言葉狩りやら首相野次やら…
さて、今月は何を書くかな~とのんびりまどろむ私を叩き起こすような事件が5月28日に発生。同日の衆議院「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」(←委員会名称だけで既に政治性があるとしか言いようがない。参議院議員福島みずほさんが4月1日の参議院予算委員会での質問につき同月17日に自民党議員から「戦争法案」という言葉の修正を求められたことは記憶に新しい。戦争法案は言葉狩りの対象になる一方、「平和安全法制」が「中立的」なんてことはないですよね)において、質疑中の辻元清美議員に対してなんとあろうことか、安倍首相は「早く質問しろよ」とヤジを飛ばし、発言を妨げたのである(動画参照)。
「自衛隊員のリスクが増えるのではないか」「武力行使の報復により国民にテロの可能性が高まるのではないか」と自衛隊員や国民の命の問題を取り上げる議員の質疑を首相が妨げることの深刻さ。何からどのように語ればいいのか、呆然とする。辻元議員が同日繰り返し、「新三要件が満たされれば、他国の領土,領海、領空でも武力行使ができるのか」と質問したところ、首相は「法理上ではありうる」と認めた。今や、この国は、憲法の平和主義を空文化し、重大な人権侵害を引き起こす戦争が可能であることを前提に、その基準を決めることに突き進んでいる。国の安保ないし戦争法制が変わるという事態に、疑義を丁寧に示そうとする議員を、首相が「早くしろよ」とうるさがり、野次を飛ばす。これはいったいどういった事態なのだ。
そもそも、昨年7月1日に集団的自衛権(←これまた摩訶不思議な言葉…)の行使容認等を内容とする閣議決定を行い、これを受けて安全保障法制や自衛隊の海外活動等に関連する法制を大きく改変する法案を国会に提出しているが、日弁連が指摘するように、憲法前文及び第9条が規定する恒久平和主義に反し、戦争をしない平和国家としての国の在り方を根本から変えるものであり、立法により事実上の改憲を行おうとするものであるから、立憲主義にも反している。
辻元さんが書くとおり、「安倍総理のヤジは、私ひとりの問題ではありません。立法府の委員の質疑を、行政府の長が妨げるということは、三権分立や民主主義の基本がわかってないといわざるをえません。」という大問題なのだ。
6月1日、首相は、野次について、「私の発言に関して重ねておわび申し上げるととともに、(浜田靖一委員らの)ご指示を踏まえて真摯に対応して参ります」と「陳謝」した(朝日新聞6月1日夕刊)。うーん、なんというか、「テンプレート」的な言葉…。何がどう問題だと認識したのだろうか。しれっと軽すぎる。
臆面なしのミソジニー(女性嫌悪)
それなのに首相が野次をした動画のコメント欄は読むに堪えない、辻元さんへの罵詈雑言が続く。内容は吟味せず、単に、「嫌い」「ドアホ」といった空疎な悪口を書き連ねることで、このコメンテーターたちは、スカッとするのだろうか。何を獲得したいのだろうか。国会での熟慮のもとの議論が私たちの民主主義を具現化するというのに、その危機を目撃してうろたえるどころか、罵倒する。哀しすぎる。
ところで、同日の共産党志位和夫委員長の質疑には安倍首相も野次を言わない(当たり前だが)。動画のコメント欄は辻元議員の質疑の動画に比べそもそも数が少ない上、称賛するものばかり。ブロゴス上でも「戦争法制」の危険性が具体的な姿をもって明瞭に浮かび上がった、と絶賛されている(五十嵐仁氏)。
私も、同感である。同感ではあるのだが…。辻元さんと志位さんに対する安倍首相、さらにはYouTubeのコメンテーターの反応の違いには、両議員の質疑の内容そのものとは離れた要因があるのではないのではないか、と考えざるを得ない。
先ほどあげた福島さんへの「戦争法案」という言葉の修正要求もどうだろう。これまで国会で戦争法案という言葉が、使われ続けてきたにもかかわらず、初めて問題視されたのも、福島みずほさんだからではないのか。今までこの言葉を使ってきた議員が男性だったか女性だったかは確認していない。でも、ネット上、辻元さんに対してと同様、虚しくも激越な中傷にさらされている福島さん(たとえばこの動画には、「反日」「朝鮮人」といったヘイト罵詈雑言が恥ずかしげもなく書き込まれている)だからこそ、狙い撃ちされたのではないか、と思えてならない。
安倍首相を歯に衣着せず批判する、それも、女。権力者におもねらず、勢いよく立ち向かう優秀でパワフルな女。女がそんなふうに「活躍」だか「輝く」だかすれば(「男女平等」という言葉がもともと皆無である内閣府のWebページ、かろうじて「男女共同参画」という言葉は残っているものの(だって、男女共同参画局と局の名称であるから仕方ない、という感じか?)、今やむしろ「女性の活躍」やら「輝く女性」という言葉が目立つ)、攻撃され、バッシングにあう、ということが、今回の辻元さんと福島さんの「事件」は示しているのではないだろうか。私たちは、根強いミソジニー(女性嫌悪)の表出を目撃しているのだ。そして、福島さんへの執拗な「朝鮮人」バッシングが示すように、ミソジニーとレイシズムは通底していることにも、気づく。
「すべての女性の輝く…」と称揚されているけど?
あれ?でも、首相官邸はバーンと「すべての女性の輝く社会づくり」とかなんとか打ち出しているじゃないっ、て?すべての女性が輝く、ま、悪くはない。むしろ、こんな意味でなら、大歓迎。有能で真摯な女性議員に言葉狩りとか野次とかせず、真摯に向き合うという意味なら。小林美希さんの『ルポ母子家庭』(ちくま新書、2015年)や、赤石千衣子さんの『ひとり親家庭』(岩波新書、2014 年)、阿部彩さんの『子どもの貧困』(岩波新書、2008年)と『子どもの貧困場K』(岩波新書、2014年)が明らかにする、子どもを抱えながら必死に働こうとしても貧困から脱せない母親たちの努力が報われるような社会にするという意味なら。大和彩さんの『失職女子。』(WAVE出版、2014年)のように失職して生活保護を受給している女子を「自己責任」と切り捨てず孤立させないという意味なら。いや女性たちは別に「キラキラ輝く」ことまで望んでない。貧困や暴力に追い詰められず、尊厳を保ち、子どもを大切に育てていくことが可能な程度に生きていける、そんな社会であればいい。
ともあれ、旗振り役の内閣官房が考える「輝く女性」っていったい何なのだと覗いてみると…。ああ…検索してみて脱力。早速ヒットしたのは、5月に大炎上したツイート。これ外務省IT広報室もリツイートしたとも話題になったっけ。はい、別にキャラ弁を頑張っている女性にケチをつけはしないが(それって本当に美味しいの?とか言いたいことはあるけれど、ぐっとこらえる)、でも、こんなんで女性の「応援」になるかっと怒りのメンションが続いたのは当然だ。あーもうほんと、内閣官房が真面目に「全ての女性が輝く」には?なんて考えていないことは明らか…。しつこいようだけど、民法を改正して選択的夫婦別姓を実現するなんて、内閣官房はツイートしていないしね…(ちなみに、バッシングされる辻元さんと福島さんは選択的夫婦別姓の導入に賛成してくれている)。
でも、でも、いくらなんでも女性の活躍担当大臣であるからには有村治子大臣は何かビシッとしたアイディアをお持ちでは?ん?何なに?5月25日、政府は、「すべての女性が輝く政策」の一環として、国民的な運動「ジャパン・トイレ・チャレンジ」、「快適トイレ」国民運動を始めるって?有村治子大臣自ら「トイレ大臣」と称して「外国人観光客を驚かせたいトイレ美化計画」をたてているって(毎日新聞5月26日朝刊(山田泰蔵記者)、週刊新潮。なお後者を「ありむら治子応援FBページ」はシェアしている)?一瞬「マジ?」と失笑しそうになったが、いや笑っていられない。頭を抱える。だって…。ええっ、まずそこ?そこ…?