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幸せな毒娘 Vol.32 追い込まれる女性たち―18歳でホステスデビューしました②

JayooByul2023.08.04

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当時その店の売り上げナンバーワンな姉さんは、普段はある企業の会長と同伴で人より遅く出勤し、その日買ってもらった高いブレスレットと指輪などを自慢していましたが、酔っぱらうと誰かが死んだかのように号泣してました。皆似ている事情でそこにいる訳ですから、黙々と見届けるしかありませんでした。見ているだけで私も心が辛かったです。その時のその姉さんの年は24歳でした。今思うとそれもとても幼くて、まだまだ社会に守られなければならない弱い年齢だったと思います。

一緒に寮を使っていたある姉さんは、通う客の一人が好きになったと言ってました。父だと言っても信じられるくらい年の離れた男性でした。その男性は他の店では”おさわり”も多く、出禁になったりもした客らしいのですが、自分だけには一切マナー悪くすることもなく、日本語もできない自分に優しく笑ってくれた良い人だと言いました。他の女性には悪い人でも自分には違ったりもするんだから、客の噂などを聞いて偏見を持つ必要はないと説明してくれました。

そんな姉さんでしたが、ある日大泣きしながら寮に帰ってきました。その姉さんは子宮が弱くて性関係が自由に持てなかったのですが、その男が激怒しながらその姉さんを無理やりホテルに連れ込んだと言いました。そんなことがあってからもその姉さんは、その男が未だに良い男だと信じているようでした。その後も何回ものデートが続いたのです。

「この仕事」に就いてあまり時間の経っていない女性たちは、このようにたいして条件も良くないのに「悪い男」に簡単に惹かれてしまうようです。男皆して同じクズだから、少し優しくしてあげるだけで惚れてしまうんだとか。周りで比べる対象が客しかいないせいでもありますね。だからその狙いで店に来る若い男性客も大勢いました。

一度は私が嫌だと拒んでも私を無理やり抱き着き口づけをした男がいました。身長も190㎝くらいあって、体もお相撲さんのようにデカく、力が凄かったです。男の両腕に体全体を束縛され身動きが一切取れませんでした。その時私は人生初めて、「男には絶対勝てない」という恐怖を覚えました。

それでも父のように殴ったりはしてこないから。
少し嫌な事をされても皆表面的には優しくしてくれるし、お金も稼げるから。
だから父と暮らすよりはこうやって水商売をしながら暮らす方がずっとマシだと思いました。
私を殴る人がいないと思うと家に帰ることも全く怖くありませんでした。

しかし私がその仕事を続けるには最も大きい問題がありました。私は韓国で長女として育ったため、誰かにお世話になったりお願いをしたりすることが大苦手です。だから客に同伴をお願いしたり、高いモノをねだったりすることができませんでした。客が自ら買ってあげるよ、と言ってきても断ったし、店に来てくれるとしても高い金額を払うのではないかと相手の余計な心配をしてしまうのです。要するに「水商売が性に合わない女」でした。でも正直そういう仕事に「適性」というモノが存在するのでしょうか? 私は女性がどれほど自我を捨てられるかが大事な業界だと思っています。

その店にはダンスが上手な姉さんが一人いました。その姉さんはダンスを踊る度に十万円以上のチップを貰う事ができました。私は他の事はできなくても、あれなら正々堂々と稼げるかも知れないと思いました。だからダンスの先生を雇い、空き時間に練習して、一、二万円のチップを稼ぎ始めました。

ある日、その姉さんが苦手なジャンルの曲が流れました。姉さんは珍しく慌ててました。当時の私は今よりももっと消極的で恥ずかしがり屋でしたが、その日は何の心境の変化があったのか、飲めない酒を一口飲みこみその姉さんと一緒に踊り出しました。ダンスも下手なのにそういうのはどうでも良かったのです。するとその姉さんは私に「ちびちゃん、ありがとうね」とささやいてくれました。それを言われ私の心がじゅわーっと温まったのです。私はこの姉さんたちが大好き! そう思いました。もちろん全ての従業員と仲良くしていた訳ではなかったのですが、だいたいの姉さんたちは一番年下の私を可愛がり良く面倒を見てくれていたのです。だから私もそんな姉さんたちのために、何かができたら良いなぁと思っていました。

とはいえ、辛い事がなくなる訳ではありません。毎日セクハラに遭い、病んでいく気持ちを私の個人のサイトに投稿したことがあります。そしたらそれを見かけた妹が私が水商売をやっていると母に言いつけたのでした。だから私は強制的に帰国をせざるを得なかったです。正直なところ、親は私がどこで暮らしていたのかも知らなかったし、連絡を無視すれば良いだけの話でしたが、本能的にこの仕事が苦痛だったため、親の言うことを聞くふりをしながら辞めたのです。

また外国人が日本の風俗業で働くのは違法だったため、取り締まりに捕まってしまったら強制送還されるかも知れないと言う恐れもありました。その時の私はまだ日本で叶えたい夢もあって、日本に来れなくなってしまっては困りましたから。韓国から必ず逃げ出したかったからです。

たまにニュースで流れる入管や警察に捕まった海外出身のデリヘル嬢たちを見ながら、「私たちは彼女たちとは格が違う」と呟いた姉さんがいました。私からしたら皆所詮社会に捨てられ、追い込まれた人々に過ぎませんでしたけど。でもそうまでしてても自分の立場を慰めないとやってられなかったのではないかと思います。

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JayooByul

JayooByul(じゃゆびょる)

JayooByul (ジャヨビョル)日本のお嫁さんとオーストラリアで仲良くコアラ暮らしをしています。堂々なるDV・性犯罪生存者。気づいたらフェミニストと呼ばれていました。毒娘で幸せです。

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