YURIさんのフェミカンルーム82 母の老いと忘却
2024.02.20
季節ごとのコラム、とのんびりしていたらいつの間にか春めいた、どころかまるで春! の日差し。急ぎ、冬のコラムです。年が明けて<ルームさらん>のFacebookをそっと仕上げたものの、手術後のリハビリを口実にまったり冬ごもり、が長すぎました。
独り暮らしだった母がケアハウス(自立支援施設)に入居して(というか、入居させて)そろそろ1年、91歳。健在です。高齢者施設に入ったことで、娘として思うことや母と子ども6人のそれぞれの関わり、これまでの母の人生、いつか来る見送りのとき…あれこれ考えるものですね。
さてさて、1年前はからだと心の不調で、「もうお迎えが来る…」とかしょっちゅう言うので、その日も近いのかと心の準備をすることもありました。あちこち医者に通い「こんなに飲んでいいの?」と思うほどの薬をもらい、自分でその管理もできなくなっていた人が、実は、なんとすごく元気になっちゃって、ビックリなのです。今は月1回かかりつけ医への通院だけ、睡眠薬不要。服用してるのは便秘薬のみ! 12月に叔母(母の3歳下の妹)が亡くなってちょっと落ち込んでたけど、それほどでもなかったし…。
「あの人はガンやった。わたし、どっこも悪くない」って、ケロッとしてる。いや~、すごいわ。どないしたんって、思いません?
まさに91歳、母、復活!の巻。
ケアハウスは自立生活ができる人の施設。母の場合、まだセーフで入れてホッとした。大きな窓の明るい施設の部屋は、小さな流し台、わが家より広い洗面所、トイレ、浴室とたっぷりの収納スペースが備わっている。十分快適な空間です。食事は1日3食食堂で、週1回ヘルパーさんに掃除に来てもらい、デイサービスにも(いやいやながら)通うようになりました。
非課税世帯の利用料金は最低ランク。自治体の補助もあるため、母がコツコツためていた預金とわずかな年金で、当分は母のお金で賄っていける。お金の管理は三女M美さん。外出は自由で、M美が通院や買い物、食事に週1回連れ出して気分転換につきあっている。今はスマホでいつでも連絡をとれるのでホンマ助かります。
母の大きな変化は体重が見事に激減したこと。15号のパンツをはいていた人が、今は11号でもブカブカ。入居半年くらいから目に見えてやせてきたのは、健康的な施設の食事のおかげでしょう。
「わたしはなんでもおいしくいただいてる。文句なんかないで。せやけど、粗食や、粗食」これ、口癖のようにおっしゃる。ん、ほんまは不満なんや。独り暮らしで好きなものを好きなように食べていたT子さん。
「それは粗食やなくて、健康食なの!」とM美と声を合わせて合唱~。栄養管理、カロリー計算の食事のおかげ!
「健康になったのよ、ありがたく思いなさい、おかあさん」
このごろ、今言ったことは忘れるし、同じことを何度も聞くし言うようになった母。誰にも訪れる老いの進行って、こうなっていくんか…それを目の当たりにしている。でも、以前のような泣き言や不安を言わなくなってるなあ…。母はもともと泣き言をいう人ではなかった。辛抱とガマンと忍耐の人だった。そりゃ苦しいはず。10年前に父が死んで、やっと自分だけの人生時間がまわってきた。
母の91年の人生には屈辱的で忘れようのない経験があった。それは姑である祖母や伯母たち(父の妹たち)から受けた仕打ちの数々だった。哀れな母を守るどころか、非力で身勝手なマザコンの父にも母は絶望し続けた生活だった。当時のおんなたちにはありがちな「嫁」残酷物語を語らせれば、じゃ~ん、と幕が上がる。聞きたくもない同じ話しを何度聞かされたことでしょう。ただ、子どものわたしでさえ、父の親族に親近感がもてなかったのは、その人たちの人間性と無縁ではない。彼女たちが母を見下して苛めていることは子どもから見てもわかったし、母の子である私は可愛く思われないのは当然で、それもわかっていた。もうとっくにその人たちとの縁は切れてるのに、母は自分の腹の中に居座るトラウマを解消できず、捨てきれず、引きずってしまいこんでいた。そんな母の「恨(ハン)」は理解できる。だけど、もうそのことにつきあいたくない、境界を引くと決めた。母のトラウマはわたしに簡単に侵入してくることに、その影響の強さに気づいたから。母の怒りや無念は彼女のもので、わたしのものではない。それをわたしのものにしてはいけないと思ったから。
年をとって、忘れることが増えるのは悪いことばかりではない。いやなことを忘れるって、すごくありがたいじゃないですか。忘れられたらどんなにいいか、と思ってても、忘れられないから苦しいし辛いしいやになる。いつまでも何やってるんだろ、とそんな自分が情けなくなる。考えても仕方のないことをグズグズ、ウツウツ、いつの間にかまた囚われて落ち込んでたり。そのループから抜け出すのは、一人ではなかなか難しいのです。高齢化による「忘却」の症状で、母はその煩わしい記憶を捨てられたのだろうか。それとも、「もうええわ」と、囚われていたあほらしさに気づいたのだろうか。しつこかった「嫁」まつわりの忌まわしいトラウマは、どこかふっきれてきたようにみえるから。
「そんなこと、もうどうでもええわ」そんな境地にたどり着いたかのようにみえてきた。
コラムを書くのに、あらためて母に聞いてみた。
わたし「おかあさんのこと、書こうと思うてるんやけど」
母「はぁ? わたしのことなんか、書くことあるんかいな? そんなん、だれが読むんや」
わたし「ええんよ、わたしが書きたいんや。 ここ(施設)に入ったこと、今はどう思てる?」
母「そやな~、もうここがわたしの居場所、わたしも安心や。あんたらも安心やろ?」
わたし「うん、そうやで。よかったわ、そう思えるとこにいてくれて」
月に1度、母に会いに出かけている。車で往復5時間、日帰りでもなんとか行き来できる距離である。
「今日は何食べたい?」好きなものを作って持って行くこともあれば、大好きなお寿司やお肉は外食。なんでもおいしそうに、うれしそうに食べる母がなんともかわいらしい。人はこんなふうに、だんだん子どもに、あかちゃんのようになっていくのですね。だからかわいくみえるのか。
先日、遠方に住む四女と姪が1年ぶりに帰省したので、賑やかな食事会になった。いつでも帰ってこられる実家があるのはありがたい。
わたし「この家で、老後を姉妹で暮らすのも面白そうやな~」(4人姉妹です)
母「あんたらの別荘にしたらええやん~」母、満腹で満足そうなり。
妹M美「おかあさん、その調子やったら100まで生きるかもな~」
母「それも困るな~」(全員爆笑🎵)
※会話は関西ことば(実家は滋賀県)です。