2022年10月のコラムに、「右傾化した問題集に変化が起きた」ことを書いた。その問題集がさらに変化した。どう変化したかというと、「ジェンダーの視点」ってチェックされて、ジェンダー平等の問題文に変化していたのだ。
そもそも右傾化した問題集とは何だったかというと、漢字の問題集に掲載されている問題文に、軍隊用語が多用されていたことを指す。いくつか振り返ってみると…。
(書き取り対象漢字) 改訂前 → 改訂後
(雷) ギョライを搭載した潜水艦。
→空が曇りエンライが聞こえる。
(駐) 他国にシンチュウする
→仕事でニ年間パリにチュウザイした。
(搭)軍艦にミサイルがトウサイされる。
→最新機能をトウサイした自動車。
等々。なぜその漢字の書き取りに軍隊用語を用いなければならないのか、その必然性を、数年前に来校した当該出版社の担当者に問うた。その担当者は子育て中の女性で、「自分の子どもがこんな問題集で学習していると思うとぞっとします。持ち帰って伝えます」と話してくれて、その後の改訂で、軍隊用語を用いた問題文が激減したのだった。
その改訂をした出版社の担当者が先日、新たな改訂版ができたと来校した。問題集の編集会議に女性が数多く出席していたということだった。新たな改訂版をジェンダーの視点でチェックしてみた。まず1つ目に気づいた変化は、性別を特定する主語を削除した問題文にしたことだ。
(書き取り対象漢字) 改訂前 → 改訂後
「母」が主語だったもの
(腰) 母はモノゴシの柔らかい人だ。
→口調やモノゴシに落ち着きがある。
(菓) 母はおカシ作りが趣味だ。
→趣味はおカシ作りだ。
(献) 母は義父をケンシン的に看護した。
→けが人をケンシン的に介抱する。
(貞) 母はテイセツを厳しく守った。
→テイシュクな女性の役を演じる。
(陶) 母はトウゲイ教室に通っている。
→トウゲイ教室に通い始めた。
(栽) 母はランの栽培が趣味だ。
→趣味でランを栽培する。
古き良き(?)昭和の時代の匂いが漂う改訂前の問題文。専業主婦で良妻賢母の母親像といったところか(ただし、この問題文は2009年初版の問題集)。
「父」が主語だったもの
(株) 父が会社のカブヌシになる。
→会社のカブヌシになる。
(篤) 父は温厚トクジツな人だ。
→温厚トクジツな性格と評された。
(酎) 父がショウチュウで晩酌する。
→週末はショウチュウで晩酌する。
(霊) 父はレイチョウルイの研究者だ。
→レイチョウルイの研究者を志す。
(該) 父はガイハクな知識を持っている。
→ガイハクな知識を駆使して論じる。
「彼」が主語だったもの
(鎮) 彼は経済界のジュウチンだ。
→経済界のジュウチンが勢ぞろいする。
(勤) 彼ほどキンベンな人はいない。
→君ほどキンベンな人は他にいない。
(洞) 彼のドウサツ力は非常に鋭い。
→持ち前のドウサツ力を発揮する。
(結) 彼はいつもユウゼンと構えている。
→一人ユウゼンと構えている。
改訂前のものには、博識があり物事に動じない優秀な男性たちが登場する。ちなみに、この手の優れた人物像で女性が主語のものはほとんどないし、賃金労働者として働く女性像も少ない。次に挙げるものもその手の問題文だ。
(堅) 父のケンジツな生き方に驚嘆する。
→ケンジツな生き方を信条とする。
(亭) 父は典型的なテイシュ関白だ。
→旅館のテイシュが客を迎える。
(蜂) 父がヨウホウ業を営む。
→家族でヨウホウ業を営む。
「祖母」「姉」が主語だったもの。
(痩) 祖母がソウコツに鞭打って畑を耕す。
→生活習慣を見直して健康的にヤせる。
(炉) 祖母がロバタで居眠りをする。
→古民家のロバタで昔話を聞く。
(縫) 姉はサイホウ教室に通っている。
→サイホウ箱から針を取り出す。
いまどき、そんな教室あるのか?とツッコミを入れたくなる問題文だった。
性別を特定しない主語に変換した問題文もあった。
(薪) 母がシンスイの労を取る。
→弟子がシンスイの労を取る。
(玩) 父はガング店を経営している。
→実家はガング店を経営している。
(詣) 父は古代史にゾウケイが深い。
→友人は古代史にゾウケイが深い。
(棋) 祖父と父が縁側でショウギをさす。
→縁側で親子がショウギをさしている。
(泰) 父はいつもタイゼンと構えている。
→主将はいつもタイゼン自若とした態度だ。
改訂前の問題文には家父長制の臭いが漂ってきそうなものが多用されていると感じるのは筆者だけだろうか。一家を経済的に支える父と専業主婦の母。「父(あるいは彼)」は知識豊富で、万能感に溢れている。ちなみに「母(あるいは彼女)」が主語になっている問題文に、指導的立場のものはほとんどない。
また、主語を削除するのではなく、全く別の問題文に改めたものもあった。
(嫁) 伯母のトツぎサキはすぐ隣町だ。
→責任をテンカせず問題解決に当たる。
(陣) 不意にジンツウが始まる。
→選手たちがベンチでエンジンを組む。
(兼) 才色ケンビの女性に憧れる。
→主将が部長をケンニンする。
虐待を受けたり、一人親世帯だったりするケースを踏まえての視点と思われるものも見受けられた。先ほどの、母や父を主語にしない問題文も、そのことへの配慮かもしれない。
(尊) 私は両親をソンケイしている。
→君の前向きさをソンケイしている。
理想の少子化対策(?)も盛り込まれた。
(妊) ニンプの産前教育が盛んだ。
→ニンプさんを支える制度を充実させる。
たかが漢字の問題集と侮るなかれ。これらは「隠れたカリキュラム」として、「女性像」「男性像」を子どもたちの潜在意識に形成していくことにつながっている。
メルケルさんが約16年間首相を務めたドイツでは、子どもたちが「男でも首相になれるの?」と質問をしていたというエピソードが有名だ。
先日のノーベル生理学・医学賞のカタリン・カリコさんは、受賞のコメントに「指導的な立場にもっと女性が増えるべきです。科学者を目指す女の子も増えてほしい。とても楽しい仕事です」と語っていた。
男女の賃金格差の分析をしてきたノーベル経済学賞のクラウディア・ゴールデンさんは、日本の低い出生率について、「改善するのはとても難しい」と語っていた。「息子の考え方を支配している年配の人を教育する必要があるからだ」とのこと。
10月11日は国際ガールズ・デイ。性別に左右されることなく、誰もが自分の力を存分に発揮できる社会を目指すには、教育が大事だ。これからも、ジェンダーの視点で教材をチェックしつつ、日々の授業で生徒と向き合いたい。