前回に引き続き「母娘問題」です。今回は、娘に重くて疎ましいと思われている「母」の側から考えてみようと思います。
たいていの人は「母と娘は女性同士仲良く楽しく一生つきあえる関係でいられるもの」と考えているのではないでしょうか? 母だって、「仲良し母娘」を夢見ていたはずなのに、まさか自分が娘から「母娘問題」の当事者にされるなんて、考えてもいないことでしょう。
今や「母娘」と言えば、「毒母」「毒親」の母に振り回されて苦しむ娘の構図で、「母娘の葛藤」と捉えられています。メディアや書籍の影響もありますが、このネーミングによって自分の問題にうすうす気づいた人たちが、「私のことだ」と自覚し始めて増えていることは確かです。「最悪の母」「困った母」、娘を悩ませるグレートマザーやゴッドマザーがもたらす問題の当事者として。
ただ、気になるのは、親子関係を考えるとき、いつも「母」(女)が矢面に立たされる一方で「父」(男)はあまりにも存在感がないと思えます。なぜ母だけに「毒」が付されるのでしょうか? 以前「鬼母」という言葉もありました。女だけにこんな不公平なネーミングをつけられるのは不当です。そこは、フェミカンなりにジェンダーの視点で母の立場にも理解をもちたいところなのです。
確かに、それぞれ個別の問題には、母親の性格だったり、支配的で過剰な言動だったり、偏った価値観だったりと、葛藤を生み出している要因は実にさまざまに母の側にあることを、母が気づかなければなりません。
なぜ娘との葛藤があるのか、いったい何を娘に言われているのか、自分のしてきたことがどういうことなのか、真摯に気づかなければならないのは母の側なのです。
その一方で、個別な問題が、潜在的なジェンダーの影響を受けている母(女)のとらわれからくることや、女性全体の問題である点にも目を向けてほしいのです。
時代が変わったとはいえ、社会には依然として「母たるものは?、母だったら?」など、女性の家事・育児や子育てのあり方、生きかたに対して厳しいプレッシャーをかける現状や母性幻想は健在です。母として、子どもを産む、どう育てる、その子どもの進路や就職・結婚まで、・・・母(女)は成果を常に求められ、他者の評価にさらされているのです。しかも、もっとも近い他者が「夫」だったりすると最悪です。さらに厳しい評価をくだすのが、実母や義母だったりしたら、それこそ息が抜けませんよね。
そのとらわれにからめとられると、母(女)は自らにジェンダー意識を内面化して苦しい生きかたを選ぶことになるだろうし、母娘問題をもたらすパターンにはまっていくかもしれません。(後述、「娘を苦しめる母親、7つのタイプ」)
女性は産む(不妊を含めて)準備から始まって、妊娠期、出産期、乳幼児期、児童期、思春期、青年期、長~い成人期と、死ぬまで「母」でもあります。
葛藤のない母娘関係を目指すなら、お互いの距離を、どのように、どのくらいとるのが心地よいのか、が重要なポイントになります。関係の持ち方は変えていけるのです。
「どんな母があなたを苦しめるのか?」を考えてみましょうか。
加藤伊都子さんの「娘を苦しめる母親、7つのタイプ」がわかりやすいので、参考にしてみます。(『私は私。母は母』p254より)
① ベッタリ母~大人になれない母と、それを支える娘・娘に頼りきる母と、それを支える娘
② 過干渉母~娘のために何でもしてくれる母、母子癒着のカプセル母娘
③ 無関心母~母親らしい情緒が感じられない母
④ 完璧で重い母~しっかり者で何でもできる母
⑤ かわいそうな母~自分の人生を生きられなかった母
⑥ 残酷な母~娘を傷つける母
⑦ 言うことが矛盾だらけで口うるさい母
「母娘」問題をひとくくりにして考えるのはとっても難しいのですが、どの「母」もどこにでもいそうな「お母さん」たちばかりです。その人たちが、なぜ「娘」を苦しめてしまうことになるのでしょう。
自分が産んで、世話をして育てた娘ですから、「娘のために何でもやってきた」という貢献してきた思いもあれば、「自分はできなかったこともあんたはやれたじゃないか」、という嫉妬や敵対心を持つ場合もあるのです。「あなたのため」と手取り足取り、いろいろな犠牲を払ってでも尽くしてきたという気持ちは、「これだけやってあげた」という恩着せがましさになったりと、母の胸中も複雑であるというのが事実です。
また、母(女)の苦しさを、夫婦間のひずみを、嫁姑のしんどさを、娘だからこそわかってくれる、自分の最大の理解者として愚痴や相談相手として頼ることもよくあります。
「母」の相談からは、虐待的な生育暦や、夫不在の子育て、浮気や不倫、自らの母娘問題を引きずりながらの介護など、さまざまな背景が見えてきます。ジェンダー社会のしわ寄せを受けた人生の中で、精一杯の子育てをしてきた母にとって、娘はもっとも身近で自分を理解してくれる存在だ、という思いは、多くの母に共通するものです。だから、遠慮がないのでしょう。「私のことを分かってくれる娘」は、母を支えて当然とおもってしまいがちです。娘に自分を投影していることがわかってくると、母だけを責める気持ちにはなりません。
母こそが、娘との境界をもっていければいいのですが、実はカウンセリングでもそこが手を焼くところです。娘を手放したくない母は、自分の思い通りになるまで、怒ったり、すねたり、脅したり、泣いたり、かわいそうな自分を嘆いて罪悪感を持たせたり・・・あらゆる方法でコントロールしにかかりますからね。
だからといって、子どもの人生は親のものではありません。そこに気づいてもらうカウンセリングを目指しているのですが・・・。
「母」の自己覚知への道はなかなかに険しいです。