5月9日、第二次世界大戦でソ連がナチス・ドイツを下した「戦勝記念日」であるこの日、在ドイツのロシア人たちはどのように過ごしたのかを報じたBBCの記事を読んだ。ベルリンのトレプトウ公園にあるソ連戦争記念碑を訪れる在独ロシア人たちの多くは、このウクライナでの戦争を、プーチン大統領が「ファシスト」から東ウクライナを解放するための戦争だと意見を口にしたという。プーチン大統領の写真を身につけたり、ソ連の国旗(ロシア国旗の掲示は禁止されているため)を手にしたりした人々が、アメリカや西側諸国はウクライナでネオナチを煽っているのだと話すその場の反対側では、同じく在独のロシア人でもまったく反対の立場で、第二次世界大戦でナチズムの犠牲になった人々のために祈りを捧げながら、この「ファシズム」という言葉がロシアのプロパガンダに使われているとして反戦を訴えていたという。
今年2月、このウクライナ・ロシア戦争が始まって一年となる日を前に、私はこの時事テーマのもと、とあるメディアの取材に同行していた。そのときに取材した人たちは、ドイツの憲法擁護庁からマークされているという、親ロシア派と呼ばれている人たちだった。別の海外メディアの取材に応じてこなかった彼らが取材をよく了承したものだと内心驚いたが、間をつないでくれた人の電話で、すぐに出てきてくれたのだった。
夫婦であるこの二人は(姓も違うし法的に婚姻関係にあるのかは不明だが、彼女は「私の夫」と話していた)、ロシア出身の夫のほうは10年ほど、東ウクライナ出身の妻のほうはすでに20年以上ドイツに在住しているそうだが、特に夫のほうはドイツ語はあまり話せず、妻のほうも語彙はそれほど多くないようだった。福祉関連の職に就いていた彼女は、ロシアがウクライナに侵攻した直後から、ロシアの侵攻を正当化した主張のもとでロシア国旗を掲げたデモなどを繰り返したり、戦地となった故郷の東ウクライナへ渡り、「ウクライナ側の攻撃で破壊された街」を報じた動画を発信したり、さらにはあのワグネルの指導者と一緒に写っている写真が出回るなど、「ロシア側のスパイ」として憲法擁護庁にマークされているとマスコミで報じられているのだった。
そんな彼女がカメラの前で、ロシア語のアクセントが強く残るドイツ語でひたすら繰り返した言葉は「平和」であった。デモを繰り返すのは、とにかく平和が戻ってほしいからだと、戦争が一刻も早く終わってほしいからだと言う。ちょうどインタビューの数日前に、ドイツ政府はウクライナへの戦車の供与を決定したタイミングであり、そのことも含めて、彼女は兵器の供与は戦争をエスカレートさせるだけであり、ドイツ政府の外交政策は間違っていると批判する。
取材チームから投げられた「あなたはロシアのスパイと言われているが」という質問については、夫婦ともども、やれやれという顔で苦笑いをしながらこう言った。「私たちはただ『平和』を取り戻したい、早く戦争を終わらせるために武器の供与を反対と主張しているだけなのに、どうしてそう言われるのかしら?そもそも、同じことを発言しているヴァーゲンクネヒト(左党のドイツ連邦議員)にはスパイだなんて言わないでしょう?」たしかに・・・。
そしてこう続けた。そもそもこの戦争は昨年に始まったことではない。もとはといえば2014年から始まっているのだと。2014年は当時のドイツのメルケル首相とフランスはサルコジ大統領などが仲裁に入ってまとめたミンスク合意が発効した年である。あの頃から、ウクライナ政府は合意を守らず、東側を弾圧してきた。だから今回の戦争はロシアによる「解放作戦」なのだと。そして東ウクライナでロシア系住民と非ロシア系住民が衝突し、その際に起きた火事で数十人が犠牲になったという2014年5月に起きた事件についても、あれは虐殺だったのに正しく報じられていないと憤る。
残念ながら彼女の話が語彙不足なのか意図的なのか、どうしても「平和を望んでいる」主張だけに留まってしまって掘り下げられなかった。だが、まとめれば彼女たちが伝えたいこととはすなわち、現戦争の大元は2014年のミンスク合意が反故にされてきたことであり、その前後で東ウクライナのロシア系住民が虐げられてきたことは報じられておらず(たとえばウクライナ政府の措置により、2014年以降ロシア系住民が年金を受け取れなくなってしまったなど)、ウクライナ政府側はアメリカなど西側諸国の支援を受けて戦争の準備をしてきており、ロシアの侵攻は東ウクライナの人々を解放するための作戦である。しかし、いずれにせよ、これ以上犠牲が増えないように戦争は早く終わってほしい願いから、武器の供与には反対するということである。
東ウクライナで2014年以降に起きていることについての話以外、この主張そのものは、親ロシア派なんて言わずとも、街中にいる人々の話でも聞かれる考えである。さて、この目に前に座っている人たちは本当にスパイなのだろうか? 平和のために活動をしている、ということが、西側の考えではロシアのプロパガンダにされるのは彼らの論理ではそうなる。しかし、彼らはいったい何のためにこんなことをしているのだろうとこちらが混乱するくらい、スパイとはほど遠い感じなのだ。
ちなみに彼女は昨年のウクライナ侵攻以降に続けているデモ活動のために、職場をクビになり、車に傷をつけられる嫌がらせを受けたり、脅迫の手紙やメールを受けたりもしており、裁判所に申し立て中であった。憲法擁護庁がマークしているとはいえ、法的に逮捕に至らない、つまり犯罪行為をしているわけではない人への犯罪行為というのが存在することをあらためて考えさせられる。そもそも犯罪者を裁けるのは法の下のみであり、個人的な制裁は犯罪である。何という矛盾かと、人間の浅はかさに嫌な気分になる。
そんな彼女へ取材チームがこんな質問を投げた。「しかしウクライナに残るあなたのご両親やご家族は、あなたのことを裏切り者と呼んでいるという報道もありますが」。するとさっきまであきれたような笑いを浮かべていた彼女の顔はこわばってキツくなり、大きく息を吸ってからゆっくりと話し出した。
私は2014年からウクライナの家族とは連絡を取れないでいるけれども彼らのことを守りたいと思っている。私の家族はロシア語で会話し、自分たちのことをロシア系の家族と呼んでいた。けれども2014年以降、ロシア系の人々は、私の家族も含めてこのファシストの(ウクライナ)政府を恐れている。彼らは知らないのよ。この戦争は私たち家族を引き裂いた戦争でもある。
インタビュー終了後、彼女たちにとっては不愉快な質問もあったことをわびると、いいのよ、すべては平和のためだから、と手を振って二人は笑った。彼女の顔はふたたびおだやかな笑みが浮かび、またいつか会いましょう、平和を望みましょうね、と言って、私たち取材チームに別れのハグをした。
数日後、書き起こしのためにインタビュー映像の動画を再生していたときのことである。家族から裏切り者呼ばわりされている、との質問への回答の後、私が取材チームメンバーのほうへ振り返って彼女の回答を訳し始めたとき、まだカメラのほうを向いたままの彼女の目がキラキラと光って見えたのに気がついた。そして彼女は隣に座った夫にロシア語でそっと何かを話しかけ、目元をそっと拭い、気を取り直すように表情を引き締めて顔を上げた。
インタビューの間は終始、笑みをたたえた余裕のある様子で、ひたすら平和と停戦を、ロシア側の視点から情熱的に訴えていた彼女が一瞬見せたあの感情は、もし仮に演技だったとすれば即オスカー受賞間違いなしである。
東ウクライナのバフムトが陥落したとロシア側は発表し、ウクライナ側は否定するという5月21日の報道に添えられた写真では、その町は爆撃でボロボロに壊れ、黒く焦げた建物だけが並ぶ廃墟の地になっていた。ロシアがこうして東ウクライナの地を解放しても、解放されるべきであった住民たちはもうそこにはいない。家や暮らしを破壊された人々が感謝の思いを持ってそこに戻ってくるとは思えない。同時に、ウクライナがロシア軍を撤退させたとしても、以前そこに暮らしていたロシア系の人々は戻ってはこられないだろう。社会の中のウクライナとロシアの文化の断絶は深く残り続けるだろう。イデオロギーに振り回されて命を、生活を失うのはいつも庶民である。戦争の報道を日々目にしながら、やはりその庶民のことが忘れられているように感じてしまう。一瞬垣間見えた彼女の涙に、報道には出てこない世界の様々な面を考えさせられるのだった。
写真:©️Aki Nakazawa
ドイツ語でホルンダー(Holunder)という、ニワトコの木の花が咲き始め、周りには甘ずっぱい香りがただよっています。この白い花を煮出した甘いシロップは喉に良いのだそうで、炭酸水で割った飲み物はドイツの夏の風物詩。このところ、やっと気温が少しずつ上がってきて、皆が待ち望んでいた夏がゆっくりとやってきました。ホルンダーの香りを吸い込むと、疲れた心がふわっと癒される気がして、思わず写真に撮りました。戦争はいつ終わるのかなあ。