キャロル・キングの歌詞がどうしてこんなところに キャロル・キングは時々聴く。やはり定番の「Tapestry(つづれ織り)」。収められている曲はどれも好き。かすれたような、くぐもったような、でもあたたかい声での歌は、ふと繰り返し聴きたくなる、そんな何気ない魅力がある。2010年の日本武道館のコンサートも行った。68歳のキャロルがピンヒールを履いてロックンロールしているのを観て、キャロルよりン十年若いながら健康パンプスしか履けない上に飛び跳ねることもない私は、「どんだけ!」と度肝を抜かれた。 ライブは素晴らしかった。40年以上に渡り強い友情に結ばれたジェイムズ・テイラーとの共演は、お互いを信頼し合っている確信がそれぞれの力となってきたことを感じさせられた。自伝『キャロル・キング ナチュラル・ウーマン』(松田ようこ訳、2013年、河出書房新社)に描かれた、それまで常にサイドマン、わき役として快適だったキャロルが、ジェイムズ・テイラーに、「今夜はリード・ボーカルをとってほしい」といわれたとき驚愕し、恐怖心(自伝を読めばわかるが、彼女は控えめな人なのだ)を抱き、しかし、観客の笑顔と中でも一番の笑顔をしてくれたジェイムズとともに一緒に歌いながら歓喜に包まれていくシーンは、感動的だ。真剣に4人の男性を愛しては破綻して傷ついたキャロルだが、誠実にパフォーマンスすることの大切さを実感させてくれたジェイムズとの友情は40年以上も続いている。素敵なことだ。まさに、You’ve got a friend. Tapestryの中の一曲「You’ve got a friend」はこのアルバムのその他の曲と同じく、しみじみいい。
When you’re down and troubled And you need some loving care And nothing, nothing is go right Close your eyes and think of me And soon I will be there To brighten up even your darkest night 「落ち込んだ時、困った時、目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。 日本語にすると、照れくさくなるほど、何のひねりもない、友情の大切さを実感する、そんな歌詞だが、メロディーとキャロルの声により胸にしみいる。 ええっ?この歌詞を、安倍首相は4月30日の米議会上下両院の合同演説のしめくくりに、挿入した…。東日本大震災での米軍の救難作戦への感謝、「私たちにはトモダチがいました」と。そして、さらに飛躍して「私たちの同盟を、『希望の同盟』と呼びましょう」、一緒に「世界をもっとはるかによい場所にしていこうではありませんか」と高らかにうたいあげた。 ちょっと待ってほしい。孫引きで恐縮だが、松山晋也さんという音楽評論家が本作が71年に発表されたことを見逃してはならないと指摘し、このように評しているという。「ヴェトナムでの泥沼の戦いに疲れ、ラヴ&ピースの共同幻想に疲れ果てた「アメリカ」は、この頃、内省の時期を迎えていた。祭りは終わった、今は一人目を閉じて静かに自分のこと、身の回りのことを改めて考え直したい、と。そんな時代の疲弊した空気が、ここに収められた、人間と人間のつながり、愛、友情といったことを極めてプライヴェイトかつ慎ましやかな視点で述べた彼女の歌に、劇的なまでのリアリティと深みを与えたのだ。」国家の威信をかけた泥沼の戦いに疲弊して、ごく身近な、プライベートな関係の大切さに振り向かせた彼女の歌を、よりにもよって、国家と国家の物語に回収するとは。大義名分をふりかざす一方、根底には、国益を見据えた計算、戦略がめぐらされる国際政治に、この歌をつなげようとするとは、いかにも無理やりではないか。いや、本当に擬人化して人と人との友情と国家観の同盟関係を同視しているとしたら、それはそれで素朴すぎて怖いが。
国外で女性の活躍といわれても それにしても、米議会へのツッコミどころはまだまだ盛りだくさんだ。「米国と、日本のリーダーシップで、TPPを一緒に成し遂げましょう。」とあるが、自民党の公約サイトに「「聖域なき関税撤廃」を前提にする限り、TPP交渉参加に反対します。」とあるが、どうつじつまがあっているのか(聖域少しある、などと誤魔化すのだろうか)。もっとも、2014年衆議院選での自民党「重点政策論集」にはTPPのことばはひっそりと消えているようだ(2012年のそれにはあるのに)。 「人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。」というのも、おっと、女性の活躍促進は、女性の自己実現それ自体でなく、人口減少を反転させる手段なのか、やっぱり、それにしても、古くからの慣習を改めるなら、当然夫婦同姓しか認めない民法750条を改正し、選択的夫婦別姓を導入するんですよね!と思うが、2014年自民党「重点政策論集」にはない、ないどころか、2010年自民党政策集「J-ファイル」には、外国人参政権反対と並んで、「夫婦別姓法案」に反対している(反対派は必ず姑息にも「選択的」を抜かす。別姓を望んでいる夫婦だけが選択できる制度すら認めない狭量さを自認し誤魔化そうとしているのだろうか)。 演説では「紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。私たちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。」というが、この国の首相が普遍的に戦時下で女性の人権が侵害されたというのはまだはやい。「常に傷ついた」というが、「傷つけられた」のであり、「傷つけた」責任をまず認め謝罪しなければならないのではないか。スタンディング・オベーションしたという米議会も、「慰安婦」個人個人の人権侵害より、国益こそ関心事なのだろう。安倍首相が安全保障やTPPでどんな約束をしてきたのか、恐ろしい。
法の支配、人権、自由 演説において「常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつき」が日米間にあるとも言った首相が率いる自民党の改憲案は、人権を「公益及び公の秩序」により制約することとし、和を尊ぶとし、家族は助けあわなければならないと道徳を説く一方「個人の尊重」を「人の尊重」改めてしまい、憲法改正要件を緩和し立憲主義の土台を危うくする上、誰もが公の機関に従わなければならない効果と持つ緊急事態宣言なる条項まで挿入している。 このように改憲してしまったら、「法の支配、人権、自由を尊ぶ、価値観を共に」などしていないことがさすがに外国にもわかってしまうではないか。 そういえば、安倍首相はかねてより押し付け憲法論者であった。であれば、演説の最後で、アメリカは「米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望」とお世辞を言うよりも、「憲法を押し付けやがって」といえる折角の機会だったのに、なぜ言わぬ。内弁慶、困ります。