異動して一ヶ月。早起きにも慣れ・・・と、言いたいところだが、残念ながら眠たい日々が続いている。これまでの人生で3番目に眠たい時期かもしれない。一番眠たかった時期は、大学の4年間。平日の睡眠時間は一日4時間だった。片道1時間半以上かかる電車通学(乗り換えあり)に加えて、一日4コマの講義が終わってから、家庭教師のアルバイト、大学の講座の予習や演習の準備などをして、午前2時に就寝。大学受験の勉強をしていた高校生の頃(これが、人生で2番目に眠たい時期)よりも睡眠時間が短い大学生活になろうとは、当時は夢にも思っていなかった。
そしてこの一ヶ月の眠たい日々。23時10分就寝、5時10分の起床・・・で、6時間睡眠を確保するつもりが、なかなかそうはいかない。5時10分起床は、クリアできているものの、23時10分就寝がなかなかできない。それでもなんとか、一ヶ月間寝坊せずに早起きできた自分をほめてやりたい気分だ。
もともと夜型な体質で、いとも簡単に昼夜逆転してしまう本来の自分を押し殺し、平日は早起きに徹して生きているが、早寝は本当に苦手だ。起床時間を守る一方で、眠りに落ちる時間が遅くなれば、当然睡眠時間は短くなる。かくして、人生で3番目に眠たい時期は続いている。気を抜くと二度寝するかもしれない・・・などと、恐怖心にかられながらの日々。5月病にならないうちに、早く脱出したいものだ。
さて、5月といえば、ゴールデンウイーク(もう終わってしまったが)、憲法記念日。今年は憲法施行70周年だ。憲法記念日に憲政記念館と国立公文書館を訪れた。まずは憲政記念館(尾崎行雄メモリアルホール)。正面玄関入り口そばに、尾崎行雄のブロンズ像があった。ブロンズ像の制作者は朝倉文夫。九州出身(大分県)で、親近感を覚えた。
尾崎行雄は「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれる人物だ。25回当選、63年間衆議院議員を務めたそうで、アメリカ合衆国のワシントンに桜の苗木を送ったことでも知られている。この尾崎行雄の業績を称えるために作られたメモリアルホールを、「永田町1丁目1番地」につくるというこだわりがあったと、今回初めて知った。
議会制民主主義の黎明期から60年以上にわたり議員を務めた尾崎行雄は、次のような言葉を残しているという。「良い憲法さえ作れば国が良くなるなどという軽率な考えを以て之に御賛成になりますると非常な間違いである。憲法で国が救われるならば、世界に滅亡する国はありませぬ。良い憲法を作ることは洵に容易なことである。しかしこれを行うことは非常に難しい。・・・(中略)・・・此の根本を改正するのには、どうしても教育の力に依るより外に仕方ない、それでなければ如何に憲法を良くしても、それが良ければ良い程実行は出来ない」『尾崎行雄伝』(伊佐秀雄著)。「憲政の神様」も教育の重要性を説いていた。本当に同感だ。
次に訪れた国立公文書館。日本国憲法の原本が特別展示されていた。
やはり、本物を見ると感慨深い。これが憲法のはじまりで、ここから全国各地の人々のもとへ広がっていったのだ。そして世界各国が日本の平和憲法の存在を知るようになったのだ。「言葉」を文字にして書き記すことの重要性を再認識した。
憲法の原本を見つめていたら、「言霊(ことだま)」という言葉が、自然と浮かんできた。心に思っているだけではだめで、言葉にして初めて、文字にして初めて、少しずつだが確実に広がっていくのだと思った。
展示室には、日本国憲法が公になる前の、昭和21年3月6日の幣原喜重郎内閣総理大臣(当時)の講話も展示されていた。この内容は、憲法第9条に通じる内容だった。原文は旧漢字・カタカナだが、常用漢字・ひらがなにして掲載する。
「(前略)世界史の動向は、実に永年に亙って人類を苦しめたる、動乱より平和へ、残虐より慈悲へ、奴隷より自由へ、横暴より秩序へと徐々にではありますが、然し逞しき巨歩を進めつつあるのであります。(中略)
我等は新たに制定せらるべき憲法に於て、我等の誠意と道義とを披瀝し、全世界の人類に魁けて、戦争を絶滅すべきであります。即ち国家主権の発動としての戦争は、永久に之を放棄し、叨(みだ)りに武力を行使し 又これを他国との紛争解決の具とせざることを中外に宣言すべきであると信じます」
幣原喜重郎とマッカーサーとは文書のやりとりもしていたらしいので、「戦争放棄」はアメリカからの押しつけなどではないことが、この文書からもうかがえるのではないか。
同じ日、2020年の新憲法の施行をめざしたいと安倍首相が言っていたと、後日ニュースで知って驚いた。憲法第99条を全く無視した言動だ。尊重擁護の義務を負うのは、国民ではないということを、いまだ把握していないのだろうか。
念のために、憲法第99条を確認しておくと・・・
第99条 天皇又は摂政および国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
首相自らが改憲への道筋を示すとは、全く以て憲法違反。尊重し擁護しなければならない立場なのに、自ら率先して変えようとしているとは。今回の発言では、憲法九条の1項と2項は変えずに、新たに3項を加えて自衛隊を明記するということと、高等教育を無償化することを盛り込むと言っていた。
高等教育ではないが、憲法を変えるまでもなく、中等教育(高等学校)の授業料の無償化は、民主党(当時)政権下で実現した制度だった。しかし、その後の自民党政権によって、高校授業料無償化の制度は改悪された。いまの高等学校には、保護者の所得によって、授業料を払わなければならない生徒と、払わなくてよい生徒とが混在している。
中等教育の無償化でさえも反対した自民党なのに、いまなぜ全く逆の姿勢を示して、高等教育の無償化を言い出したのか。わざわざ憲法を変えなくても、無償化しようと思えばできるはずなのに。
しかも、身の丈の予算内で実現しようとする無償化ではなく、「教育国債」(はっきり言って借金だ)で対応するという。「子ども保険」などというものも近い将来導入しようとしている同党。あの手この手で新たに国民負担を強いる手法を用いていながら、一見すると「いい制度」のように国民の目に映るように企みをもって提示していないか。
2020年、東京オリンピックの年に新憲法の施行を狙う手法は、スポーツを国家発揚に利用したヒトラーを彷彿させる。5月病にかかっている場合ではなく、本気で護憲の機運を高めなければ、「いつか来た道」を歩まされてしまうと、眠たい目をこすりながら考えている。