7月10日は、参議院選挙。
長きに渡り、強固に選択的夫婦別姓に反対しながら、「女性の活躍」ないし「一億総活躍」と掲げている政権与党の自民党。女性に婚姻時に改姓を余儀なくされるか婚姻を諦めるかの二者択一を迫っているくせによくもまあ、女性の活躍だのといえるものだと苦々しい。
「政策BANK」から「別姓反対」が消える
ほら、ここに、自民党の今回の参院選にあたり公開している「政策BANK」中の選択的夫婦別姓の箇所を引用して指摘しようとしたら、うん?いつも熱烈に反対していたというのに、今回は記載自体がない。その代わり、「Ⅱ.女性の活躍」の一項目「女性の自立を支える法制度改革」として、「旧姓の幅広い使用を認める取組みを勧めます。まずは、住民基本台帳とそれに連動するマイナンバーにおいて旧姓併記ができるよう取り組みます」との記載がある。
ん?こう言われると、何か前進させてくれる、ポジティブな響きがある。しかし、私は夫婦別姓訴訟弁護団で原告のみならず多くの女性たちから、「通称では解決しない!私の姓と私は切り離せない」との苦しみを聴いてきた。昨年12月16日の最高裁大法廷判決の多数意見(何度も言うが、誰ひとり通称を経験したことのない男性裁判官10人による意見)は、婚姻改姓をするのは圧倒的に女性であり、女性たちがアイデンティティの喪失感を抱く場合が多いことを認めながら、まあ、それでも通称使用によりそんな不利益は一定程度緩和されるだろう、と言い放った。
裁判所だって通称使用を認めず、そのため櫻井龍子裁判官は著書などの実績は全て藤井姓であるにもかかわらず、裁判官になるにあたり、藤井姓を用いることを断念した。その櫻井裁判官は、通称使用は便宜的であり、「戸籍名との同一性という新たな問題を惹起することになる」、そもそも「通称使用は婚姻によって変動した氏では当該個人の同一性の識別に支障があることを示す証左」であると多数意見を批判した岡部喜代子裁判官の意見に同調した。いやホント、その櫻井裁判官の前でよくまあ「通称使用でま、いくね?」といえたものだ。
自民党の「政策BANK」は最高裁大法廷の多数意見に便乗せんとしたものか。しかし、夫婦同姓について例外を認めない制度を維持せず、夫婦双方が婚姻に当たって自分の姓を維持したいというささやかな望みさえ拒否するからこその通称使用の制度化である。ダブルネームでは、女性たちの「結局、ここではどっちの姓を利用できる?利用できない?」という悩みや葛藤、周囲に迷惑をかけるという心配、いちいち「婚姻改姓しておりまして…」と申し訳なさそうにプライバシーを説明して、使用を許してくれと頭を下げる、といった事態は生じ続ける。そこまでして、何で一切の例外を許容しないのか。
ところで、今回の「政策BANK」は巧妙だ。「夫婦別姓に反対します」(自民党は、選択的夫婦別姓に反対する正論執筆陣同様、必ず「選択的」をつけずに「夫婦別姓」とのみ書く。自らの偏狭さを誤魔化そうとしているのか)と書くと、まんま保守反動。その点を押し隠し、通称使用なら「認めます」、「支えます」と、どうも私には上から目線臭に顔をしかめてしまうが、さらっと読めば、あたかも、何か前進させる、前向き志向と勘違いする人も多いのではないか。
ねらいは改憲・「個人」の消去
そこへ行くと、自民党「Jファイル2012総合政策集」は素直だった。素直に欲望をあらわにしていた。まず、選択的夫婦別姓を取り上げる箇所が、ずばり、「Ⅶ 憲法・国のかたち」なのだ。それも、項目に入れるだけではなく、のっけからリードに「日本人の手で、「日本の誇り、日本人らしさ」 を示す新しい憲法をつくります。民主党の進める「夫婦別姓」・「人権委員会設置法案」・「外国人地方参政権」に反対し、地域社会と家族の絆、わが国のかたちを守ります。」とくる。そして、「325 民主党の夫婦別姓法案に反対(←ほら!「選択的」を付さない!引用者注) 自民党は働く女性を応援」という小項目タイトルのもと、「民主党の夫婦別姓が導入されれば、必ず子どもは両親のどちらかと違う「親子別姓」となります。わが党は、民主党の夫婦別姓導入法案に反対し、日本の家族の絆を守ります。また、女性の社会的進出については、旧姓の使用範囲を拡大する法整備などで支援します」 と続ける。
唖然とする、情緒的でとってつけたような理由だ。何度もこの連載で書いてきたが、夫婦同姓しか認めない国は日本のみ。他の国で親子別氏の家族がことごとく破壊されてきたのか。あるところでは「普通の国」を目指せと言いながら突然「日本の家族」の絆と特異性を称揚する。日本だって歴史的に地域的にも家族の在り方は様々だった。私たちが多様な個性を持った個人であり、それぞれにあった家族のスタイルでつながりを大切にしていることをよしとするのではなく、ひとつの「日本の家族」なるあるべきモデル像の枠に従えといわれているようだ。個人個人の姓をそのまま維持することを許さず、一つの姓(もっぱら夫の姓)に統一しろということはその現れの一つである。
そして、選択的夫婦別姓を許さないというこの政策のすぐ3つ前に「321憲法改正草案を提唱」を掲げ、緊急事態条項や9条のほか、「家族の尊重」条項、前文でも「日本国の歴史や文化、国や領土を自ら守る気概、和を尊び家族や社会が互いに助け合って国家を形成していくことなどを表明」したとある。今回の参院選「政策BANK」では、改憲の争点化を避けるためか、「国民合意の上に憲法改正」とひっそりとしか記載していない。しかし、改憲案は未だに修正されないまま、自民党web頁に公開されていおり、2010年と考え方が変わったわけではないだろう。
家族の尊重条項を追加したい。家族は国家の基盤であり、個々の構成員が個人として尊重されるのではなく、家族という単位の部分としてそれぞれの役割を果たし、ひいては国や領土を守る支えもしてほしい。福祉に頼らず、助け合いは家族の中で。
家制度への忠誠、ひいては家族主義的国家への忠誠を誓わされ、戦争により自己犠牲を強いられ命さえ落とした戦前の時代の空気が、何かたちこめてきた感がする。そしてまた、社会福祉など非効率的と切り捨てていく新自由主義的なまなざしも感じざるを得ない。
自民党の改憲案13条は、「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に関する国民の利益については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。」も見逃せない。日本国憲法13条から、「個人として」の「個」をとって「人」に変えてしまった。個人のための国家ではなく、国家のための個人ではない。全体主義ではなく、個人主義(利己主義ではなく、個人個人を大切にするということ)をとったことを示す大切な条文の根幹を崩す修正である。そして、日本国憲法は、「公共の福祉」、個人が平等に保障される人権相互の衝突を、具体的陰調整する場合だけ、人権を制約できるとしているのを、それに限られず、私たちの上に「公益及び公の秩序」がありそれに服従する義務を課される、ということだ。
「家族」を先行して掲げる自民党改憲案24条も、「家族」ないし「家」を個人より上位にあるものとみなすもので、自民党改憲案は、国や家族なる集団に個人を従属させようという点で一貫している。
「憲法・国のかたち」を変える、私たちを「個人」として尊重されるべき存在ではなく、国や家に忠実に従う存在である限りは尊重してやるが、そうでなければ排除、という「かたち」に変える、そんな動きはストップしたい。
野党4党(民進、共産、社民、生活)は、安保関連法の廃止や立憲主義の回復、選択的夫婦別姓の実現その他の女性が個人としてリスペクトされること等を掲げた市民連合の政策要望書に署名している。
有権者のみなさん、参院選では、是非よく考えて投票してほしい。