排外主義的主張をする組織の講師を務めて「ダイバーシティ」…?
7月10日の参議院選挙、31日の東京都知事選挙。どちらもうんざりする結果であった(参議院選挙は、いくつかうれしいニュースもあったけれど)。このコラムでも、たびたび女性の政治家の数を増やす必要がある、何はともあれ増やす必要がある、と書いてきたんだから、初の女性都知事誕生に喜ぶはず?いや、さすがにそんなことはない。
ショックのあまり記憶喪失に陥りたいと、「今は舛添都政、舛添都政…」と自分に言い聞かせているのだが、いやしかし、やはり書き留めておこう…。
小池百合子は、「そよ風」(=「マスコミの偏向報道、教育の場での自虐史観授業等に日本の危機を感じています。」云々と掲げ街宣活動をする女性たちの会であるようだ。)主催、在特会女性部(花紋)協賛の講演会に出たことがある。しかし、その点を追及されても、「私は在特会という、最近よく出ておりますけど、それについてはよく存じておりません。また、私を招いてくれた会は、こことどういう関係にあるか知り得なかったということでございます。」と明言を避けた(2016年7月8日ハフィントンポスト(吉野太一郎)。今でも在特会のウェブページの講演案内には、「在特会女性部協賛」と明記されているのであり、「知りえなかった」はずがない。警察庁の「治安の回顧と展望」(平成27年版)でも、「「在日特権を許さない市民の会」を始め、極端な民族主義・排外主義的主張に基づき活動する右派系市民グループ」と、「極端な民族主義・排外主義的主張に基づき活動する右派系市民グループ」の代表格として挙げられる組織を「よく存じておりません」ということであれば、世界各国からの選手が競い、多様な民族の観客が集まる東京五輪オリンピックの開催などができるだろうか。
「ずーっとヘイトスピーチが2000年まで続いている状況を見て下さい。五輪やれますか?そういう状況で、私は五輪の主催都市として、恥ずかしい」
本当にその通り、と頷ける発言。舛添要一前都知事の発言だ(2014年8月29日[東京]ヘイトスピーチ規制に舛添知事「ナチスまがいのことを許しては五輪開催できない」)。今さら検索してたどっていけば、舛添前都知事はこの発言でネトウヨから大炎上を受けていたらしい(http://matome.naver.jp/odai/2140955352770691201)。いや…。セコかろうと差別や扇動については見識あった人を引きずりおろして、在特会女性部協賛の講演に出てしまう人を都知事のポストにつけてしまったとは…。50億円かかっても、舛添NOという人が多かったというデータがある。しかし、費用だけでなく、見識からして…(涙)。
小池百合子が、ダイバーシティ(多様性)ということで挙げたのは、男女、高齢者、子ども(【東京都知事選】小池百合子氏演説詳報(30日)「『待機児童』を死語にするというのは私の覚悟」「東京からくすねていく、その人をわざわざ引っ張って」2016年7月31日産経新聞)。外国人や民族には一言も触れておらず、その点の「多様性」は無視と腹を決めているのだろうか。
「政治的中立」の名のもとに
でも、「男女」「子供」については言及している以上、ちゃんと配慮するつもりがあるのでは?と有権者は思ったのだろうか。
話は脱線するが、いつもこのコラムでは「子ども」と書いてあるのになんで「子供」?と思った方のために解説しよう(いささか強引か…)。「子ども」でなく「子供」と書くと、「お供え物」「お供する」などを連想させ差別的だということで、「子ども」との表記が広く使われてきた。しかし、2013年6月、文科省は「子供」に表記を統一した(2013年9月1日J-CASTニュース)。同年3月、自民党の木原稔議員が「子ども」と漢字と平仮名を交ぜ書きするのを文教委員会で問題視する質問を契機に文科省で検討された結果だとのこと。「ども」か「供」か。まあどうでもいいんじゃない?と思うかもしれない。
ところで、木原稔議員、どこかで聞き覚えがあるのでは。2015年6月27日、代表と努めている「文化芸術懇話会」で百田尚樹氏が「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」等の発言をした後、異議を唱えるどころか、「百田氏は自分の信念に基づいて発信し、国民に受け入れられている。われわれ政治家は学ばなきゃいけない」と発言し、ツイッターにおいても「ベストセラー作家から、あらためて言葉の大切さを学びました」と感想を述べた人物である(ウィキピディア文化芸術懇話会参照)。この会合で報道及び言論の自由を軽視するかのような発言がなされたことが問題視され、木原議員は一年間の役職停止処分となった(結局その後「反省の情が顕著だった」として、10月2日には3か月に短縮)。
木原議員は自民党文部科学部会長であり、参議院選挙前の7月7日、「残念ながら教育現場に中立性を逸脱した先生がいます」として、自民党のホームページ上にアップした「学校教育における政治的中立性についての実態調査」への協力を呼びかけるツイートもした。中立性が問題となる事例として「子供たちを戦場へ送るな」というのが挙げられていることなどに批判が殺到すると、いったん削除され、「安保関連法は廃止すべき」に変えられた。しかしそれも「相変わらずやばい」「密告奨励」と炎上が続くと、「安保関連法は廃止すべき」も削除するという展開になった。
それでも、「相当の件数」が集まり、文科省に情報提供して対応を求めるとのことである(7月20日朝日新聞デジタル)。どんな密告が誰からされているかわからない。そうなれば、どれほど教育現場が萎縮するだろうか。いったい何が「政治的中立」でないのかわからず、ひょっとすると「密告」されてしまいかねないならば、そもそも政治を教えることなど控えたくなる。主権者教育といえば、文科省の高校生向け副教材のタイトル「私たちが拓く日本の未来有権者として求められる力」などと、当然自ら主体的に考え意思決定する能力をはぐくむことをいうのかと思いきや、ときの政権の公式見解を「政治的に中立」として浸透させることをいうのだろうか。「ある党派の政策を批判することは差し支えない。自由な批判検討は許されるべきだ」と教育基本法制定時(1947年)に政府が示した見解は、2006年の同法改正後も踏襲されている。当然だ。しかし、こんな建前とは裏腹に、与党の政策を批判することを「中立でない」、「偏向」として密告が奨励されるとすれば、長野県2・4教員赤化事件など、戦前の教員弾圧のような事態が案外遠くないようで、不安が募る(毎日新聞7月28日夕刊特集ワイド「自民党「偏向教師密告」サイトの波紋「まるで戦前の思想統制」」。なお、この毎日新聞の記事には、木原議員の事務所には日本国憲法公布施行後廃止された「教育勅語」が掲げられているとある…。国民に主権者としてでなく、臣民として忠義を孝行を迫る教育勅語が。
「子ども」ではなく「子供」との表記が統一されたことの意味も、教育勅語を評価するような志向に沿うのだろうと今更ながらビビるではないか(遅いっ)。
女・子どもにとってもダイバーシティはほど遠く
小池百合子新都知事に話を戻そう。小池新都知事は、外国人をスルーしつつも、ダイバーシティを掲げ、女子どもには言及するからには、女子どものことは考えてくれるのか。上記の7月30日の街頭演説で、小池百合子氏は待機児童の問題に早速言及した。しかし、「お給料を上げればいい、まぁそうなんです。財源はどうするか。いろいろ問題がございます」と保育士の待遇改善についてはスルー。何を言うかと思ったら、「東京には81万戸の空き家、空き室がございます。(略)中にはゴミ屋敷みたいなものもあります。(略)わたくしは、この空き室こそ、介護士さんや、保育士さんの住居に回していくという、とても現実的な、そして空き家問題を同時に解決する、このような策を考えているところでございます」…。潜在的な保育士や介護士が路頭に迷っているというデータでもあるのだろうか。住まいがないからではなく、待遇が悪いから離職したり就職しないのではないか。この思いつき感あふれる政策まじか。と思ったら、公約には、空き家空き室問題と一挙解決案はどこかに埋もれたのか、「規制緩和」を打ち出している(7月31日ヤフーみんなの政治)。保育園の基準の緩和は子どもの安全と発達を脅かし、保育士の負担増となることが指摘されているというのに(保育園を考える親の会「安心できる保育園をふやして!2016」チーム 2016年4月6日緊急コメント等参照)。
小池新都知事は、選択的夫婦別姓の実現に反対する日本会議を支援する超党派議員連盟日本会議国会議員懇談会の副会長でもある(ウイキピディア参照)。「異次元の少子化対策」を発表したことがある(その後の活動は知らない)婚活・街コン議員連盟の会長も務めた小池新都知事は、「女性はシンデレラコンプレックスを持っているものである」「頼もしい男性が決定的に減っていることこそが、少子化の最大の原因」説を唱える(日本もったいないぞ宣言「頼もしい日本人作り」)。ここでも思いつき感…。そしてダイバーシティどころか、ほこりを払わなければいけないほどの男女についてのステレオタイプではないか…。大体、少子化対策に婚活、街コン…?親がカップルかひとり親か問わず子どもを育てやすくする環境づくりをすることは念頭にない?全くダイバーシティとはいえない。
「臣民」たちの「帝都」へ!?
極めつけは、小池新都知事が政務担当の特別秘書に元都議の野田数氏を任命したことだ。野田氏は、2012年、東京維新の会所属の都議であった当時、日本国憲法を無効とし、大日本帝国憲法の復活を求める制限を提出するための紹介議員となった人物だ(日刊ゲンダイ8月5日)。請願書には、「我々臣民としては、国民主権という傲慢(ごうまん)な思想を直ちに放棄」等と記載されている。請願は、当然のことながら不採択となった。野田氏が所属する東京維新の会は、同時に、都内在住外国人への生活保護支給の減額・廃止を求める陳情に賛成したが、反対多数で不採択となった(しんぶん赤旗2012年10月5日)。
外国人を排除する、女、子どもを切り捨てる、そうした社会の行き着く先は、結局皆を主権者から引きずり下ろし、「臣民」、支配される民に落とされる、ということに気づかされる(上述のように、木原議員も事務所に「教育勅語」を掲げている…)。
それでいて、「ダイバーシティ」とか掲げられるのがシュールでめまいがする。選択的夫婦別姓を断固として実現しようとしない安倍政権によって「女性の活躍」を掲げられるのと同様に。
24条変えさえないキャンペーン、スタート
いや、めまいをしている余裕はない。今や選択的夫婦別姓どころかその根拠となる憲法24条が危うい状況。自民党改憲案の24条が実現するのを阻止しなくては。ということで、24条変えさせないキャンペーンを始める(私も呼びかけ人のひとり)。
9月2日金曜日(18時半から20時半)にはキックオフシンポジウム@上智大学12号館102号室を開催します。
http://ajwrc.org/jp/modules/bulletin2/index.php?page=article&storyid=279
木村草太さんのご講演の後、北原みのりさんとのトークその他が予定されています。是非いらしてください。