もの言わぬ教員が増えている。そう思うようになって久しい。職員会議での発言も、言う人が限られている。会議時間の短縮を図るために、会議資料は事前に配られ、会議の前に、目を通すように言われている。「事前」と言っても、一日か二日前。配布されてすぐに目を通さなければ、あっという間に職員会議当日を迎えてしまう。会議の資料も、前年度のものを今年度の担当者が、数字を変えて提案・・・というものが多い。年度だけ変えているものや、担当者名を多少手直ししているものがほとんどだ。たまに、人事異動でいなくなった昨年度の人の名前が残っていたりもする。授業の傍らでそういった雑務をしなければならないのだから、無理なからぬ面もある。
事前に配布されていれば、まだ、目を通す時間はあるのだが、部外秘の重要事項など、会議室でその場で配られる資料の場合(その場で回収されることにある)は、そうはいかない。提案者の説明にあわせて資料をめくりながら、自分の担当する業務や、自分のクラスの生徒が関わる事柄がないか、猛スピードでスキャンする。自分と自分のクラス以外の人の事柄にまで、頭が回らない。時には、A3サイズのデータをA4サイズに縮小した資料まであり、文字の大きさも8ポイントあるかないかの極小だったりする。進みつつある「老眼」を皿のようにして読み進めるのだが、自分の名前と自分の担当クラスの記述を見つけて「すべきこと」を理解するだけで精一杯。
そうして、「おや?」と不明な点があれば、挙手をして質問をする。読み落としはないか、他のページで説明されている事柄ではないか・・・と、その質問が、間抜けな質問でないといいなと、思いつつ質問する。幸い、これまでにしてきた質問は、ほとんどがきちんとした質問だ。毎回の職員会議で、2,3回は質問している。私以外の職員は、滅多に質問しない。みんな、質問しなくてもわかっているんだろうか? すごい理解力だと、感心する一方で、ホントにわかっているのだろうか?という疑問がつきまとっていた。
そこで、先日あった、組合女性部の食事会の時に、思い切って聞いてみた。「職員会議資料、あのスピードで説明されて、理解できてますか? 私は、自分の担当のところで精一杯で、なかなか他のところまで、頭が回らないんですけど・・・」。すると、返ってきた言葉は、「頭はついて行ってないよ」「あの時間じゃ無理無理。あなたは理解してて質問しているじゃないの」「私は、職員会議の時間に理解することを諦めて、後でわからないことがあったら聞くことにしている」等々。
「みんな理解していない」ということにホッとしつつも、それでいいのか?!との思いが強くなる。職員会議で質問が出ないまま、ろくに議論のないまま、後になって問題点があちこちから出てきて、直前にバタバタと変更事項が入ってくる。そういった事態に陥ったことが、これまでに多々ある。会議資料を丁寧に読んでいてその内容に沿って行動していたら、後で突然内容が変更されて、「えっ、いつの間に変更になったの?」と驚かされたこともある。
「職員会議は学校の意志決定機関ではない。校長が決定するための、あくまでも補助機関だ」。と言われるようになってかなりの年月が経つ。この状態はそう簡単に改善されないだろう。職員会議でいつも一人で質問し続けるのもむなしい気分になる。職員の中には、「またアイツが何か質問してる」「やめときゃいいのに」「質問するから会議が長引くのに」くらいに思っている人もいるかもしれない。しかし、やめるわけにはいかない。おかしいことはおかしいと声に出し続けたい。
先日、組合女性部の全県下の委員会があった。そこでも議案書に関して質問をした。質問したのは私と もう一人くらい。私の質問がなかったら、ものの30分で委員会が終わりそうな勢いだった。組合の会議でさえも質問も意見も出てこないのか・・・ここでも「またアイツが何か質問してる」「やめときゃいいのに」「質問するから会議が長引くのに」などと思われているかもなぁ・・・とちょっぴり悲しい気分になりかけていたのだが、隣の席に座っていた、他の支部女性部長が、声をかけてくれた。
その方は、今年度で定年退職されるという。お話を聞くと、私が新採用で勤めていた高校に、同じ時に娘さんがその高校の生徒として通っていたとのこと。まさに、このコラムの最初に話題にした、男女混合名簿導入前夜の高校の保護者だったのだ。そして、その方は、「あなたの発言にいつも元気をもらっていたのよ」と、言ってくれた。自分の発言が、気づかないところで、誰かを元気づけていたなんて、考えても見なかった。これからも、質問していこう。声を上げ続けようと、元気をもらった一言だった。