UK SAMBA~イギリスのお産事情~ 第4回「会陰切開、必須でえいんかい?」(後編)
2023.12.21
前編は、主にお産のとき、会陰のきずが起こりにくくする方法とイギリスの産科医療の会陰のケアについて書きました。後編は、日本の会陰のケアと世界の女性器に対する暴力のはなしをします。 (痛そうでしんどい話です。元気な時に読んでください。そして辛いときはそこで止めてくださいね。)
日本で出産した場合、会陰のきずは産科医が縫うことが大多数のようです。日本の助産師資格には会陰の縫合が自動的には入っていないと聞きます(参照)。「(縫合は)医療行為だから」だそうですがこれでは助産師は医師の補佐的役割に陥り、自律した働き方ができません。同時に、制約があるからこそ日本の助産師は会陰をきずから守るための手技を磨いた、ということもあるのかもしれません。
さて、会陰切開とはどのような時にされるものでしょうか。赤ちゃんの頭が会陰を伸ばしている、まさに出ようとしているそのとき、心音の異常などの理由で赤ちゃんの誕生を速やかにしたいときに提供されます。局部麻酔の注射の後、会陰切開用のハサミで切開されるのが通例です。鉗子や吸引などの器具を使ったお産のときもなされるかもしれません。これは3度や4度などの大きな裂傷を避けるため。つまり会陰切開とは緊急のときのみ、そして女性が合意したときのみされるべきものです。断じてルーチンでされるべきではないのです(p150参照)。
20世紀なかばから、世界各地の産科で医療化が進みました。イギリスの産科医療でも、一時は会陰切開含む、意味のない・害のある・ルーチンの医療介入があふれていました。エビデンスをもとに医療介入の是非を問うこと、女性が助産師とともに声をあげることが両輪となって産科医療の変革を進めました。
自然に起こる会陰のきずは、肛門に向かって血管や神経を避けて、おこることが多いです(参照)。 会陰切開ではまっすぐにいろいろなものを切断します。イギリスでは女性にとって右下(医療者が右利きの時)の方向にされるのですが日本ではどうやら助産師の会陰を押さえる手が女性にとっての大概右からあるので女性にとって左側に切ることもあるようです(ちょっとややこしいですよね)。自然にできたきずあとは縫合しても痛みが少ないのに、会陰切開後に痛みを訴える人が多いのはこのきずの位置、そして神経が切断されていることが理由でしょう(参照)。
自然にできたきずの縫合に医療者が苦手意識を持っていて、そのために縫いやすいよう会陰切開をする、というはなしを聞きます。会陰切開後の縫合の方がきれいに治る、などという真っ赤な嘘を女性に言う医療者もいます。これは医療の怠慢でありまさに必要のないお産の医療化です。会陰切開というお節介(駄洒落2)などと下らない駄洒落を言われても仕方ないでしょう(参照)。
女性が体に集中していればゆっくりほどよい速度で進むお産、じっくり待てばよく伸びる会陰、そしてきずができても治りのよい会陰です。それが真正面からじろじろ見たい医療者のために、分娩台なぞの上で自由の利かない姿勢をとらされる。へんてこな姿勢で会陰にもへんてこな圧がかかってきずのリスクが上がる。会陰を保護するた め、と断りもなく触られる。自然にできたきずより切ったほうがきれいに治るよなんて嘘でしれっと脅しながらハサミでジャキっと切る。迷惑極まりないはなしです。切り込むべきはうちらの性器ではなく産科医療(駄洒落3)。
産科医療で説明と合意、そして根拠すらなく会陰切開がされていることは、からだの支配にほかなりません。実は産科医療にはそのような支配・暴力が満ちています。パンデミックの間、日本ではコロナ陽性の女性が感染防止にはちっとも意味のない帝王切開を受けさせられました(参照)。世界のスタンダードとかけ離れ、女性のからだもエビデンスも無視したコロナ感染予防の名をかたる医療介入はいまも続いていると聞きます(参照)。宗教右派の思惑通り(参照)、日本に住むわたしたちの性と生殖の健康と権利(SRHR Sexual and Reproductive Health and Right)は奪われ続けています(参照)。性の正確で肯定的な情報にアクセスできることは基本的人権Sexual health(参照)ですが、日本ではこの権利の保障責任を行政が放棄しています。市民の手に入れられる情報は玉石混淆、いやデマの方がより多く出回っているかも(駄洒落4)。正確で肯定的な情報は少ないです。よって会陰切開はお産に必須と思い込まされている人も少数ではありません。
メディアにもお産は「痛くて」「命がけ」で「怖いもの」という偏った、女性を脅すような情報があふれています。普通の「私のお産よかったよ!」という声を聴ける場所がもっと増える必要があります。そしてどんなお産の体験も話せる・聞き合える安全な場所が必要です(参照)。
Cool Japanの一環かしら? 日本の医療は世界一、という雰囲気がありますよね。いやほんと、どっかで聞いたことありますよね、「日本の原発は安全です」とか「日本のそうはは安全です」とか。そんな神話、だまされんよ。原発事故の可能性は0にできない、そして中絶は中絶薬が一番安全です(参照)。
そもそも、医療利用者が十分に説明を受け、己の納得し許可した医療介入だけを受ける、このInformed consentなしに安全な医療はありえません。権威的な医療の仕組みの中では、正確な情報にアクセスできなかったり脅されたり、遠慮したり、と様々な理由で本当のInformed consentが得られていないままに医療介入されていることが多々あります。そのように医療利用者が声をあげられない場所の医療はエビデンスベースでなく組織ベースになりがちで、医療事故も起こりやすいです。
さて、地球上にはFemale Genital Mutilation (FGM;女性性器切除)という習わしがあります。30以上のアフリカの国・中東やアジアの一部の国で行われている風習でその犠牲者は2億人ともいわれています。実際に何がされるかというと女児(幼児から15歳くらいのあいだ)のクリトリスや陰唇を切りとったり縫ったり。こちらも1度から4度に分類されています(p40参照)。 宗教に根付いた風習ではなく、伝統により行われているものです。クリトリスがあると女性は性的に乱れてしまうなどという極めて非科学的で差別的なことが信じられている地域があるのです。FGMを受けている・性交経験のない女性でないと結婚ができない、「貰い手がない」と可哀そう、この切除は女児の幸せ・地域に受け入れられることに必要なこと、などと信じ込まされた女性たちが、自らの子どもにこの風習を繰り返すことを容認しています。地域の教育やアイデンティティに関わる複雑な問題です。
イギリスでは1985年からFGMは違法です。海外でFGMを受させた場合も最長14年の禁固になるという法律が2003年にできました(参照)。それでも海外に連れていかれてFGMを受けさせられる女児の数は0ではありません(参照)。切除をするのはその地域の年長の女性のことが多いそうです。医療機関でなく家など、痛み止めもない不衛生な場所でされることが大多数。出血・感染症・痛みによるショックで死亡する子どもが毎年たくさんいます。医療機関で清潔を保って切除する方がまし、という考えから医療化が進んでいる場所もあるそうですがそもそもじゃあなんで切るのさ、という話ですよねえ。
性暴力はわたしたちから声を奪います。子どもの頃に受けた性暴力はなおさらです。身体的にも性交痛や排 尿、出産時の困難など、性器切除後、女性はたくさんの苦痛を経験します(参照)。国際的に女性の迫害問題として長く課題とされているFGM。何度聞いても痛そうで恐ろしいはなしですよね。聞くだけで己の女性器が縮こまります。
怖い話ついでにもう一つ。最近まで中東で働いていたイギリス出身の助産師がこちらに帰国してから教えてくれたことです。その国のお産も医療化されっぱなしで会陰切開は経腟出産の女性のほぼ全員が受けているそうです。そして、さらに奇怪なものが! それは女性たちが出産から何週間か後に訪れる、Whitening and tightening と呼ばれる外来。例:(参照) そこで女性は産後の外性器を白くする美容的な処置と、膣を狭くするとされるさまざまな施術(温冷法や外科手術)を受けるそうです。女性 が性的対象化されていることの象徴ですよね。このような ものが広まる背景には医療保険の仕組みも関わっているようです。
女性器は見た目も機能もほんとに十人十色。どの女性器もそのままで素晴らしいです。中東の産後の女性器をより色素の少ない、より狭いものにする医療、それを求めているのは誰なのでしょうか。その裏には誰かの女性器に対するまなざし、また誰かのなにかがその女性器から受ける感覚を支配したいという願望があるでしょう。前編でも言いましたが挿入を含む性交時に女性が感じる快感の大部分はクリトリスとそれにつながる神経が担っています。骨盤底筋前庭を鍛えることや会陰のきずの縫合は性交の感覚にかかわる可能性があります。しかしこの美容外科的介入で膣を狭くするとされていることは女性本人の性的快感にはちっとも関係なく、むしろ性交痛のリスクが増すでしょう。私たちの膣は3㎏前後の赤ちゃんを生み出すことができる素晴らしく収縮のよい臓器です。それと比べれば陰茎なんて、ねえ?
そもそも現在中東で膣を狭くすると謳われている介入は科学的根拠に乏しく、医療とは言えない代物です。これが搾取でなくて何でしょうか。(これと似たようなアイデアは過去の西洋医療にも存在したそうです。”husband’s stitch” と呼ばれ、会陰のきずや会陰切開を「夫」のためにきつめに縫う、というふざけた介入です。
アフリカやアジアの低所得国で起きている女性器切除が、女性に対する暴力であることに、異論の余地はないでしょう。中東で行われる眉唾美容外科施術を受ける女性は、男尊女卑医療マーケットにあおられた被害者であることも明白です。そして西洋医療が普及した日本のような場所で女性が必要であると思いこまされて受けている会陰切開も等しく暴力的です。納得のいかない産科医療によるトラウマが女性の人生を変えてしまう点からFGMと全く同じです。
しかし高所得国に住むわたしたちの西洋医療に対する妄信っぷりには失笑を禁じえない、むしろ笑いすぎで尿失禁してしまいそうです(駄洒落5)。お産が始まるメカニズム一つをとっても、産科医療はほぼ何にもわかっていません(参照)。 なにをわたしたち医療者は知ったかぶりをしているのか、というのが正直なところです。
本来、医療は人々がより健康でより自分らしく生きるために提供されるべきものです。ところが、女性蔑視・学歴崇拝・拝金主義・奴隷根性などさまざまな差別的思考の蔓延から、医療は絶対的な権力を持ち、わたしたちはその言いなりになっているのが現状です。医療利用者は、専門家である医療者と比べ知識が少ないとみなされ、医療者の勧めに従うことを期待されています。
誰かのことを誰かが決める、それはPaternalism父権主義ということです。日本の産科医療で、女性の声もエビデンスも無視したことが起こっていること、女性のからだに起こることがシステムや医療者に決められていること。これは現在進行形の家父長制にほかなりません。
わたしたちのからだは世界に一つだけ。このからだを生きている、からだのことを最もよく知っているのはそのからだの持ち主の医療利用者です。ほんとの専門家はわたしたちひとりひとりですよね。そしてわたしたちの人生にとって何が大切なのか、それを知っているのもわたしたちだけです。医療の詐欺に惑わされず、からだを信じて毎日満喫しましょう。