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TALK ABOUT THIS WORLD フランス編 千羽鶴と「オッペンハイマー」

中島さおり2023.08.09

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今日(原稿を書いている日)は8月6日だ。私は南フランスのモンペリエ市の自宅にいて、夏のバカンスで初めて日本に行ったという生徒から、広島の灯籠流しの写真とビデオを受け取った。「先生、広島に来ています。原爆の子の像とたくさんの折鶴を見ました。これはセレモニーの写真です」

昨年の秋に私の生徒たちは「サダコと千羽鶴」の物語を通して原爆のことを学び、鶴を折った。あれから、広島に行ったと報告してくる生徒はこれで二人目だ。自分で鶴を折ったという経験も手伝って、心に残ったのではないかと思う。

私は自分で指導していながら「鶴を折って平和を願う」というアクションに、実は懐疑的だった。被爆が原因の白血病で亡くなったサダコの運命に涙し、核兵器が使われないことを、核兵器が廃絶されることを、戦争がなくなることを願って鶴を折る。それはあまりにもナイーブで自己満足的な行為に思われた。鶴を折ったって、国家と国家の争いは無くならない。核兵器だってなくならない。「核兵器を使わせない」が関の山だけれど、「使わせない」ために、核兵器の存在が必要だという「現実主義」の前には、平和を求める鶴が核兵器擁護の鶴にいつの間にかすり替わってしまう。

けれど、生徒たちのリアクションは、すっかり私の考えを変えた。折り鶴は、核の恐ろしさと平和への願いを継承させる優れたアクションだと今は思っている。

自分たちとそう年の変わらないサダコ、自分もかつてそのくらいだった子ども。その子をかわいそうに思うこと、その子の体験を追体験することで、彼らの中にほんの少しでも、被爆した子どもが生まれる。鶴を折るという同じ行為が遠い時代の日本の子ども、原爆の犠牲になった子どもと現代のフランスの彼らを連帯させる。意識しようとしまいと、それは象徴的なコミュニケーションだ。

そして鶴を折ることが平和の実現に直結しなくても、折り続けなければならないということも生徒に教えられた。「鶴を折って何の役に立つんだろう」とふと洩らした私に、ある生徒が言ったのだ。「でも、希望をもつために役に立ちます」。それで私は理解した。鶴は平和のシンボルというよりも、正確には、平和への希望を形にしたものなのだ。どんなに無力でも、希望を捨てていないことを鶴が表してくれるのだ。考えてみればサダコだって、千羽の鶴を折っても病気は治らなかった。それでもサダコは鶴を折り続けた。希望を捨てていないことを見せるため。家族の心を慰めるために。たしかに今、もし広島の折り鶴がなくなったら、誰も鶴を折らなくなったら、それは希望の終わりを意味するだろう。

こんなふうに思うのは、私が外国にいて、外国人たちに原爆の記憶を伝えることに日本人の使命を感じるからかもしれない。日本語の先生として、原爆の記憶を生徒に教えないわけにはいかなかった。

フランスは原子爆弾を投下した当事国ではないから、アメリカのように「原子爆弾投下は戦争終結に必要だった。戦闘継続で死んだだろう何十万人の命を救った」という原爆投下の正当化言説が深く根を下ろしているわけではない。それでも原爆の実態がどんなものだったか想像させれば、我々日本人が普通に知っているものには到底及ばないだろう。知ってもらうことには意味がある。

この原爆忌とちょうど重なるようにして、欧米で少し前に公開された二つの映画「バービー」と「オッペンハイマー」を掛け合わせた「バーベンハイマー」の画像コラが流行した。「オッペンハイマー」は原爆開発のマンハッタン計画を指導した物理学者なので、バービーの背景や衣装に原爆のモチーフを使った画像コラがSNS上に多数流れたのだ。原爆をそんなふうに軽く扱う態度は、やはり原爆の被害についてあまりに無知であることから来るのだろう。唯一の戦争被爆国である日本人の気持ちに抵触し、とりわけ日本で抗議の声が上がった。それは良いことだと思う。被爆者の痛みを知らない人々に、そこに目を向けるよう注意を促すのは、日本人がやるべきことだ。

しかしその一方、日本で「オッペンハイマー」が公開の目処も立っていないというのはどうなのだろうか。「オッペンハイマー」はフランスで公開後すぐに私は見たが、この物理学者の一風変わった伝記映画で、戦前、共産党のシンパだったオッペンハイマーがナチス・ドイツに対抗して原爆を作るマンハッタン計画に携わる前後と、戦後、マッカーシー旋風の只中でソ連との繋がりを疑われ要職を追放される過程とその後をクリストファー・ノーランの映画らしくクロノロジーを錯綜させて描いている。

原爆の開発計画だから、その開発の意義や戦争を終わらせるために日本に投下したという説も出てきたが、日本の降伏は時間の問題だから使用しなくてもいいのではという議論があったこと、結局はソ連牽制のために使用されたことなども言及されていた。人物描写はほとんど感情移入できないほど淡々としていて、私の語学力の限界のせいかもしれないが、オッペンハイマーという人物は最後まで謎の人物だった。

何であれ、悪ふざけではないのだから、日本で公開できない理由というのは思いつかない。私がこの映画を見に行った理由は、クリストファー・ノーランの「インセプション」や「インターステラー」が好きだったこともあるが、オッペンハイマーについては「原爆の父」ということ以外に何も知らなかったので、この人物に興味を持ったためもある。一般の日本人観客も同じだろう。原爆を被害者の視点からだけでなく見ることも時には必要ではないだろうか。それを面白い映画で楽しめて悪いことはないと思う。

滅茶苦茶なプロパガンダ映画ではないのだし、原爆を巡る様々な経緯や考えを知るきっかけになる。それに、もし問題があるなら、映画を批判するのも良いだろう。何が理由で日本で公開がむずかしいのかが、ただただ疑問だ。

第二次世界大戦から時間が遠く隔たるにつれ、「知っていること」は減り、体験は風化する。だから「知ること」がますます重要になる。すべては「知ること」から始まるのだ、目を塞がないで。灯籠流しのビデオを見ながら、そんなことを思った原爆忌だった。

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中島さおり

中島さおり(なかじま・さおり)

エッセイスト・翻訳家
パリ第三大学比較文学科博士準備課程修了
パリ近郊在住 フランス人の夫と子ども二人
著書 『パリの女は産んでいる』(ポプラ社)『パリママの24時間』(集英社)『なぜフランスでは子どもが増えるのか』(講談社現代新書)
訳書 『ナタリー』ダヴィド・フェンキノス(早川書房)、『郊外少年マリク』マブルーク・ラシュディ(集英社)『私の欲しいものリスト』グレゴワール・ドラクール(早川書房)など
最近の趣味 ピアノ(子どものころ習ったピアノを三年前に再開。私立のコンセルヴァトワールで真面目にレッスンを受けている。)
PHOTO:Manabu Matsunaga

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