最高裁判所とは?
この連載が更新されるのは、夫婦別姓訴訟の最高裁大法廷弁論(11月4日)の翌日だ。
この原稿を書いているのは、その直前。私の頭の中は大法廷弁論でいっぱいだ。
「裁判所ってそれは緊張するところでしょうね」と一般の人は合点するかもしれない。いやいや、平日はほぼ毎日家庭裁判所(離婚事件専門の私が行くのは、地方裁判所ではなくもっぱら家庭裁判所)に赴く私にとっては、裁判所はもはや「日常」の場。とうに緊張などしない。
しかし、そんな弁護士にとっても、最高裁判所は異空間だ。
一度も最高裁判所に行くことがない弁護士のほうが大半だ。最高裁では、上告を棄却するときは、弁論を開く必要がない。そして、最高裁の事件は、大半が、弁論を開かれることなく、上告棄却・上告不受理となる。司法統計によると、2014年度の民事・行政上告審既済案件5,879件中、破棄は45件しかない。既済案件数を分母にして計算すれば、破棄率は0.77%、1%にも満たない。
そもそも、上告理由は非常に限定されている。民事訴訟でいえば、判決に憲法の解釈の誤りがあること、その他憲法の違反があること(民事訴訟法312条1項)等。相当ハードルが高い。
という次第で、通常の案件では、控訴審で何とか決着をつけようとするしかない。
しかし、国内の裁判事件の上告について、最終的な判断を下す最高裁判所は、一切の法律等が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所=憲法の番人である(憲法81条)。民主主義=多数決ではないけれども、国会の多数派で定められる法律が少数者の人権を侵害するときには、最高裁判所が判断をしてくれなければ、憲法上の人権や平等権の侵害がそのままに放置されてしまうことになる。だから、最高裁判所は、「人権を守る最後の砦」ともいわれるのである。
この訴訟に賭けられているもの
夫婦別姓訴訟の主張の骨子は、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」と定める民法750条が、憲法上及び条約上の権利・自由を侵害しているにもかかわらず、国が民法750条を改正しないこと(国の立法不作為)は、国家賠償法1条1項上の違法な行為に該当し、よって、国は原告らが被った不利益や精神的損害について賠償する義務を負う、というものだ。
「立法不作為」とか「精神的損害」とか、どうも法律用語は堅苦しくて申し訳ない。そんな言葉にまとめないと、裁判所では通用しないから、弁護団としても気合いを入れて主張をカッチリまとめてきた。しかし、私たちが手弁当で相当な時間をかけてこの訴訟に打ち込んできたのは、上告人らの切実な思い、そしてその思いに共感するたくさんの人たち(多くが女性)の願いに駆り立てられたからだ。
確かに、結婚して改姓することを気にしない、いやむしろ嬉しい人もいるだろう。しかし、婚姻により望まない改姓を余儀なくされ、「自分が自分でなくなってしまった」と悲しみ、苦しむ女性たちもいるのだ。心身に影響があらわれる場合もある。
上告人の一人は婚姻改姓後、母乳が出なくなったり、生理が止まったりした。鬱状態に陥った人いる。「嬉しい瞬間のはずの結婚が、本当に苦渋の決断となりました」と言った女性もいた。
他方、夫婦とも氏を維持するために、やむなく法律婚を断念し事実婚にするカップルがいるし、いったん法律婚をしたけれども、耐えられずにペーパー離婚するケースもある。彼ら彼女らもそれぞれの氏を維持できさえすれば、法律婚をしたいのに。そして、事実婚には法律婚に比べ税法上の扶養家族になれないなど、さまざまな不利益がある。
女性たちは、女性であるがゆえに、改姓を強いられると実感している。それは思いこみではない。
婚姻の際に夫の氏を選んだ夫婦の割合の推移をグラフにしてみれば、夫の氏を選んだ割合が一貫して高い、それも100%近くの数値が続くことに息をのむ。このような極端な数字を、夫婦の自由な話し合いによる合意の結果であると考える人はいないだろう。民法750条があるがゆえの差別的な結果であることは明らかだ。
民法改正を拒絶し人権侵害を放置する国会
私たちは、気が遠くなるくらい長い間、民法750条の改正を待ってきた。上告人の一人である塚本さんは、なんと50年以上待ち望んでいる。女性差別撤廃条約の批准(1985年)から30年。選択的夫婦別姓を盛り込んだ民法改正案要綱の答申(1996年)から19年。
しかし、国会も政府も未だに民法改正に着手しない。むしろ拒絶の意思を一層強く示しているといってもいい。すなわち、本年8月に成立した女性活躍推進法はその1条(目的)に、「・・・女性の職業生活における活躍を迅速かつ重点的に推進し、もって男女の人権が尊重され、かつ、急速な少子高齢化の進展、国民の需要の多様化その他の社会経済情勢の変化に対応できる豊かで活力ある社会を実現することを目的とする。」としたものの、選択的夫婦別氏制の実現をその具体的施策対象からあえて外している。
さらに、6月9日、自民党の女性活躍推進本部は男女の婚姻適齢を平等化する提言をまとめたが、婚姻適齢と同じく、1996年の民法改正案要綱に含まれ、かつ女性差別撤廃委員会から改正勧告を受け続けている選択的夫婦別姓制度を除外している。これまたあえて、というほかない。
そもそも、自民党の女性活躍推進本部長は稲朋美政調会長…。稲田政調会長といえば、女性自身11月10日号に「激白40分 男子も女子も自衛隊体験入隊すべき!」と題したインタビュー記事が掲載された。
題名にある通り、「草食系といわれる今の男子たちも背筋がビシッとするかもしれない」ということで自衛隊に体験入隊することの大切さを説いたことを問われ、「徴兵制は違憲である」と言い添えつつ、「男子も女子も」と女子も追加するも、自衛隊体験入隊を重要とする。徴兵制をソフトに言い換えているのではないかとネット上話題になった。別姓についても、かつては反対していた通称使用については「推進していくべき」と自説を変えつつ、「結婚している家族が同じ姓であるほうがいいと思う」とさらりと感想を述べる。
そう思うカップルはそうすればいい。しかし、氏の変更を強制されたくないという個人まで改姓しろと他者がいえるのか。「いいと思う」程度の感覚で、国会が人権の侵害、不平等を放置しているのかとめまいがする。
最高裁大法廷の判断に期待!
民法750条は、以下の権利。自由を侵害している(詳細は別姓訴訟を支える会のサイトにアップされた上告理由書等を参照していただきたい)。
①憲法13条が保障する氏名権ないし「氏の変更を強制されない自由」
②憲法13条・同24条2項が保障する「個人としての尊重」及び「個人の尊厳」
③憲法24条1項・同13条が保障する「婚姻の自由」
④憲法14条1項・同24条2項が保障する平等権(上告審より追加)
⑤女性差別撤廃条約16条1項(b)の規定が保障する「自由かつ完全な合意のみにより婚姻をする同一の権利」及び同項及び(g)の規定が保障する「夫及び妻の同一の個人的権利(姓及び職業を選択する権利を含む。)」
東京地裁、東京高裁は私たちの訴えを認めなかったが、2月18日、夫婦別姓訴訟の上告等が係っていた最高裁判所第三小法廷は、同事件を大法廷に回付することを決定し、11月4日の大法廷弁論がもたれることになった。上告人たちも弁護団も回付の決定で既に涙した。大法廷に回付されたということは、少なくとも最高裁第三小法廷の5人の裁判官のうち多数が、民法750条の憲法適合性を判断する必要がある、あるいは、民法750条が憲法に適合しないと考えたのではないだろうか(裁判所法10条1号2号参照)。
弁論までに、多数の報道機関から取材を受け、また多くの人たちからエールをいただき、民法750条への関心が高いこと、改正を待ち望んでいる人が多数いることをあらためて実感した。
男女共同参画白書平成27年版は、「法務省では,平成8年2月の法制審議会の答申(「民法の一部を改正する法律案要綱」)を踏まえた選択的夫婦別氏制度の導入等を内容とする民法改正については,引き続き慎重な検討が必要であるとの認識の下,ホームページを通じた国民への情報提供等に努めている。」と記載している。同白書の平成25年版の当該箇所の記載は、「法務省では,(略)引き続き検討を行っている。」であった。
しかし、平成26年版から、「慎重に」が追加されたのだ(!)。これ以上何を「慎重」に検討するというのか。選択的夫婦別氏制の導入は、選択肢を広げるものに過ぎない。嫌がるカップルにまで夫婦別氏を強要するものではない。
つまり、それによって利益を損なわれる人は存在しない。反対利益がない中で、何のために「慎重」を期すというのか。侵害されているのは、その人の人権である。周りの人の人権ではない。ある人の人権が現実に侵害され続けているときに、その侵害を排除する必要はないと、周りが口を挟む余地があるわけがない(このほか、詳細は、別姓訴訟支える会にアップされる弁論要旨を参照)。
心から、最高裁判所が、民法750条が違憲であり、女性差別撤廃条約に違反することを明確に宣言することを願っている。