違憲と明言された安全保障関連法が成立?
どんな時代になってしまったのだろう。平和な時代ならば、憲法のことなど意識しないでいい。個人の尊厳を基本的価値とする憲法がないがしろにされ、日々自分が、大切な人が、「公益」やら「公の秩序」といったお題目のもと、個人として尊重されなくなるのではないか、心配で心配でしかたがない、なんて日がくるとは、ほんの数年前まで夢にも思っていなかった。おっと、「公益」も「公の秩序」も、いずれも自民党の改憲案が憲法13条にある「公共の福祉」に代えてしまおうとする言葉。どれも「公」とついているから似たようなもの、と誤魔化されないでほしい。基本的人権は最大限尊重されなければならない。それを制限する「公共の福祉」とは、人権が相互に衝突したり矛盾したりする場合にそれを調整・解決するための概念である。自民党改憲案を説明するQ&A(増補版)では、「公益」「公の秩序」という言葉で置き換えることで、「基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです」と胸を張る。おお…。人権相互の衝突の場合以外にどんなことが想定されるのだ。あいまい過ぎる「公益」「公の秩序」なるフレーズのもとで。たとえば、時の政権が「原発政策推進が公益じゃ」と言い張れば反原発運動は「公益」に反することになるのでは。ぞぞっ。そもそも、同条の「個人として」尊重されるとあるのを、「個」をとって「人として」尊重されるに書きかえてしまってもいる。個人の尊重を殊更に嫌っているとしか思えない。
しかし、まだ改憲されていない。バルネラブルな私たちをともすれば「公益」「公の秩序」の名目で損ない制限しかねない権力を拘束する憲法は無事だ。
ぶ、無事だといいたい。
無事…なのだろうか…。
憲法学の研究者(ごく数人を除き)がこぞって違憲といい、山口繁最高裁元長官が違憲といい、学者の会が、日弁連、各単位弁護士会など法律専門家・学識者も含めその他数多くの団体・個人が違憲と指摘し反対の声を上げたにもかかわらず、9月30日、安保関連法が公布された。
内閣法制局は、かつて「法の番人」といわれ、内閣の一機関ではあれ、法の専門家として法案を厳格に審査し、憲法との適合性を担保してきた、権威のある組織であった。しかし、9月15日安保法制公聴会にて濱田邦夫元最高裁判事が「今は亡き内閣法制局」と痛烈に批判した通り、政権の見解をそのまま通過させるだけの「政権の番犬」(東京新聞2015年9月30日付朝刊の明治大学西川伸一教授の言葉)になり下がってしまった。
一行政機関の権威の失墜と嗤ってはいられないのだ。法の番人が政権の番犬に堕ちたということは、国の最高法規である憲法の解釈など、時の政権の思うがまま、法の支配などもはやない社会になってしまう、ということ。
内容も、さらには手続的にも、「超」手続という事態である。「採決が強行」されると危ぶんでいたが、「強行」されるどころか、「採決」があったともいえない事態である。9月17日の参院特別委員会で「強行「採決」があったというが、委員でもない与党議員が突如入りこんで騒然とした中で、与党議員も何が何だかわからない状態で何度もバラバラと立ったり座ったりしたという状態で(白眞勲参議院議員による9月18日参議院本会議での鴻池委員長問責決議案賛成討論等参照)、速記録には、「議場騒然、聴取不能」としか記載されておらず、憲法58条に従って定められた表決の要件を満たしているとは言い難い。議決無効と法案審議の再開を求める署名がまたたく間に3万2101筆集まり、「議決無効と審議再開を求める弁護士有志」126人など、議決自体に無効との疑義の声が上がっている。
憲法など内容としても手続としても尊重しなくてもいいと言わんばかりの政府・与党の傲慢な態度に、私たちの人権が憲法にのっとってきちんと保障されるという安心感など到底抱けない。
人口政策としての女性の活躍?
憲法が危ぶまれる。今や、9条だけでなく、緊急事態条項、そして、別姓訴訟弁護団事務局長でもある私が(注 別姓訴訟=夫婦同姓を強制する民法750条が憲法13条、24条、14条、女性差別撤廃条約に違反すると主張する訴訟)、憲法の各条文の中でとりわけお世話になっている24条も、危うい、いや24条こそ危うい、と指摘されている(山口智美さんらのツイートのまとめ参照)。
家族法は個人の尊厳と両性の本質的平等に基づいて規定されなければならないと特に強い指示を出している憲法24条が危ういとなれば、私たち女性にとってまだ平等が実現したとは程遠い状況なのに、さらに後退してしまうのか。
しかし、でもアベノミクスの何本めかの矢に「女性の輝く日本!」が謳われているではないか。ん?仕事も家庭も!女性のチャレンジ応援プラン!ちょっと待て。仕事も家庭も!は女だけでなく男にも向けてほしい。女性はむしろ仕事も育児介護も担って疲弊している。男性のチャレンジ応援プランこそ打ち出すべきではないか。こんな無邪気なwebページからして子育ても介護も女に押し付けた上で、少子化・高齢化で足りない労働力としても、「オラ、働けよ!」ということか。女性を活躍ならぬ酷使する日本!か。女性の不安定非正規雇用と貧困をさらに広げると危惧され反対された改正労働者派遣法が9月11日に可決成立となり(女性の労働との関係ではたとえば日弁連の昨年のシンポの資料参照)、なんと10月1日に施行された。労働分野の規制緩和の波の中、女性や若者など派遣労働者は正社員になる道をほぼ閉ざされ、「3年でクビ」になることを恐れる。労働時間の「弾力化」、ないし定額働かせ放題の労働基準法改正案はなんとか今国会では成立を見送られたが、これも実現したら、仕事でも家庭でも明るく輝ける人は男でも女でもそうはいないはずだ。
さて、安倍首相、9月30日未明(日本時間)、国連総会の一般討論演説で、シリア・イラク難民の問題について経済支援を実施する方針を表明。これでばっちり、とでも思っていたことだろう。意気軒昂のまま、その後の記者会見で、常任理事国入りへの意欲を表明したはずだ。ところが、「難民受け入れは?」と問われて、なんと首相は、「人口問題として申し上げれば、我々は移民を受け入れる前に、女性の活躍であり、高齢者の活躍であり、出生率を上げていくにはまだまだ打つべき手があるといことでもあります」と答えたというのである(The Huffington postの記事)。は…。記者たちのあいた口はふさがらなかったに違いない。難民の人権問題への取組みがなぜ人口問題にすり替わってしまうのだ。海外のメディアのほうが即座に問題点を認識し、批判した。ロイター通信は、「シリア難民問題解決より国内問題の解決を先行させると安倍は言った」との見出しで。ガーディアンは、「日本は高所得の国なのに、第二次世界大戦以降最悪の難民問題に取り組んでいる中東や欧州にのしかかるプレッシャーを緩和しようとしない」という人権団体の意見を報じた。日本で難民として認定されたシリア人はたった3人とも指摘している。ああ、安倍首相が好むフレーズ「積極的平和主義」がなんと空疎なものか、赤裸々にわかってしまった。緒方貞子さんが言うように、難民を積極的に受け入れることは積極的平和主義の一部だというのに。
そして、安倍首相の先ほどのフレーズ。「人口問題として申し上げれば…」。やはり「女性の活躍」は人権問題ではなく人口問題の一環だということがいみじくもわかるではないか。
少子化社会対策大綱に盛り込まれた、「学校教育段階において、妊娠・出産等に関する医学的・科学的に正しい知識を適切な教材に盛り込む」を文科省が早速形にした保健体育副教材「健康な生活を送るために」(改訂版)が、「医学的・科学的に正しい知識」どころか、驚くほどツッコミどころ盛りだくさんなずさんなものであることが判明。特に女子高生の若年での妊娠・出産を誘導するもで、リプロダクティブ・ヘルス/ライツを侵害し多様な生き方を否定すると抗議の声が上がっている。
んぬぬぬ…いや、眉間にしわを寄せてばかりでは陰鬱になる。たまには芸能ニュースに目を向け、福山雅治と吹石一恵の結婚ニュースにほほお~ニコニコとでもしようかと思いきや(いや、SNS上の阿鼻叫喚ぶりに驚いた!そんなに人気者なんだ?)、菅官房長官が9月29日、「ハハハ、本当、良かったですよね。結婚を機に、やはりママさんたちが、一緒に子供を産みたいとか、そういう形で国家に貢献してくれればいいなと思っています。たくさん産んでください」と発言した。んぬぬぬ…こんな話題ですら、ゲンナリするネタに変換しなくては気が済まないのか。その後の釈明も説明でなく単に「違う」と言い切るのみ。結婚といえば出産と一足飛び、そしてそれは国家のため。いや~やはり副教材といい、女たちに自由に自分の人生を謳歌してくれ、様々な選択を応援する、というより、「子どもをたくさん産んで国家にささげろ、そのためには早く産め」というささやき、いや罵りのようなものが聞こえてくるのは空耳だろうか。
安保関連法を念頭に、産めよふやせよ政策か!?と直感的に罵りたくなるが、落ち着こう。長年リプロ問題に主体的に取り組んできた方々が緻密に検証してくださることにより、何が起こっているのか広く知られることになる。知識と考察を拠りどころに、「女」が「輝く」だのと高らかに謳う表看板に惑わされずに、政策の意図や効果を批判していきたい。