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捨ててゆく私「由々しき事態」

茶屋ひろし2023.10.10

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急に涼しくなってびっくりしますね。あの猛暑は何だったのか。もう懐かしい気もするくらいです。
「今年の夏は35℃前後が3ヶ月くらい続きました」と書いておかないと来年には忘れてしまいそう。でも去年はこうだったから今年もそうかなと思えないところが異常気象たるゆえんなのかもしれません。

ベランダの鉢植えも暑さのあまり2種類の葉が枯れてしまいました。けれどアジサイの枝からは9月に新芽が吹き出し、6月に生まれたメダカが8月には産卵しました。まだ1センチ程度なのに、早くない? そこから生まれた2,3ミリの子たちがいま数匹いて、越冬までにあらかた成長できるかどうかをハラハラしながら観察しています。
小さなベランダの中の異常気象、けれど熱帯生まれの植物はぐんぐん成長していました。

それに対してアジサイは強い植物ですね。数年前に買ったときの数倍の伸び率、一度しか植え替えをしていないのに、毎年いくつも花を咲かせます。先日SNSで、畑に植えられて人の3倍くらいまで生い茂ったアジサイ(もはや樹木)を見て驚きました。そうか、庭があればそこにあんたも植えてやりたいくらいだよ、とすっかり色を落とした花を見ながら思います。

でもよく考えてみれば、植物に強いも弱いもないかもしれません。すべてはその時の環境に適応するかしないかなのでしょう。本当は種類によって、温度や水、土の調整をしなければならないのでしょうが、私はどの植物にも同じ対応をしているので、枯らすものが一定数出てきます。そんな過酷な環境の中で、数年成長し続けているものもいて、また5年後に突然枯れたりするものもいて。

なので、公園とか庭園とか植物園などで専門家の手が入っている環境は、植物にとって幸せなんだろうだなー、と思うし、いま大阪市内のあちらこちらで電信柱のような形に枝を伐採されている街路樹を見ると悲しく思います。
でも考えてみると、当の植物には不幸も喜びもないかもしれません。

けれど自転車通勤をしている人間としての私は、地球がこんなに暑くなってきているのに、なんで大きな枝を切っちゃったり街路樹を引っこ抜いたりしちゃうのよ! と抗議したくもなります。
そんななか、たまたま付けた朝方のラジオでこの問題について話している人がいて、その方の解説によれば、
①街路樹は自治体の所有物にあたるので、住民の苦情があれば対処しなければならない。虫がいや、鳥うるさい、景観がさえぎられる、落ち葉だれが片付けるねん、など。
②いまは枝を剪定する専門家が少なくなっていて、街路樹の手入れに同行できないことが増えた。
ということで、木を抜いてしまうか、枝を全部切り落としてしまうか、という事態になっているとのことでした。

それを聞いて、私は朝から黙ってしまいました。いろいろなことが重なっていることがわかったからです。これは由々しき事態ですな、と頭の中で返してみます。けれど世の中に起きることはだいたいが由々しきことなので、そう言ってみてもあまり意味はありません。
いったん憂慮して受け入れるというただの癖です。

それからグルグル考えていて、技術職の存在もそうですが、あいだで調整を図る人(公務員)が少なくなってきているのか、と想像しました。それが「コンサル」という仕事に置き換わってしまっているのではないか。
それは市民と自治体(組織)の調整を図る人たちではなくて「中抜き」業者なので、全体の未来をデザインするようなことはしないしできない。
おー、バンパク! というか、それが維新(政党)の仕事でした。そうか、維新にはあいだがないのか。

あいだがないといえば、たまに実家に帰ると、庭の剪定や、大工仕事、電気関係などの諸々は、それぞれ昔から付き合いのある職人さんに任せている様子がうかがえてホッとします。
そこの高齢化や後継ぎの問題もあるけど、母親は何か問題が起きたら、「○○さん」に電話して来てもらっています。
値段もおおよそ見当がついていて、「それはちょっと高いわー」とか、「いやいや、光熱費が上がっててな」、「それはどこも一緒やん」みたいなやり取りが玄関先で出来る。

私も会社の運営を少しずつ任せてもらう中で、仕事のやり取りとはそういうものだと信じていたのですが、どうもその「顔」が見えない相手も多い世界だということがわかってきました。

例えば求人会社。定期的に各社からひっきりなしに若い人たちが電話をかけてきたり来社したりしますが、相手の顔が見えない。その若者の顔が見えないという話ではなくて(見えてます)、相手の会社がウチと組む意味みたいなことがぼやけている。仕事の内容としてはわかるけど、公共性を感じない、といったところでしょうか。
例えば店舗があるビルの管理会社。営業部長の顔や性格は飲みに行ったりしてつかめるけれど、その背後にある巨大資本グループの顔は見えない。
そして大手取次。大手出版社にいた人たちが役員になっていて話もできるけれど、業界を憂うばかりで定年になったらいなくなってしまう。
決定権がないからか、その人との対話が飲み屋レベルで終わってしまって、仕事に結びついている気がしないのである。って、それは私の行動範囲が狭いだけかもしれません。

数年前に母親は、実家の裏にあった主のいなくなった平屋を土地ごと購入しました。私に不動産を遺すつもりだったそうですが、それよりなにより、その庭にあった桜と栗の木が嫌だったみたいで、購入したとたん、その立派な二本をあっさり切り倒してしまいました。
みんな毛虫と栗の木の匂いに悩まされていたからご近所からも感謝されたよ、と言います。

由々しき事態は個人の庭では簡単に解決してしまうようです。経営者としてはその財力と決断力を見習うところですが、私が政治に求めていることはそれじゃない。再開発と言う名の「顔なし」の仕事にこれ以上依存しないでほしい。公共の植物の扱い方ひとつに慎重になってほしい。万博よりも市民の暮らしや街の環境のためにお金を使ってほしい…。

 

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茶屋ひろし

茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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