匿名ブログへの共感の広がり
「保育園落ちた日本死ね!!」匿名ブログがここまで注目を集め、政治を動かしたのは、初めてのことではないだろうか。
このブログが書かれたのは2月中旬。私の周囲では、「「死ね」という言葉はいただけない」と眉をひそめるむきもあったが、圧倒的に共感しシェアする人の方が多かった。
しかし、ネットで共感が広がるだけでは、3月28日に厚生労働省が緊急対応施策を発表するには至らなかっただろう。4月に入ってからもなお連日待機児童問題がマスコミに取り上げられているが、そんなこともなかったはずだ。2月29日の衆議院予算委員会で民主党の山尾志桜里議がこのブログを読み上げたのが、契機となったのは間違いない。
予算委員会で取り上げられた途端、「私活躍出来ねーじゃねーか」、「何が少子化だよクソ」という母親(諸々の取材でブロガーは女性と判明している)の怒りに議員たちが真摯に向き合おうと襟を正した…わけではない。そもそも、山尾議員は、事前にブログを資料として準備しテレビに映すパネルに使うことを理事会で止められたそうだ。なぜ?平沢勝栄議員によると、「出所が明らかでないというのは委員会のいままでのルール」だそうだ(2016年3月10日13時25分更新ハフポスト)。平沢議員が指摘するように、確かに、出所不明な資料をOKにしてしまえば、「誹謗中傷とかいろんなものに使われてしまう」おそれはあろう。しかし、資料の内容によるのではないか。第一、このブログは、誹謗中傷ではない。多くの女性たちは、国会議員にいちいちロビーする資源も時間もない。なんたら審議会の委員に「有識者」として選ばれプレゼンするなんて機会もない。それでも、疲れたまま、打ちひしがれたまま、パソコンを立ち上げて、怒りのたけを匿名で私的なブログに書き込むことは可能なのだ。その思いを当初男たちが占める国会は「ルール」を持ち出して受けとめようとしなかった。
ブログの文章を改めて読み直すと怒りのたけをぶつけるようでいて、絶妙だ。「何なんだよ日本。一億総活躍じゃねーのかよ」との冒頭から、華々しく掲げる政府の建前と厳しい現実のはなはだしいギャップが誰の目(いや答弁した安倍首相や野次した与党議員の目を除くべきか)にも浮かんでくる。「限られた予算の配分をどうするかが問題」と官僚・有識者・マスコミ(専ら男たち)は訳知り顔でいうだろう。しかし、それも欺瞞だと女たちは気づいている。「オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ」。優先順位を上げていないだけではないか。
ブロガーの怒りがその人個人のものではなく、育児の負担を専ら担わされながら「活躍」もせよ、あ、でも保育園入所は厳しい、我慢して、と無理ゲーを押しつけられている女性たちが共有するものだと感じ取り、専ら男たちが占めてきた委員会によるルールなんぞなんだ、これぞ国会で取り上げるべき価値があると気づいた山尾議員が女性であることは、決して偶然ではない。
何度も繰り返し書いてきたが、女性が「本質的に」女性の代弁者だから女性議員を増やせといった単純なことではなく、現状のように女性があまりに少ない議員構成では、女性の経験をくみ上げることが難しい。山尾議員ひとりでもこのように突如待機児童解消問題に焦点をあてることができたのだ。女性議員が増えることによって、女性が直面する問題が政策課題として浮上してくる。女性が直面する、と書いたが、もちろん本来保育園は父親にとっても死活問題であり、男性も直面しているのだが、「本来育児は女がするもの」「男は大黒柱としてせっせと働く」イメージがまだ根強いから、女性の方が直面していることに気づきやすいのだ。本来は女のみならず男にとっても重要な問題が、女性が議員になることで、可視化される。そんな希望が、今回の経緯によりがぜん強くなったのではないだろうか。
共感の広がりが冷淡な態度を転換させる
山尾議員の質問に対し、安倍首相は、「匿名である以上、実際本当に起こっているか、確認のしようがない」と冷淡に答えた。議員席からは「誰が書いたんだよ」、「中身のある議論をしろ」、「本人に会ったのか」などの野次が飛んだ。待機児童問題の背景には保育行政の貧弱、保育士の待遇問題、男も含めてワークライフバランスの歪みなど様々な問題点があり、「中身のある」議論が必要なことは明らかなのに。困難に直面している女たちのリアルが感じられないのか。怒れる女へのあからさまな男たちの嘲笑が、さらに女たちの怒りに火をつけた。3月4日からネット上で「#保育園落ちたの私と私の仲間だ」と題する保育制度の充実を求める署名活動が始まった(現在終了しているが、28,459人もの署名が集まっている)。翌日の3月5日には、国会前に「保育園落ちたの私だ」との紙を掲げた人たちが集まり、抗議活動を行った(朝日新聞デジタル2016年3月5日仲村和代記者・後藤遼大記者)。
ブログへの共鳴と政府の保育政策への怒りがこれほど広がることに、驚いたのだろう。政府は冷淡な態度を改める。3月9日には、塩崎厚労相が上記署名活動の中心になった母親たちから署名簿を受け取った(毎日新聞2016年3月10日14時59分最終更新・阿部亮介記者・中村かさね記者 )。
新聞各紙の論説も、ブログに言及しない読売新聞を除き、政府への批判がおおむね強かったようだ(「社説を読み解く[保育園落ちた]」 論説副委員長・古賀攻・毎日新聞2016年4月5日朝刊)。もっとも、ちらほらと少子化問題への言及があり、ブログにあらわれた女の怒りに共感したのか、国力の低下を心配してのことかはわからない面もある。
落ちが規制緩和では悲しすぎるが諦めず
ともあれ政策の充実に向け検討が始まるなら意義がある。と、3月28日に厚労省が発表した緊急施策をみてみよう。「一時預かりの活用」…付け焼刃感。「規制の弾力化」という名のもとの規制緩和。規制緩和を評価する声もあるが、ええっ、子どもの安全はどうなるのか、保育士をこれ以上消耗させてどうする、と呻いていたら、保育園を考える親の会が胸がすくような採点表を公表してくれている。保育所の面積や保育士配置について国の最低基準より高い独自基準を持つ自治体に対し、引き下げを求める施策について、子どもの詰め込みと保育士の負担を増大させ職場離れに拍車をかけるとし、マイナス評価どころかきっぱり「不可」。保育施設における死亡事故に15年以上関わってきた寺町東子弁護士も、「それはヤバいよ!と言わざるをえないものが含まれている」として、具体的に「詰め込みにより、子どもが集中して遊びこむことができなくなり、子ども同士の小競り合いが増え、保育士の多忙感が増すことになります。」等と指摘している。
さらに、親の会が指摘するように、緊急施策には盛り込まれていない、「インパクトのある保育士の処遇改善」がなければ、「保育士確保・待機児童対策」は無理。さらに、もっとさかのぼって、「ワークライフバランスの推進」にも取り組むべきなのだ。
女の怒りが政治を動かす、とはいえ、まんまと規制緩和の波にのまれそうな気配もあるが、なお寺町弁護士ら女たちが発信を続けていれば、そうはおかしな軌道を修正することも可能だろう。いささか強引でも楽観して前進したい。
女も怒りをプレゼンしよう
それにしても、平沢議員が山尾議員への野次を謝罪しながら、端緒となったブログについて、「これ本当に女性の方が書いた文書ですかね」とコメントしたのが、興味深い。目が点になった。え、そこ疑う?
このブロガーだって、匿名でのブログでは思いのたけを書ける。あるいは気の置けない女子会ならこのまんま話せる。でも、ブロガーもほかの女たちも、怒っていても、実際ロビーやプレゼンの場となったら「どうやったら受け入れてもらえるか」を念頭に、表現を和らげる。そんな「表向き」の遠慮がちな言葉遣いに潜められた怒りを、察することができなかったのか、平沢議員らオヤジたちは…。そうかあ、伝わっていなかったのだ!
まあ罵詈雑言一辺倒なら荒れてくるし、二番煎じはインパクトも減じる。そうそう真似をするつもりはないが、激しく鈍感なオヤジたちにもどうアピールするかを念頭にプレゼンしないとなあっ!と悟りもしたのであった。