私はセクシャルマイノリティの当事者として色んな相談に乗ってきました。そのなかで、私自身も直接経験したことのある悩みが「ジェンダー」に関する問題です。「私はトランスジェンダーかも知れません。でもまだ確信がないんです」と相談してくる女性はかなり多いんです。ジェンダーに関して悩む年齢は自分のアイデンティティーについて悩み始める10代が最も多いです。
先ず私自身の話からしていきます。
私はつい一年前までも自分がジェンダーフルイドだと思っていました。何故なら、私は自分の体がある日突然男性に変わるとしても大したディスフォリア(間違った体に入っているかもと言う不快感) を感じる事はないだろうという確信があったからです。体はただの魂を入れる器に過ぎないモノであり、身体の性別なんて生まれたままに生きれば良いんだから自分のジェンダーとか大事じゃないと、そう思っていました。
こういう話をしたら元医者だった友人がこういう事を言ってくれました。
「ビョルさん、あのね、ジェンダーは本当は存在しないもので、貴方のように思うのが普通なんだよ」
と。ジェンダーというモノは社会 (主に男性) が決めた性別による役割の概念であって、そういう差別が存在しないとしたら人間は相手のジェンダーに憧れることもないのではないかと。人間を含めた全ての動物は私たちが指が10本あることに疑問を持たないのと同様、持って生まれた身体的な性別に普通は何の疑問を持たず生きていく。実際「違う体に入っている」という苦しさは、トランジションだけでは解決しない事が多いという話でした。確かに、性別適合手術を受けた後にうつ病に苦しむ患者のケースは沢山あります。それを聞き、私はジェンダーフルイドではなく、ジェンダー論に影響されていただけなのではないかと考えるようになりました。今は誰かに私の性別を聞かれても「私は女性です」と答えています。
また、「生まれた性別」により悩む方向も違います。「おしゃれが好きだから」「男が好きだから」「化粧をしてドレスを身につけたいから」「女装して性的に興奮するから」等、主にセクシャルな思考に関わっているのは男性に多く、手術を受ける際には平均よりも大きな胸のサイズを求め、髪の毛をのばし、いわゆる「男性から性的に求められる女性像」に自らを近づけます。
しかし女性の場合は話が変わります。私は中学生の時に皆から「女の子なんだからこうしなさい」と言われるのが凄く嫌で、制服もズボンを選び、座る時もわざと足を広げて座ったりしていました。「女の子らしく」と言うのは私の最も嫌いな言葉であって、男性には何の苦もなく容認される事が女性にだけ認めてもらえないという状況がとても気に入らなかったのです。
当時の韓国は日本のような部活文化も存在していなかったので、小学生の時はサッカーが好きで男子と遊んだりしていたのが、いつの間にか体育の時間になると「男子はサッカーかバスケ、女子は自由時間だからそこら辺で休んでて」と言われるようになり、座っておしゃべり以外何も出来なくなってしまっていました。だから女性として生まれたせいでやりたいことが自由にできないと言う欲求不満が心のどっかに常に存在していました。
それから性被害のフラッシュバックと共に自分の性別への嫌悪感はさらに増しました。それからも日常で絶えないセクハラや痴漢。どんだけ避けようとしても避けきれません。女として生まれてさえなければそういう目に逢うこともなかったのに、女として生まれたせいでこんなにこんなに毎日のように吐き気がするような思いをしなければならないんだと。女性として生まれた自分が憎く、女性の体をした自分の肉体も嫌いになり、胸に包帯を巻いて歩いた時期もありました。
もちろん、同性が好きになったせいで男性になりたいと思った時期もあります。パンセクシャルな私はやはり女性を好きになった時に限って「私が男性だったら良かったのに」と思う事が多かったのですが、元カノが男性と浮気をしていた事を知った時は尚更その思いが強くなりました。もちろんそれは「同性愛者」に対する社会の偏見や差別がなければそう思う事もなかったでしょう。私が男だったら好きな女性と結婚も簡単にでき、皆の前で堂々とこの人が私の彼女ですよと自慢もできるはずなのに…と、同性愛者の皆さんは必ず一度は思った事あるのではないでしょうか?なので同性婚が社会的に受け入れられ、女性として女性が好きな完レズのオヨメと暮らしている今は、心から女性として生まれて良かったと思う自分がいます。
私が相談を受けた「自分はトランスジェンダーかも」と思う女性の方々の多くは、上に述べた三つの社会現象が原因で「男になりたい」、または「自分は女性ではないかも」、と悩まされていました。特に性犯罪に遭い自分の体を汚いと思いながら自分の体への嫌悪の気持ちを抱いてしまったり、長年のDVで「女性の弱い身体」を嫌ったりするケースが最も多かったです。結局ジェンダーというモノは、個人的な悩み以上に、「女性への偏見で固まった社会との闘い」な場合が多いのではないかと私は個人的に考えています。
実際トランスジェンダーとして悩んでいる10代の4/5以上は、何の医学的な介入がなくても大人になるにつれ自然に解決するという研究結果がありました。子供たちのそういった悩みは大人たちが作り上げた社会が問題になっているのではないでしょうか? 私は服も化粧も女性ものが好きだからだとか、私は男っぽい言動をするしそういうのが楽だからだとか…その「女性らしい」も「女性らしくない」も全て社会が決めた偏見に過ぎないじゃないですか。そういった社会的な偏見が、私たちを、そして子供たちを苦しめているのではないでしょうか? スポーツが好きでロボットで遊ぶ女の子もいれば、人形遊びが好きでおしゃれが好きな男性もいていいと思うのです。
人間は社会的な動物でありますから、そう成り立ってしまっている社会を完全に無視することは難しいと思います。でも私は皆さんがジェンダーやワーディングにかかわらず、本当の自分が望んでいるものは何か、これからどんな自分になりたいのかについてじっくり考える時間を設けてほしいです。私は独立的で、家事よりは外でバリバリ稼ぐのが好きで、子供も欲しくありません。でもたまには綺麗におしゃれをして好きな人とデートをするのが好きです。私はただそういう女性なんです。世の中には誰もが見ても社会的な男性と女性の役割のまま生きて行く人もいれば、私のようにどっちのジェンダーの役割も果たしていない、どっちとも言えない人だって沢山いるはずです。でもそれはただ個人の性格や傾向の違いであって、私が女性じゃないから、実は男だから、で済ませるような問題ではない気がします。
ジェンダーのこと、皆さんはどう思いますか?