『読売新聞』2014年10月16日付け朝刊一面で、「クマラスワミ報告」についてこんなふうに〈わかりやすく〉解説されていました。クマラスワミ報告とは、つぎのように断定した報告書だというのです。
吉田清治氏の虚偽証言を論拠の一つに挙げたうえで、慰安婦を「強制連行された軍用性奴隷」と断定した。
クマラスワミさんはそもそも、国連人権委員会から1994年3年の任期で「女性に対する暴力、その原因と結果に関する特別報告者」として任命され、世界各国との情報交換、世界会議への参加、各国への訪問調査などを経て、家庭内暴力や共同体内暴力、国家による暴力、その他、インドネシアや、南アフリカ、ブラジル、ポーランド、キューバ、合衆国など各国の女性をめぐる状況について、じつに20以上の報告書を提出しており、日本軍「慰安婦」問題報告書は、そうした膨大な報告書のなかの一つです。〈読んでみよう〉といいながら、じつはわたしもその全てを読んでいるどころか、ほんの一部の、翻訳された四つの報告書(「家庭内暴力報告書」「共同体内暴力報告書」「国家による暴力報告書」、そして「日本軍「慰安婦」問題報告書」を読んだに過ぎません。
でも、クマラスワミ報告がこうした世界各国の女性に対する暴力についての膨大な報告書であり、そのなかで日本軍「慰安婦」問題が一つの報告書として提出されている、ということには、深い意味があると思われます。それは、翻訳されている『国連人権委員会特別報告書 女性に対する暴力』(明石書店、2000年)の一連の報告書の内容(第一章から第三章)を読んだあとで、「日本軍「慰安婦」問題報告書」を読むと(第四章)、家庭内暴力(DV――そのなかに、女性殴打、夫婦間強姦、近親姦、強制売春、家事労働者に対する暴力、少女に対する暴力、性差別選択による中絶・女嬰児殺し、女性の健康に害を及ぼす伝統的慣行が含まれる――)、共同体内暴力(とりわけ、扱われるのは、セクハラ、強かん、売春、女性売買)、そして国家による暴力(武力紛争時の性暴力が中心)の三つが、歴史的に互いに関係しあっていることで、わたしたちには、日本軍「慰安婦」問題が女性に対する人権侵害として受け止めることができなかった、ということが分かるからです。クマラスワミ報告の一部を読むだけで、20世紀後半になるまで、いかにわたしたちの世界の隅々にまで広がる女性に対する暴力(家庭内から武力紛争まで)が、人権侵害として認識されなかったのか、「慰安婦」問題もまたそうした、歴史的に人権侵害、女性に対する暴力だとは認識されてこなかった例の一つ、とはいえ、20世紀最大の人権侵害だと分かるからです。
たとえば、「奴隷」という言葉に関して言えば、共同体における暴力の報告のなかで、「女性は騙され、強制され、誘拐され、売られる。そして多くの場合、売春、家事労働、搾取労働や妻として奴隷類似の状況で生活し働くよう強いられる。女性労働や女性身体の搾取は、国際的女性売買産業をもたらした」とあります(前掲書、103頁)。
安倍首相はじめ、強制連行=奴隷として、とても狭く、というか、もはや国際的に通用しない奴隷イメージしかもってないことが、本書を読むことではっきりします。強制連行=奴隷に拘る態度は、裏返せば、女性に対する暴力を暴力として、あるいは人権侵害として認識できない、認識したくないという意志の表明であると、わたしは考えています。
さて、邦訳書では、第四章として翻訳されている「日本軍「慰安婦」問題」報告書ですが、クマラスワミさんは、「慰安婦」問題をどのように定義しているのでしょうか?『読売新聞』の〈わかりやすい〉解説で、あたかもクマラスワミさんの言葉を引用しているかのように付けられている鍵括弧部分、「「強制連行された軍用性奴隷」と定義しているのでしょうか。邦訳書218頁から始まる、第四章は序文の次に、まさに「定義」と小見出しがつけられ、はっきりとなにが「軍事的性奴隷制」なのかを定義しています。
彼女自身の言葉を引用しましょう。
戦時、軍によって、または軍のために、性的サービスを与えることを強制された女性の事件を軍事的性奴隷制の慣行ととらえている[…](219頁)。
また、つづけて、クマラスワミさんは、日本での調査で日本政府の立場を知っているが(「慰安婦」は奴隷制ではない、という立場――この立場から、河野談話当時、日本政府も吉田証言には左右されていなかったことが推察されます――)、「1926年の奴隷条約第一条(一)に従って、「所有権に伴う権能の一部又は全部を行使されている人の地位又は状態」と定義される「奴隷制」という用語」を、使っているのだとしています。法的な用語は、いかにもわかりにくいですが、自分の持ち物、そして最も重要な身体や自由(意志)を他人によって、一部であれ勝手に使われている状態が「奴隷」と定義する国際法に従えば、「慰安婦」は明らかに奴隷だ、としているのです。
ちなみに、定義という小見出しがついた二頁の文章には、「強制連行」などという言葉は一言もありません。むしろ、定義の最後はつぎの言葉で締めくくられています。
女性被害者は、戦時の強制売春および性的隷従と虐待の期間中、連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐えなければならなかったのであって、「慰安婦」という言葉がこのような被害を少しも反映していないという見解に、特別報告者は完全に同意する(220頁)。
たしかに、吉田証言への言及は、邦訳頁でいえば、総頁48頁の「日本軍「慰安婦」問題報告書」のなかで、たった3行(227頁)。その後、吉田証言の信憑性に疑問を投げかけた秦郁彦博士の反論内容を、10行にわたって記述している。秦博士は、「朝鮮人の親たち、朝鮮人村長および朝鮮人ブローカーたち、すなわち、民間人たちが日本軍のために性奴隷として働く女性たちの徴収に協力し、役割を果たしたことを知っていたことを明らかにしている」と(231頁)。
クマラスワミさんは、およそ50頁の報告書のなかで、16人の女性被害者の方々へのインタビューについては、わずかしか要約できなかったと注記したうえで、彼女がじかに話を聞いた女性たちの証言から、「軍事的性奴隷制が日本帝国陸軍の指導者たちにより、またその認知の上で、組織的かつ強制的に実施されたことを特別報告者に信じるに至らしめた」と述べています(235頁)。
『読売新聞』の記者は、この報告書を読んだことがあるのでしょうか。政府はなにをもって、そしていったいどの記述を削除してほしいと頼んだのでしょうか。
慰安所で毎日繰り返される強かんと虐待、そして、被害者の女性たちは逃げるすべがありませんでした。戦争末期の激戦地でも、彼女たちは戦闘地域の最前線まで連れて行かれました。
クマラスワミさんが秦博士の反論について論じている箇所を再度読んでみてください。誰がどのように女性たちを慰安所に送り込んだかは、問題の核心ではないのです。どこからどのようにして連れてこられようとも、「連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐えなければ」ならない状態は、奴隷状態なのです。
日本政府がそのことを理解しない、日本社会もそのことを見ようとしない、そうであれば、いま現在の日本社会では、「連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐える」状態は、女性にとって深刻な人権侵害ではないといっているに等しいわけです。そして、国際社会はそのことに驚き、クマラスワミさんに訂正を求める現政権は、さらにいっそう、「慰安婦」問題をめぐって日本という国の評判を失墜させているのです。
『朝日新聞』に問題を契機に、信頼ある紙面づくりを呼びかけている『読売新聞』ですが、いかに読者にわかりやすく――安倍政権がいっていることを鵜呑みにして?――聞こえるからといって、クマラスワミさんの膨大な調査に基づいた報告書を、こんなふうに改ざんしてはいけません。みなさん、どう思われますか?