18歳選挙権が衆議院を通過した。選挙年齢の変更は25歳以上から20歳以上に引き下げられた1945年以来70年ぶりとのこと。20代の投票率は30%近くにまで落ち込んでいるようなので、若者の選挙離れ、投票率の低さの改善につながるといいのだが・・・。「政治的中立」が強調されて、これまでなかなか政治教育が行われてこなかった実態がある。しかし、公職選挙法改正案を与野党6党が提出したところをみると、中立性の確保が維持されるのか、与党に有利な政治教育にならないか等、今後どのような政治教育を行っていくようになるのか、見極めていく必要があろう。
この公職選挙法改正に伴って、18歳場の選挙運動の解禁と、選挙違反をした場合の処罰も適用されるという。高校在学中に選挙運動をしたり、処罰されたりする生徒がでてくる場合も考えられるのだろうか。また今後、18歳以上が成人扱いとなれば、本人同士の同意があれば婚姻届を出すことも可能になる(?)
定時制高校勤務の時は在学中に結婚・出産する生徒もいたが、全日制高校でもそんな日がくるのかもしれない。
婚姻届といえば、今年の4月1日、渋谷区で「パートナーシップ条例」が施行された。異性間の婚姻関係と同等の意味を同性間にも認めて、証明書を発行するというものだ。多様性を認める社会の構築にむけて、大いに歓迎する。この条例について、山田昌弘さん(中央大学教授)が、興味深い視点から社会保障論を述べていた(2015年4月15日付毎日新聞
くらしの明日 私の社会保障論)。
山田さんは「われわれは『家族である人』と『家族でない人』を分けて考える。家族ならば『自分が損をしても相手のために尽くす』と思われているし、家族でなければ、損得で人間関係を考えると思われている。『思われている』ことが重要なのである」とし、アパートを借りるときの保証人は「何かあった場合、その人のために責任をとるはずだと考えるから」であり、病院での時間外の面会許可は「家族ならば心から当人の健康を気遣うはずだとみなされるから」、「住民票を代理取得できるのも、家族ならば不正使用するはずはないと思われているから」だと分析している。
そして、「今、起こっているのは、この『家族』の形と中身がずれていることである。児童虐待やDVなどをみても分かるように、法律上、親子や夫婦であっても、相手のために尽くすどころか、他人以上に害を与える存在になるケースが増えている」と指摘する。この指摘には多少の疑問がある。児童虐待やDVは、何も最近になって増えてきているのではなく、昔からあったのにそれが「犯罪である」と認識されていなかっただけだと思っているからだ。
まあ、それは置いておいて、「思われていることが重要」という視点は、「目から鱗」だった。実際、我が身を振り返ってみて、思い当たる節がいくつかあった。「思われている」だけで、実際は、そうならない場合の家族もいるということを。家出をしてマンションを借りる手続きをした際、まず、「家族」の連帯保証人を求められたのだが、「家族」である母が無職で、しかも年金は年額17万程度しかないとなると、連帯保証人になることはできなかった。(結局、「公務員だから」という理由で保証人なしで認められた)。
いまとなっては笑い話だが、20代の頃、実家から離れたところで一人暮らしをしていて真冬に高熱を出し、部屋で寝込んでいたことがあった。当時、週末は実家に帰ることが常であったが、熱が出て帰られない旨電話で母に伝えたところ、その日の夜、母が電車とタクシーを使って私の部屋を訪れた(母は車の免許を持っていない)。母としては私の看病をしに来たつもりだったのだが、「お風呂に入りたいからお風呂を沸かして」と、高熱でうなされている私に命じるわ、「泊まっていくから布団を用意して」と、一組しか布団がない私の部屋で無理難題を言い、2,3枚重ねてきていた毛布をはいで母用にまわすしかなく、寒い思いをして一晩明かしたかと思えば、次の日、「もう自宅に戻るから連れて帰って」と、熱が下がらない私に長距離運転を命じた。「家族ならば心から当人の健康を気遣うはずだとみなされる」という山田さんの記述を読んで、この母とのことを思い出し、思わず笑ってしまった。そう、「家族」だからと言って、必ずしもその人のために動いてくれるとは限らないし、何かあった場合に責任をとれるわけでもない。私にしてみても、信頼できる友だちのほうが、母よりもよっぽど頼りになる。
「家族」であれば「当たり前」に認められていることが、同性愛カップルでは認められてこなかった。「異性愛の夫婦以上に信頼しているのにもかかわらず、いざとなったときに役に立てな」かったのである。今回の渋谷区の条例は、そのことを可能にした。その可能性を山田さんはさらに広げて捉えている。「日本では今後、大量の独身者が高齢化し、法律上の家族が存在しない高齢者が増えていく。そんな時、性的関係がなくても、お互いが信頼できる友人同士が相互に後見人になり、いざとなったときに備え、最期をみとる」。渋谷区の条例がこのような可能性を秘めていようとは、これまた、「目から鱗」であった。確かにおっしゃるとおりで、「養子縁組」とはまた違った、対等な関係の新たなパートナーとして法的に認められたことは大きい。
また、渋谷区の条例は(性的少数者の人権の尊重)として、第4条に「学校教育、生涯教育その他の教育の場において、性的少数者に対する理解を深め、当事者に対する具体的な対応を行うなどの取組がされること」と謳っている。渋谷区以外の複数の自治体でも、同趣旨の条例が検討されているという。パートナーシップ条例が全国に広がり、将来的には民法改正等にまでつながっていくのが理想だ。そのためにも、まずは身近な主権者教育から始めていこうと思っている。