電車やバスに乗った時、他の席が空いているのにも関わらず男性が隣に座ってきて不愉快な思いをした経験はありませんか? これ実は韓国や日本など「女性の人権が低い国」でしか起きない現象なんです。
日本や韓国に住んでいた頃、私は自分の隣に男性が座るのが大嫌いで、席に座らず立ったまま移動することが多かったです。大体の席が空いている時にわざわざ隣に座ってくる場合は明らかに怪しいと確信を持つことができるのですが、いくつかの席しか空いていなくて、特に他の席は同じ男性の隣しか空いていなかった場合は「やっぱ男同士だから狭いし女性の隣に座りたくなっちゃうのかな?」とか思いながらなんとか相手を理解しようとし、不快を感じる気持ちを優先できない自分がいました。しかしその不快感は決して私の気にしすぎではありませんでした。それをオーストラリアに来て知りました。
オーストラリアではバスでも電車でも男性がわざわざ女性の隣に座ることはありません。男性の隣が空いていれば当たり前に同性の隣に座るし、満員で女性の隣の席しか空いてない場合は仕方なく座るとしてもできるだけ体を丸めて隣の女性の体に決して触れないように気を付けてくれます。白人の男性の方がアジアの男性より体格も大きいのにですよ? 普通に考えたらやっぱり同性同士を楽に感じるのが正常ですよね?
隣に若い女性が座っていればわざわざ脚を広げて太ももを当てようとしたり、大げさに携帯をいじりながら肘で女性の胸や体に触れようとする日韓の男たちとは大違い。しかし痴漢のつもりがなくても、韓国の男は女性の隣を選好する理由として「楽だから」だといいます。同じ男性の隣だと絶対譲ってもらえないのに、女性の場合は男が楽に座っていれば勝手に席からどいてくれたりして席を広く使えるという事でした。それは韓国社会が息子たちを育てるときに可愛がり過ぎたあまり、他人への配慮が一切できない最強に自己中な男を作り上げてしまったからです。
オーストラリアで道を歩くだけでもそれを感じることがあります。普通の人は道を歩いている時に逆方向から人が来たら相手にぶつからないように少し方向をずらして歩きます。しかし向こう側から絶対に方向を曲げず一ミリの躊躇もなくスタスタとまっすぐ歩いてくる男がいたら100%韓国の男です。その自己中心的な考え方はどれだけ海外での生活が長くても直りません。ドアを開けるときも他の人がいれば相手のためにドアを開けてあげるのが当たり前のオーストラリアですが、この前は私が両手に荷物を持ったままやっとドアを開けた瞬間、ある男がまるでそれが当然であるかのように先に建物に入ってくるのを見てため息が出ました。やっぱり韓国の男でした。しかも彼の後ろには自分の赤ちゃんを抱いた女性が立っていました。他人はともかく身内も気にしないくらいの恐ろしい自己中さですね。
それがただ道を歩いたり交通機関を利用したりと「すれ違うだけ」の一瞬の出来事ならまだマシなのですが、問題はそれにとどまりません。韓国の男性たちの異様さは映画を見る女性たちにまでその汚い手を伸ばしているのです。ある日、女性が多く使うあるサイトにこんな投稿がありました。投稿者の女性は一人で映画を見るのが大好きでいつもオンラインで予約をしていました。その日は平日の早朝で席の9割以上が空いているのにも関わらず、ずっと誰かが隣の席を予約してくるというのです。何回か座席を変えて予約をし直しても、しばらくするとまた相手も予約内容を変え自分の隣の席についてくると。そして当日そこに現れたのは30代に見える男性だったらしいのです。
その投稿があってから、同じ経験をしたことがあるという大勢の女性たちのコメントが投稿されました。映画を見る人が6人くらいしかいなかったので、楽にくつろいで見るためにわざわざカップル席を予約したら隣に知らない男性が座ってきたとか、ずっと自分の隣に予約を入れる人がいたから他の空いている席に移動して映画を見ようとしたら「カップルのポップコーンセット」を買って周りをキョロキョロしながら元の自分の席を徘徊している男性を見かけたとか、めんどくさくて席を変えず座っていたら隣に座ってきた男性がしつこく声をかけてきて怖かったとか。普通に考えて気持ち悪いですね。
しかし男性が多く使うサイトでは全く逆の投稿が相次ぎました。映画を一人で見るのは女性の確率が高いため予約サイトで一人ポツンと予約されている席があればその隣を狙うといい、まれに男の場合もあるけど大体は女性と一緒に映画が見れるのでお得だ、などという経験談が並んでいました。中には、女性の隣だと匂いもいいしデートで来ているカップル達の中で自分もカップル気取りで映画が楽しめるから良いとかの感想もありました。そこに女性たちが気持ち悪いと反発すると、自分のお金で自分で予約をして席を取っているのに何の問題があるのかと逆切れしてきます。自分のテリトリーを守ろうとする女性たちを「被害妄想に走る変な女」「狂ったフェミニスト」だと追い込んでいるのです。本当に、相手の気持ちを配慮するという考え方を一切持ってないからこそできる発言ですね。
身の安全を考えたことがない男からしたら大した事ないかもしれない「お隣席問題」。しかし女性ですら身の安全を考えすぎず暮らせるオーストラリアでは発生しないお隣席問題。何かアイロニーではありませんか? それは男の自己中心的な思考が女性の安全を害する一番の要素であるという結論にも繋がるのではないでしょうか?