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TALK ABOUT THIS WORLD ドイツ編 雪と雷 

中沢あき2024.01.29

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遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

12月から1月前半はガッツリと日本で過ごしていた。12月後半に、関西付近の映画作家たちや映像関係者たちを訪ねた足で、北陸まで行き、山の中の温泉街に移住した友人一家を訪ねた。昔の同僚でもあった友人は東京、ドイツ、そして今は出身地に近いところに家族で移住し、アートプロジェクトを営んでいる。地元に近いとはいえ、東京でもドイツでも街中に住んでいた彼らが、繁華街などない田舎の街でどんな展望を持ってどんな暮らしをしているのか、話を聞きたくて訪ねていった。温泉がいくつかあり、ホテルや旅館がいくつか並ぶ、まさに古き良き温泉街で、コロナ以降は客足が戻ってきているらしいが、駅前の大通り沿いの建物は古いものがほとんどで閉業したような様子の店も目についたし、大きなホテルの建物も自分の子ども時代を思い出せるようなかなり懐かしい趣のものである。

12月の前半は日本全国どこも、記録的な暖かさだったというのに、この時は急に寒波が襲ってきて、私たちが訪れたときは大雪の予報が出ていた。駅に着いたときは雨だったのに、迎えにきてくれた友人の車に乗って家に着く頃には、雨が雪に変わり始めていた。

大きくてあつあつの湯たんぽを入れた布団に潜り込み、ぐっすりとひとしきり眠った明け方だっただろうか、ゴロゴロ、と響く雷の音で目が覚めた。ときどき、ざーっと屋根や壁に何か当たる音がする。雨の音とは違うような感じで、雪かあられかのどちらかだろうなと思った。と、突然、バリバリバリっとすさまじい雷鳴がして、ドドーンというものすごい地鳴りと地響きが続いた。畳と布団の上に寝そべった体にも伝わってくるほどの振動だった。それなのに寝息を立てている隣の二人に感心すらし、(こりゃ、近くに落ちたな…)薄暗い中で一人苦笑いをしつつ、再び眠りに落ちた。

朝起きて階下の居間に降りると、窓の外はうっすらと白くなり、雪が降っていた。友人たちに「さっき近くに落ちたよね?」と言うと、友人が笑いながら言った。「この石川県のあたり、能登のほうとかは、雪が降るときに雷が鳴るんだよね」

考えれば、雪は雨が凍ったものなのだから、雷付きの雪嵐になっても不思議ではないけれど、私には雪と雷の結びつきが新鮮で、めずらしく思った。その日はずっとあられや雪が舞い続け、ときたま雷がどどーんと空に響く。雷ってこんなにしょっちゅう鳴るものなのかと驚くくらい。午後に皆で出かけた加賀市の雪の科学館でも雪と強風に吹かれ、すっかり冷えた体を雪が舞う温泉の銭湯で暖めて、夕飯の鍋をつつきながら北陸の酒をゆっくり飲んだ。その間もあられは本格的な雪に変わり、どんどん降り続く。その次の日は電車で金沢まで日帰りで足を伸ばすつもりだったのだが、「この予報だと無理じゃないかなあ」と友人は言う。うちの子どもと一緒に遊びたい友人の子どもは「じゃあ、明日大雪になりますようにー!」と自作のてるてるぼうずを窓に引っ掛けていた。

雪は夜通し降り続け、翌朝、窓の外はどこもかしこも、すっぽりと雪で覆われていた。金沢行きの電車はなんとか動いてはいるようだったが、この雪では駅まで行くにも車やバスもなかなか動かないというので、日帰りはむずかしそうだと金沢行きを諦め、「てるてるぼうずのお願いが叶ったね」と笑ったら、子どもたちは「やったあー」と声を合わせて飛び跳ねている。とはいえ、終業式に行かねばならない友人の子どもに朝ごはんを食べさせ、外に様子を見に行くと、昨夜うっかり敷地の奥に停めてしまった友人の車は周りが数十センチの雪で埋まってしまい、友人夫婦が必死で雪かきをしていた。私もさっそくシャベルを使ってお手伝い。運ばれてきた雪の塊を家の前を流れる水路に落としていく。そうか、水路は雪対策でもあるのだな。強くアクセルを踏んでもなかなか雪の中から出られない友人の車を見て、隣で雪かきをしていたおじいさんが「あれ、四駆じゃないのか?」と声をかけてくる。が、友人の車は四駆である。それでも雪の中の運転って大変なんだな、とか、いちいち雪国のネタに感心しながら30分ほど連携プレーで雪かきをしたら、やっと車が通れる道ができ「きっと他にも遅れている子はいるよ」と言いながら、友人の子どもは終業式へと出掛けていった。

雪はその後も止むことなく降り続ける。そしてときたび、ゴロゴローン、と遠くに近くにと雷鳴が響く。新潟や長野の豪雪、北海道のパウダースノーや遭難するんじゃないかと思うほど恐ろしく激しい風と寒さ。そんな今まで経験した雪とはまた違う、雪と雷という組み合わせのこの天候に、私は心奪われていた。同じ雪でも、こんなに違う自然が存在する日本の風土のおもしろさを思いながら、窓の外に降り積もる雪を眺めていた。

1時間ちょっとで終業式から帰ってきた友人の子どもと我が子は、友人の引き出しのストック素材で作ったスパゲティをしっかりと食べ、まだ雪が降り続く外へ遊びに出ていった。雪の中で転がるように遊び回ってびしょ濡れになって帰ってきた子どもたちの服を脱がせ、ガスヒーターの前に並べる。あっという間に乾いていく靴下を見て、やっぱりガスが一番強くて速いよね、と言いつつも、昨年の大雪に北陸で停電して大変だったことを思い出し、「でも万一停電したら、ガスヒーターはつかないねえ」と言うと、友人は「大丈夫。うちは灯油ヒーターもあるから」と万全の対策だと笑う。

その日も近くの温泉に行き、冬至のゆず湯に入ってから、家でまた鍋を囲んで酒をゆるゆると飲んだ。北陸の山の中で、東京の話、ドイツの話、デジタルの話、ドイツでの出産の驚き話、そんなことを大笑いしながら話して楽しかった。

翌朝は雪がだいぶ小降りになり、電車も動いているということで、予定通り京都へ出発することにした。友人とその子が車で送ってくれた駅で、再会を約束しながらお別れした。乗車予定の電車は30分ほど遅れるとのことだったけど、ドイツ鉄道のメチャクチャな運行に慣れている私たちからすれば、まったくの許容範囲である。むしろ、車体を点検しながら慎重に走ってくれる日本の電車の安全性と努力に感謝だ。車窓の外はまだ雪景色。こんな雪の状況を経験できるタイミングで来れたこと、迎え入れてくれた友人一家に感謝しつつ、窓の外にカメラを何度も向けていたら、滋賀に入ったあたりでふっと急に雪が消えていき、景色が明るくなった。琵琶湖の周りなんて、温暖なリゾート地? と思うような風景である。その変わりようにまた、日本の多面的な部分を垣間見た気がして、いろいろと不思議な国だよなあと思う。

それから10日ばかり経った頃の元旦は東京の実家で迎えた。家族揃って初詣と散歩に行って帰ってきてテレビをつけたら、津波警報の大文字が画面に現れ、石川県と書いてあった。「え? え?」状況がよく飲み込めなくて混乱したが、北陸沿岸に津波警報が出ていること、そしてしばらくして、それが大地震があったからだと理解できたが、もちろん頭に浮かんだのは友人一家のことである。正月は金沢の実家で、と言っていたから、そちらにいるのだろうが、もし今逃げている最中であれば、こちらから連絡はしないほうがいい。そう判断し、落ち着かないままテレビをつけっぱなしにしていた。夜半過ぎだろうか、友人のfacebookのアカウントがオンラインになっていたので、おそらく無事ではあるのだろうと思い、SNSでメッセージを送った。

返事が来たのはその翌日の夜。羽田空港の飛行機事故で、これまた呆然としているときだったが、一家全員無事だとの返事が来て、ほっとした。津波警報が出ていたときは山の方へ避難していたらしいが、ちゃんと家に戻れたという。その後しばらくして、友人の家族や親戚は皆無事だと聞いて、そのことは本当によかったと思うものの、ドイツに戻った今も、なかなか進まない救助や支援やこれからのことなど、被災地の状況について読むたびに胸が痛む。

一方で、ドイツに戻れば、こちらのニュースはウクライナとロシアの戦争、イスラエルとパレスチナの戦争のことである。自然災害は残念ながら防ぎようがない。比べて、戦争という人災は人間が起こさなければ起きないことである。あの自然災害を前にすると、その愚かさと浅はかさにつくづく呆れてしまう。戦争を正当化する人たちには、あんな自然災害の恐ろしさなんて想像すらできないのではないか。地震でなくても、ドイツはこの数年の夏の少雨で木が弱くなってしまい、街中の木々でさえ、嵐のたびにあちこち倒れて切られてしまっている。それなのに、人災で自ら街や森を焼き払い、壊していき、人の命を奪っていく愚かさ。そんなことを考えては苛立ってしまう。

12月に訪れた雪の科学館は、世界で初めて人工雪を作り出した物理学者の中谷宇吉郎の研究と生涯についての展示館である。その宇吉郎の娘にあたる中谷芙二子氏は霧のアーティストで、私の恩師でもある。大学時代の指導時に恩師の言った言葉は、今でもたびたび思い出す。「自然はとても恐ろしいものでもあるけれども、向き合い方をこちらが変えると、とてもたくさんのものを与えてくれるんです」雷と共にやってくる雪の美しさと恐ろしさ。地震のこと。地震で壊れてしまった能登の美しい自然と文化。そして今も日々、戦争で焼けてしまう街や森。温暖化の影響で雨が降らずに枯れていく木。大変な幕開けになった今年は、どんな一年になるのだろう。


©️: Aki Nakazawa

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中沢あき

中沢あき(なかざわ・あき)

映像作家、キュレーターとして様々な映像関連の施設やイベントに携わる。2005年より在独。以降、ドイツ及び欧州の映画祭のアドバイザーやコーディネートなどを担当。また自らの作品制作や展示も行っている。その他、ドイツの日常生活や文化の紹介や執筆、翻訳なども手がけている。 

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