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ひとりでカナダ大学生やりなおし~アラフォーの挑戦 Vol.8 カナダ社会の家父長制の弱さ~日本との比較を通じて~

橘さざんか2023.05.11

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交換留学での授業・試験がすべて終わって感慨深いです。フルタイム学生であるために最低3ターム(計7.5時間/週)の授業を取る必要があったのと、それに加えて教科書で予習復習と課題提出をし……といってもすべて全力で取り組んでいたわけではないですが、統計学だけは一点集中してよく勉強していました。私のやっている研究は心理学と精神医学の中間というようなところに位置しており、とくに心理学の研究というのは「介入した/しなかった群にその後、違いは見られたか」もしくは、「AとBは関係があると言えるか」を、統計学を用いてyes/noの結論を出すものなので、統計学は必須の知識なのです。これは確実に社会人になりモチベーションをもってから大学生をやり直してよかったと思える勉強でした。学生のときにもやったことはある気がするのですけれど、勉強する意味がわからなくてまったく真面目にやりませんでしたからね。よく試験に通過して進学できたものだと思います。

それでも私は、学校の勉強以上に英語と異文化を学んでいると思います。英語の勉強法はと言いますと、SHADOTENというサービスを使って毎日1分ほどの文をシャドーイングして自分の録音を添削してもらっているのと、Distinctionというネイティブの日常会話に頻出の語を集めた素晴らしい教科書から、知らないイディオムを毎日10個書き出してそれぞれ例文を作り、オンライン英会話の先生の前で披露するということをやっていました。そしてここがポイントなのですが、次の日自分の録音を聞いて復習すること。初めはとてつもなく気持ち悪いですが慣れてくるし、自分の英語の癖がわかって次から気をつけようと思うようになります。
とはいえ30代後半から英語を急に頑張りだした私は、ほかの10代、20代のインターナショナルスチューデントよりもずっと英語が下手です。それでも自分のほかの部分を肯定することで苦手な英語に関しては開き直れるところが、年をとったよさだとも思います。その上、自分の下手英語で質問などすると場を和ませる効果があるなと図々しくも思うなどします。

カナダ人のボーイフレンドを通してスパイのごとくカナダ社会、とくに家族のあり方をのぞき込み、自分とは異なる文化に触れてそれについて彼とdiscussionすることは非常に面白く、この機会に恵まれたことに関して自分は本当にラッキーだなと思います。その中で気づいたカナダ社会の「家父長制の弱さ~日本との比較を通じて~」を、結論ありきで演繹的に語りたいと思います。

面白いなと思ったのは、彼のお母さんが家族のだんらんのときに気軽に「私が夫と出会う前に一緒に住んでいた男はね……」と話しだすことです。日本の母が父親以前の男女関係の話をすることはタブーとは言わないまでも、あまりないですよね。それは女性の処女性を暗黙の裡に男女ともに重視しているからなのではないかと思います。それはお家の発展のために女性を取引する家父長制とつながっているのではないかと思いますが、どうでしょうか。
また、カナダでは結婚しているカップルの両親同士が直接会ったことがないというのも珍しいことではないと知り驚きました。日本では当たり前にとらえていたことも、結婚は家と家のための儀式であるとごく自然に内面化していたからなのだと思いました。

また、私の彼はいい年なのですがいまだにごく自然にパパに甘え、パパもそれに嬉しそうに応えています(歩きすぎて足にマメができたときにパパに車で迎えに来てもらうなど)。日本の家庭だと、父親はできるだけ息子に「背中を見せて育てる」、つまり、よきモデルになろうと努め、息子もそれを感じて「自立した男性っぽく」振舞うようになる傾向があると思います。父親は娘に甘く母親は息子に甘い、というエディプスコンプレックス的な動態はごく自然なものとして空気としてあり、それによってか父と息子の距離は緊張関係にあるように思います。家族によっては父と息子が「一緒に飲みに行く」ことはあろうとそれもまた男同士感が強く、あまりお互い弱みを見せられない関係なのではないかと想像します。それが、男はこうあるべきという不文律を作り、男性の鎧やtoxic masculinity (有害な男らしさ) の伝統につながっていくという私の考察は考えすぎでしょうか。

このように、カナダ社会の表面をスクラッチしている私から見る限り、カナダ社会は日本より社会規範は薄く、縛りが弱いと感じます。一方で、自殺は日本ほど多くなくとも、緩慢な自殺といえるオピオイド中毒やその他薬物中毒が日本より何倍も多いことは、そういった社会規範の希薄さと関係があるかもしれないと思っています(もちろん第一前提としてドラッグの入手しやすさが一番の誘因です)。それは、19世紀に活躍したフランスの社会学者デュルケームの唱えた自殺論による自殺の四分類の一つ「アノミー的自殺」を私に連想させるからです。
アノミー的自殺とは、集団・社会の規範が緩みより多くの自由が獲得されたときに、個人の欲望が膨れ上がり、だがしかし実現できないことに幻滅し、めばえた虚無感が個人を自殺へ追いやるという仮説です。所感としてカナダの人は「のほほん」とゆったりしており「膨れ上がる欲望を追求している」というのとは違うので、カナダではアノミー的自殺が多いはずだと言いたいわけではありません。ただアノミー的自殺のエッセンスについて私はときどき考えており、つまり、日本ではあれだけ嫌だった「社会的規制」も、人が人の形をして生きるために必要な要素の一つなのではないか、ということなのです。たとえて言うならプッチンプリンの型のように。

しかし、私が気づいていないだけでこちらの社会にも規範は複数あるのでしょう。学校は終わりましたがまだあと3カ月ほどカナダにいる予定なので、さらに実地で勉強できたらいいなと思います。

写真©Tachibana Sazanka


試験時期になると図書館の机に激励の手書きメッセージが張られていました。


レイシズム反対がここまで大きくペイントされているバス。日本の政治家に見てもらいたい。


ナロキソントレーニングのワークショップに参加しナロキソン注射をもらいました。オピオイド中毒の人がいたら拮抗薬のナロキソンを筋注することで、危機から救うことができます。

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