ひとりでカナダ大学生やりなおし~アラフォーの挑戦 Vol.17 直近の被ハラスメント体験
2024.02.08
40年近く生きていると多くの人がそうなのではないかと思いますが、私にもいくつかの被ハラスメント体験があります。今、直近のヤツが一区切りついて大分ほっとしているところです。今回のものは突然降ってきたものではなく、10年来の友人から受けたものだったので終わってみて物悲しい気持ちがありますが、終わったものは終わったものですね。しょうがないと思います。
私は今年5月にオンライン精神科クリニックをオープンする予定なのですが、オンライン専門のクリニックであっても対面診療をするための設備を整え、医療機関である認定を保健所からもらう必要があります。そのため物件内に壁を設置するなど工事をせねばならず、長年の友人である一級建築士の男友達Aに連絡し発注することにしたのです。始めはお互いさわやかに仕事を始め、Aも段取り良く保健所に電話していたりして「さすが一級建築士、頭いいもんなぁ。頼もしい」などと思っていたのでした。
それが昨年の4月。そこから少し風向きが変わり始めたのが8月頃、壁の材質の変更を保健所に言い渡され、それをAに伝えたところ、「すぐに電話して(溜め息)。はっきり言って困っているから」と、まだ材料を揃えてもいないのにあたかもものすごい深刻な事件が起きているかのように伝えられました。「こういうのは直接会わないと決められないから」となぜかZoomでの打ち合わせに難色を示され、私への責め口調もあったので「この人は変更に弱いのだな…」と思い、私もびくびくし始めていました。
その後、納期は年内と決めてから11月になっても工事を進める様子がなかったため、私の方から「大丈夫なの?」と様子をうかがったところ「2、3日あれば余裕だから」との返事あり。ところが案の定12月26日になって年内に終わらないという連絡があったので、「年越しちゃうんですか。心配です。できるだけ早くお願いします」と返したところ「じゃぁ年内にやります」と返信が来て、それから彼が超・不機嫌になりだしたのです。12月27日に私が小さな変更(後付けの鍵の発注取り消し)をお願いしたところ、彼は
「発注者として発注に関する資料の発行をお願いします」
「変更多すぎます」
「異常です」
「通常は、/注文書/発注書/注文請書/変更仕様書/が必要となるレベルですね」
「発注書は当たり前の文書です/発注者が発行するものです/修正版として提出お願いします/簡易形式で結構です」
「変更をするのであれば、公文書として、発注変更仕様書を発行しないといけません」
「発注書に関しては、ご自身で勉強してください/任意発注においては義務ではありません/初めと仕様が違いすぎてます/本来であれば発注者側自身で作成するのが発注仕様書です/それについて老婆心でこちらから催促しています」(原文ママ)
と怒涛のような連続LINEをしてきました。
あたかも私が「発注書」なるものを出していないのが非常識とでも言いたげな様子に驚いて、私はこのように返しています。
「見積書の後から変わったのは、今回の鍵の件だけだと思いますけどね。私から見ると納期ギリギリになったAさんがパニックを起こしてるようにしか見えませんが違いますか」「発注書に関しては勉強するので時間をください」
そうしたらなんと彼から、
「その必要はありません」
「後学のために伝えます/発注仕様の変更はメッセージやメールでのやり取りでもOKですが、発注者又は請負者が発注書または請書の発行を求めた場合は発行する必要があります/伝達手段が煩雑になって、記録の切り抜きや捏造が可能になったため、記録単体でのエビデンスの担保性が低くなったためです/覚えておいてください」と返ってきたのです。
意味が全く分からなかったので、他の建築士の友達に発注書は必要なものなのか尋ねたところ「発注書のやり取りは、それこそ支払い遅延を回避するやり取りなので、A君は変な事言ってるな〜先払いしているのに。私の業者も私も発注書を求めた事はありません」とのことでした。すでに手付金を支払っている発注者(私)に年末の12月27日になって発注書を要求するなんて話はやはりおかしいのです。なので発注書は作りませんと断った後も、
「発注者としての慣れとスキルの問題ですね/まぁ、こう言うことをやるのが初めてでしょうから、仕方ないと思いますので丁寧に教えながら進めていましたが/ここまで軽く変更や追加をするのは無いですね/ここまでポイポイ送ってくるのは異常ですね/通常では無いですね」
と繰り返し責められたのです。
※二度目ですが私が変更をお願いしたのは鍵の後付けの取り消しだけです。
ここまでのやり取りを読んで読者の方はどう思われるでしょうか。当事者の感じたことで言うと、まず発注書云々に関しては反射的に「私が無知だから怒らせているんだ」と思ってしまいました。数時間後、冷静になって建築士の友達に意見をもらってから気が付きました。完全にガスライティングされそうになっていたのだと。
その後「知識格差を利用したハラスメントはしないでください」という旨の長文メールを送り、しばらく恐喝はなりをひそめていた(でも依然不機嫌で、壁の出来上がりもコメントなしで写真が送られてきただけ)のですが、今年1月になってからまたハラスメント口調になってきたので、最後に物件の鍵を取り戻した後に再度長文で「納期に間に合わないことを指摘されたからといってハラスメントするのはおかしいです、仕上がりはよいが満足度は最低だ」という旨のメールを送りました。(今ここ)
今回しみじみと思ったのは、攻撃性のあるハラスメントとはガスライティングの要素を必ず含んでおり、反射的に相手に「私が悪いんだ」と思わせる毒性があるということ。わかる人はそれを意図的に悪用しているし、ナチュラルにそれができてしまう人もいるでしょう。このような時、10代20代の私は飲み込んだり我慢したり逆に崇拝してしまったりして、必要のない苦しみを受けたことを今では悔しく思い出します。若いということはどうしようもなくやわらかく吸収しやすく、自信もないので、今思うと馬鹿馬鹿しい言い分もただわからず取り込んでしまうのです。でも、自我がもろかったと自分を恥じる必要はないですね。若いってそういうものですから。徐々に年を取って境界を建てることができるようになってきた、そのことに自信を持とうと思います。
この話は次号に続きます!
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