とはいったいどういうことだろうか(まさのあつこ「菅官房長官、国連特別報告者を「個人」呼ばわり、「質問」に抗議」)。
様々な懸念に答えず、「抗議」で対応。批判に背を背けている点で、国会で「印象操作」を連発し、事実上答弁をしない首相の態度とまさしく同じ(まさのあつこ「安倍首相、質問に「印象操作」で反論16回」 )。
懸念が払しょくされないまま、私たちを監視し、さまざまな情報をかき集めた公安が、一体何をするのか。誰もが前川氏のように、「とにかく不思議に思いました」と言いながらことさら怯えずスルーして、「ないものをあるということはできない」とオープンに言えるほど勇気があるわけではない。
実際に、唐突に出会い系バー通いという個人情報を、世界最多の発行部数を誇る読売新聞に報じられたのである。ふつう、チョービビる。怖い。小田嶋隆さんのように、「政権に弓引いた者の末路」を見せつけ、「これ以上のリーク」を牽制したのではないかと思わずにはいられない。「政権にとって不都合な情報をリークする人物」がどんな仕打ちを受けるかのモデルケースが可視化されたのだ。そのモデルケースが示されたら、前川さんほどの腹がすわった人でなければ、とりあえず、何もかもやめておこう、となる。自分が政権が目をつけるような大物ではないとわかっていても、近所の子どもにうっかり声をかけようとは思わないし、路上に一眼レフを持ち出そうとも思わない、という小田嶋さんのように、小心者の私も、あっという間に、これもあれも止めておこうかな、と思い始める。その後、前川氏がどんなに「いい人」かを示すエピソードがあふれ出し、週刊文春では出会い系バーで前川氏と出会った女性が前川氏に相談に乗ってもらったこと、「前川さんのおかげで今がある」とまで言い、出会い系バーネタですら前川氏が言うように「実地調査」であった模様で、官邸のレッテル貼りは失敗したといってよさそうだ(「官邸のレッテル貼り失敗 前川前事務次官“いい人”エピソード続々」日刊ゲンダイ2017年6月3日)。しかし、たいがいの人は、そんなに「いい人」ネタがあふれることに自信はもてず、前川氏に関する官邸のレッテル貼りが失敗しても、安心できない。
やはり、やめておいたほうが無難だな…。
「権力はどんなことでもやってのけると、私にそう思わせた時点で、彼らの勝ちなのだ」(小田嶋隆「出会い系バーに出入りした人の“末路”」2017年5月26日日経ビジネスオンライン)。
共謀罪が成立したら、私たちはますますそう怯えてしまう。このまま、成立を待つしかないのか…。立ちすくむ。