「家庭教育支援」が「緊要な課題」?
自民党が来年の通常国会に「家庭教育支援法案」を提出する見込みと報じられた(2016年11月3日毎日新聞朝刊「24条改正へ布石か」中川聡子記者、遠藤拓記者)。
この法律案の第1条は、目的として以下のように掲げる。「この法律は、同一の世帯に属する家族の構成員の数が減少したこと、家族が共に過ごす時間が短くなったこと、家庭と地域社会との関係が希薄になったこと等の家庭をめぐる環境の変化に伴い、家庭教育を支援することが緊要な課題となっていることに鑑み、教育基本法(平成18年法律第120号)の精神にのっとり、家庭教育支援に関し、基本理念を定め、及び国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、家庭教育支援に関する必要な事項を定めることにより、家庭教育支援に関する施策を総合的に推進することを目的とする」。そして、ずらずらと、「父母その他の保護者が子に社会との関わりを自覚させ、子の人格形成の基礎を培い、子に国家及び社会の形成者として必要な資質が備わるようにすることができるよう環境の整備を図る」(法案2条2項)等と続く。
さて、どこから突っ込もうか。
家庭教育支援が緊要な課題?そんな立法事実があるのだろうか。昨年、「保育園落ちた日本死ね!!」ブログに多くの共感が集まったことを思い出す。「どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。(略)何か少子化だよクソ。」という悲鳴は、このブロガーのものだけではなかった。子どもを産み育て仕事もするというささやかな願いを実現する公的なサポートが全く十分でなく苦労している多くの人たちのものでもあったのだ。家庭をめぐる環境の変化に伴うニーズを本気で考えるなら、保育園や介護の施設の整備充実をまず考えてほしい。それから、家庭での時間の短さを問題にするなら、残業を前提に成り立つこの国の労働環境(「なぜ、日本人は残業時間が多いのか」プレジデント・ウーマン2016年5月23日)を改めるとか、雇用の安定や賃金格差の是正といった、生活を安定にする方策こそ、「緊要な課題」である。
上記の毎日新聞記事の中で二宮周平教授が指摘するように、人々が国に求めているのは、「多様な生き方や家族関係を支える社会保障政策」である。上からの家庭教育の押しつけではない。
上記毎日新聞中、法案の検討をした自民党青少年健全育成推進調査会に設置されたプロジェクトチームの事務局長を務める上野通子参院議員は、「地域で困難を抱えた家庭が目に余る。子の命に関わることで、国も自治体も見て見ぬふりはできない」とし、続けて家庭教育ができていない親は、教育基本法違反だといい募る。ちょっと待った。困難を抱えた家庭に国や自治体が見て見ぬふりをしないでどうしたらいいのか。子どもが「適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され、保護されること、その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他の福祉を等しく保障される権利を有する」(1条)ことを掲げる児童福祉法は、すでに、国と地方公共団体に、子どもが健やかに養育されるよう、保護者を支援しなければならない、そして、家庭における養育が困難又は適当でない場合には、できる限り良好な家庭的環境で養育されるよう、必要な措置を講じることを課している(3条の2)。重ねて児童虐待防止法も、児童虐待の防止に関する国及び地方公共団体の責務を規定する。国及び地方公共団体がそれらの責務を果たすことこそ、しつこいようだが「緊要な課題」である。この国は、未だに、児童虐待に対応する体制を整備して来たとはいえない状況なのだ(2015年11月16日視点・論点「増え続ける児童虐待に向き合うためには」日本社会事業大学専門職大学院准教授宮島清)。
親学をほうふつ
さて、「家庭教育支援してくれねーのかよ日本死ね!!」との嘆きなど一切聞こえないではないのに、いったいこんな法案どうして出てきたの?
「親の役割や家庭のあるべき姿を考える」超党派議員連盟として2012年4月10日に設立された家庭教育支援議員連盟、いわゆる「親学」推進議員連盟が、かつて今回の家庭教育支援法案と同趣旨の立法を模索していた(上記毎日新聞)。ああ、親学。高橋史朗親学推進協会理事長の著書によれば、親学推進議連の設立趣意書には「他に責任転嫁しないで、主体変容すること、自分が変わることによって、大災害などの国家的危機を乗り越えてきた日本人の精神的伝統を、親学によって甦らせ、危機に瀕する日本の教育を再生していきたい」とのことだ。何だろう、この非科学的な大言壮語は。「主体変容」なる言葉も、高橋史朗氏がよく利用する言葉であり、まんま同氏の影響を受けていることがわかる。仲間うちではこのような非科学的なフレーズで鼓舞しあえていたかもしれない、息巻いていいたかもしれないが、2012年5月末、議連で発達障害は「伝統的な子育て」で予防できるといった勉強会を行ったことが、議連事務局長だった下村博文元文科相のブログで判明し、大炎上、高橋史朗氏の助言を受けた大阪維新の会の家庭教育支援条例案も撤回するという事態となった(ウイキピディア参照親学推進議員連盟)。
今回の法案に高橋史朗氏は「自分とは無関係だ」と話しているという(上記毎日新聞記事)。しかし、大阪の条例案が撤回されて安心してはいけなかったのだ。熊本県はじめ、この種の条例が各地ですでに制定されている。2012年、くまもと家庭教育支援条例の成立前に、高橋史朗氏も意見を聴かれたようだ(http://togetter.com/li/426548)。公権力の過干渉を指摘する大阪弁護士会の声明があるが、今ひとつ、懸念の声は小さかった。油断していた。
既に教育基本法で布石が
しかし、油断すべきではなかったのだ。法案も、上野通子PT座長も言及する教育基本法は、第一次安倍政権下で周到に改められてしまった。日本会議が政府自民と連携して教育基本法「改正」運動をしたことは、俵義文著『日本会議の全貌—知られざる巨大組織の実態』(花伝社、2016年)に詳しい。「改正」教育基本法は10条で「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。」と規定し、前文で「公共の精神」を尊ぶ人間の育成と「伝統を継承」する教育を掲げる。日本会議は、その機関誌『日本の息吹』で、新教育基本法は「まさに戦後教育史を画する出来事」と絶賛し、教育理念が「伝統継承」「公共の精神尊重」へと根本的に変わったことと「親のつとめ」が規定されたこと等を解説したという(俵義文前掲書66頁以下)。
私たちが長く希求する選択的夫婦別姓の反対運動にも熱心な日本会議。反対の理由は、「伝統的な家族観」の破壊につながるものだという(青木理著『日本会議の正体』平凡社新書、2016年、189頁以下)。「伝統的な家族観」もなにも、そもそも平民に苗字が許されたのも、明治に入ってからのこと(平民苗字許可令、明治3年)。苗字を称していた層だって源頼朝・北条政子、足利義政・日野富子…。いやそういうレベルの反論ではいけなかった。
家族に関する政策は、非科学的で実証的でない「伝統的な家族観」云々に左右されず、家族における個人の尊厳と両性の本質的平等を掲げる日本国憲法24条に立ち戻って立案してほしい。
不断の努力で、憲法24条変えさせない
ん?だからこそ日本会議などは、憲法24条を改めるよう主張を強めているというわけか。日本会議は三世代同居のサザエさん一家を持ち上げる(しつこくツッコむが、親子別姓のサザエさん一家を持ち上げながら選択的夫婦別姓を敵視するのはおかしい…)。「個人の尊重や男女の平等だけでは祖先からの命のリレーは途切れ、日本民族は絶滅していく」。日本会議の政策委員かつ安倍首相のブレーンの伊藤哲夫氏は述べているという(「日本会議 啓発強め 理想はサザエさん一家」毎日新聞2016年11月3日朝刊川崎桂吾記者)。日本会議の設立宣言を確認すれば、「国を守り社会公共に尽くす気概」が失われていることを嘆き、「日本人としての厳しい自覚に立って、国の発展と社会の共栄に貢献しうる活力ある国づくり」を推進するとのこと。個人の尊重は、「ひたすら己の保身と愉悦だけを求める」と矮小化されるのだろう。戦前のように、家、その家を土台にした国を守れ、家・国のために犠牲になれ、「個人」であることを主張するなと私たちは迫られている。
個人の尊厳や両性の本質的平等の条文より先に「単位としての家族の尊重」をせよと掲げる自民党改憲草案の24条1項の意味合いがどこにあるか、自ずとわかってくる。「家族は助け合わなければならない」。助け合うという言葉は美しい。しかし、実際には、貧困等で助け合うことができない家族がいる。家族がいない単身者も増えている。憲法には、美しい道徳を盛り込むのではなく、様々なライフスタイルの人々を国としてどう助けるのかを盛り込むべきなのだ。なお、「美しい言葉」を掲げる自民党改憲案24条が想定する国家と家族の関係は、国家が家族を支えるのではなく、家族が国家を支えるのであり、できるだけ国家に負担をかけないよう自助努力と家族福祉を強いるものであることについては、三浦まり「「戦争ができる国」へ向けて「女性が輝かされる日本」」樋口陽一・山口二郎編『安倍流改憲にNOを!』岩波書店、2015年に詳しい。
「美しい道徳」は道徳であるにとどまるなら、無害なのだろうか。そんなことはない。上記毎日新聞の記事の山口智美准教授が指摘するように、「多様であるべき生き方を否定し、人権を侵害することにつながりかねない」。
家庭教育支援法案は、憲法24条改憲への布石ではないか。私は毎日新聞の取材に対し、「国に役立つ人材を育てよ、と保護者に命じる内容。家族が基礎的集団で国家を支えるという発想が(自民党)改憲草案に通じる」と答えた。
私たちの生き方の多様性が尊重されず、「お国に役に立つために」方向付けられる動きが着々と進められていることは、忙しい日常の中ではなかなか気づきにくい。そうしている間に、各地で家庭教育支援条例が制定され、国レベルの法案、さらには24条改憲まで視野に入ってくるとは…。呆然としそうになるが、呆然としても何ともならない。私たちの自由と権利は、私たちの不断の努力によって保持しなければならないのだ(憲法12条を噛みしめたい)。
ああそれにしても、右派は人員も資金力も圧倒的…。ま、うらやんでもしかたない。目が回る忙しさでお金もない中で、24条変えさせないキャンペーン(賛同お願いします!)その他、頑張ります。