ブリュノ・ル・メールはフランスの財務大臣だ。このたび“Fugue américain”(アメリカ遁走曲)という小説を書いたところ、4月27日に出版されるや、あっと言う間に非難囂々の嵐にあった。
非難の理由というのが、その小説の72ページに書かれた露骨な性描写だった。それが国民を驚かせ、失笑を買ったのだ。
「おいおい、財務大臣はエロ小説など書いている時間があるのか、アメリカのフィッチ社が、フランスの格付けを引き下げたという時に」
ツイッターを中心に瞬く間に噂は広がり、ブリュノ・ル・メールは散々にこき下ろされたのだった。しかし『アメリカ遁走曲』はエロ小説ではない。擁護する記事によれば、「悪口を言っている奴らは74ページまでしか読んでいない。小説は480ページもあるのに」、「これほど読まれずに論争の的になった小説もない」。
物語の筋は、ナチスのドイツからアメリカに逃げたユダヤ人家庭のフランツとオスカーという兄弟を巡って展開される。真の主人公は天才ピアニスト、ウラジミール・ホロヴィッツだそうで、ライバルのスヴャトスラフ・リヒテルもアルトゥール・ルビンシュタインも出てくる。ピアノやクラシック音楽が好きなら、ちょっと面白そうな気もしなくはない。
著名人は本を出すのにゴーストライターを使ったりするが、ブリュノ・ル・メールは自分で書いている。インタビューに「朝早く起きたり、週末やバカンス中に書いている。他の時は経済・財務大臣の仕事に100%集中している」と答えている。
ブリュノ・ル・メールは、フランスの政治エリートを養成するENA(国立行政学院)を出ているが、その前はENS(高等師範学校)で文学を勉強し、近代文学の上級教員資格を取った。ドイツ文学に親しみ、ピアノを弾く。
そんな彼の文体的特徴は、ところどころにその文学的、音楽的教養をひけらかすことだそうで、この小説は第二作目だが、一作目は指揮者カルロス・クライバーを扱ったものだった。
ブリュノ・ル・メールは、ミシェル・ウエルベックとも親交があり、昨年出版されたAnéantir(アネアンティール)に出てくる経済・財務相のモデルになったそうだ。
フランスの閣僚ではもう一人、マルレーヌ・シアッパという社会連帯経済・市民活動担当長官が、「プレイボーイ」の表紙グラビアを飾って顰蹙を買ったが、彼女も毎年のように小説を発表している。
フランスは19世紀にはヴィクトール・ユゴーやラマルチーヌといった有名な詩人が政治家として活躍したし、20世紀にもアンドレ・マルローのような文人政治家がいる。フランソワ・ミッテランも文筆で知られた。文人政治家というのはフランスの伝統とも言えるかもしれない。小説の出来は読んでいないのでわからないし、フランスの経済にどのような影響があるかもわからないが、字もまともに読めない首相が続出する国の出身者としては、経済・財務大臣が文学的野心を持って小説を書いているというのは、うらやましいというかほほ笑ましいというか、むしろ好感を持ったのであった。
ブリュノ・ル・メール著『Fugue américain』