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幸せな毒娘 Vol.34 追い込まれる女性たち―18歳でホステスデビューしました④

JayooByul2023.08.18

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私は友達とも軽い冗談よりは真面目な話が好きなタイプなので、飲み場の雰囲気に慣れるはずがありませんでした。でも自分に向いてない「仕事」と言うことは既に分かっていて再挑戦したわけです。だから同伴や売り上げなどには欲がなく、ただ基本的な時給さえもらえれば十分だと思っていました。それでも他の仕事に付くより倍以上の時給が貰えましたから。

でもそこで知り合った一人の客が私を指名する代わりにより多くの事を求めて来ました。私が望んでもいない高いブランドのバックを買ってやるから、とか言いながら何が欲しいのかをしつこく聞いてきたのです。私はそういうのは一切求めていないときっぱり断りました。すると、前一緒に二人でディナーを食べた時にそのままセックスをしたかった所をあなたが良い娘に見えたから我慢してやった、と言われました。怖かったです。だから私はそのままその店を辞め、他の店に移ることにしました。今回もまた韓国人が経営する韓国人クラブでした。

店を移っても男はどこも同じくゴミクズでしたが、韓国人クラブで初めて働いた時の姉さんたちからの優しさが少しは恋しくなっていました。一番年下だからって駄目な客が来たらそのテーブルにはあまり行かせないなど、些細な所で面倒を見て貰っていたのです。新しい店でもやっぱり「チビや(ちびちゃん)」と呼ばれながら可愛がってくれました。長女な私はそれまで誰かに面倒を見てもらったことがなく、例え形だけの優しさだったとしてもそれがとても嬉しかったです。誰かを「お姉さん」と呼びながら慕える存在が出来たと言う事実が本当に嬉しかったです。

出来るだえ客と外で会いたくない私がそんな姉さんたちのために出来る最大の努力は、飲めもしないお酒を飲むふりをする事でした。お酒を口に含み、飲み込んだ振りをし、微笑みながら客の話を聞きながら何回か頷いた後、何度も何度もキッチンやトイレに走り込み吐き出す事の繰り返しでした。そうやって姉さんたちの新しいボトルを開ける事を手伝うと、姉さんたちは大喜びしながら「本当にありがとう、良く頑張ったわね!」と褒めてくれたのです。それに大きなやりがいを感じました。

ある日、私にダンスを申し込んだ客が踊ってる途中で私に体を密着させ私の首にキスをしてきました。そして私の手に千円を握らせてくれました。それは、私の人生一プライドの傷つく経験でした。金額の問題ではなく、その場でセクハラをされた代償として私の手にお金が入ったと言う状況が―まさに魂が粉々に壊れてしまう感覚でした。

どうせ毎日同じことをやってるのに何が違うかと思われる方もいるかも知れませんが、月一度給料として貰っていたお金を、セクハラをされた直後に貰ったことによって、私が今やっている事がどんなことだったのか実感するきっかけになったのです。

それでまた一か月を満たせず仕事を辞めました。また罰金を払わねばならないと言われました。最後の出勤の日、ドレスを着替えている間ちいママが「それでも20万円は上げなきゃでしょう!」とママに怒っている声が聞こえました。私のような年に水商売に走る女の子たちの事情を分かっているからでの行動だったと思います。気持ちだけは罰金を減らしてやりたい、そう思っていたでしょう。

その時も最終的に手に入ったお金はとても小さい金額でしたが、ちいママが私のために怒ってくれたと言う事実がとても嬉しくて幸せだったことを未だに覚えています。だから私はオーストラリアに来るまでは、日本で暮らしながら時々とその時出会った姉さんたちが恋しくなったりしていました。その少し歪んだ連帯が恋しくて恋しくて、またその仕事に戻りたいなぁと何度も思ったことがあります。もしかしたら宗教やこういう業界に追い込まれる女性たちはこう言った人との暖かさを求めて、誤った道だと言う事を知りながらもまた戻ったりはまったりを繰り返すのではないでしょうか。

大学を卒業してからはビザが貰える会社に就職しなければならなかったため、自然にと語学を使える仕事に付くようになりました。時給は1200円から1600円程の空港の仕事でした。正確には国際線駅にあるモノレールアテンダントの仕事でしたが、当時の時給が900円前後なのを考えた時、かなり好条件の職場でしたね。もっと早いうちにそんな仕事があると分かっていれば、私もそんな仕事に挑戦できると知っていれば、18歳の私は水商売には追い込まれなかったと思います。もっと方法はないかと、工夫して計画を立てたと思います。

考えてみたら当時は中国語も殆ど忘れていなくて今よりも断然上手でしたし、4か国語を喋れていた私はきっとより良い仕事が見つけられたのにも関わらず、何故こんな仕事に付くことが考えられなかったんだろう…と未だに不思議です。当時はただただ情報が足りませんでした。スマホもなかったし、今のようにYouTubeやツイッターで海外の良い仕事情報や多様な生き方をシェアするフラットホームも少なかったのです。女性として多くのお金を稼げる職業が思ったより多様だったと言うことを知れるはずがありませんでした。家族が、そして親が私が見れる世界の全てでしたから。

それから昼の仕事をしているとしても日常でほぼ毎日のようなセクハラや痴漢被害は避けられない。どうせ同じことをされるようだったらお金でも貰ってされる女性の方が賢いのではないか、とまで思えてくるようになりました。女性嫌悪が当たり前な社会に住んでいる内に、きっと私も正気を失って行ったのかも知れません。

もしも、もしも女性たちがより尊重されちゃんとした待遇をされる社会であるのなら、DVや性犯罪から自由になれるのならば、それでも夜の仕事に目を向ける女性たちがいるのでしょうか?私は違うと思います。

18歳の私は私の人生で今のように自由で不安のない生活が出来る日が来るとは想像すら出来ませんでした。だからこそ私は10代の少女たちが夜の仕事や性産業に目を向けないでほしいです。だからこそ私は10代の少女たちがより多くの世の中を見て、聞き、直接体験してほしいです。お金が全てな訳ではありませんが、人生を生きててとても大事なモノであることは否定できません。自分自身を守るために基本的に必要なモノが金です。でもそのお金を人として尊重されながら、より健全に稼ぐ方法は貴方が思っているよりも多様です。まだその道を分かっていないだけです。

だから私はこう言った産業に努めている女性たちがワーク論に賛成するのではなく、少女たちが簡単に足を踏み入れないようにその産業の裏面を沢山教えてほしいです。その仕事に一度でも付いたことがあるのなら、避けられるのなら避けた方が良い仕事であると分かっているはずです。似たような背景を持ち、似たような状況に置かれた少女たちがそういう道に進まない様に防ぐのが私達大人の責任だと思うんです。私は幼かった私の、そして貴方(少女)のより輝く未来を応援したいから。

生きてさえいれば、まだ人生は終わっていない。

より理想に近い人生へ近づける力は誰もが持っていると信じています。

だから少女たちの世界を一緒に変えていきませんか?

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JayooByul

JayooByul(じゃゆびょる)

JayooByul (ジャヨビョル)日本のお嫁さんとオーストラリアで仲良くコアラ暮らしをしています。堂々なるDV・性犯罪生存者。気づいたらフェミニストと呼ばれていました。毒娘で幸せです。

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