ラブピースクラブはフェミニストが運営する日本初のラブグッズストアです。Since 1996

banner_2212biird

Loading...

少し前の話になるが、3月8日は国際女性デーだった。そしてその国際女性デーに合わせて、ドイツでは女性の比率が多い職種である保育士や医療介護業のストライキが全国で行われた。つまり、保育園は閉鎖。2月末から賃上げを訴えて断続的に行われている公共交通機関や保育園、医療福祉業界やその他各種インフラ業界のストライキはまだ落ち着いておらず、この4週間で保育園は4回、つまりほぼ毎週ストライキによる閉鎖。くわえて我が子が通う幼稚園では、先に予定されていた保育士の研修による閉鎖があって5回。保護者の連絡網チャットではママたちの悲鳴や、ため息の顔アイコンが並んだ。まあ、ママたちが多いよなあ、やっぱり、とそれを見ながら、ロックダウンで保育園の閉鎖が続いたときのことを思いだした。

女性の社会進出が進み、働く女性の権利の改善が進んでいると思われていたドイツでも、2020年春のロックダウンで露呈したのは「なんだかんだ言って、結局は女性に負担が多くのしかかる」ということだった。これはステイホームで家族全員が家にいることになった状況下の話だったのだが、たいていの場合、男性は何もやらないわけではない。でも、ママが子どもにごはんを食べさせている間に吹きこぼれてしまった鍋を見て、遊びに来ていた友人とおしゃべりをしていたパパはこう言うのだ。「でも鍋を見ててって君が言ってくれなかったから」

ちがーう! とそこでツッコミが入る。ママは一家の部長ではない。部下に指示を与えてやらせるマネージャー業はほんとに大変なのだ。そうじゃなくて、自らチームメンバーとして動いてくれないと、指示待ちのパートナーじゃ負担は変わらない、というわけだ。あー、わかるわかる。

さて国際女性デーの日、とある女性ライターが書いた日本の記事を読んだ。それは自分もうっかり息子に「男の子だから」という言い訳をしていないか、という疑問を投げかける内容だった。「男の子だから」「女の子だから」、あれができない、これができる。その何気ない言葉が結局は呪縛となって、女性の立場を苦しくしているものだということに、女性である自分たちが気づくべきだと。あー、これもわかるわかる。

つまり、男性たちがやらない、または指示待ちなのは、それが当たり前だと育てられてきたからだ。「男の子だから」という言葉で家事の手伝いがチャラになったり、うまくできないことが「男の子だから」という言い訳でそのままになったり。

ちなみにドイツでも(おそらく日本でも)、家事ができる男性は昔から一定数いる。料理や掃除、洗濯など、家族の男性メンバーもやらなければ回らない状況だったからなのだろうが、それを見ていると、男だからできない、というのは嘘だと思う。いかにも肉体労働者って感じのお父さんが、料理をしていたりする家庭は結構あって、それを見ていると、時事問題を当然知っている知識層の家庭のほうが意外と、家事は女性のものか、女性も働くなら外注、となっているようだ。それは家事へ割く時間をむしろ勉強や仕事に充てるという専業システムが前提の文化だからなのだが、現代の多くの中流家庭では、家事を外注するほどの経済的余裕はない。となると、そうした文化で育ってきた世代が前述のような現状の問題を抱えてしまっているわけだ。

と、家事分担の例を挙げたけど、この「男の子だから」「女の子だから」の言葉はあらゆるところに潜んでいる。

十数年前のことだが、ドイツのとあるアートフェスティバルに行ったときのこと。カフェで一緒に座っていた一団の中で、電車に乗り遅れそうなのに時間を気にしない夫について愚痴った私に、その場にいた知人女性が「男なんてそんなもんよ」と笑い飛ばした。50代の彼女は大学教授でもあり、キャリアも長い名の知れたアーティスト。サバサバした感じの自立したその年上の彼女の言葉が、私には意外で奇妙に響いて、いまだにそのことをよく覚えている。

学校教師を早期退職するまでシングルマザーで二人の子どもを育てた80代の姑が、「ママと一緒に料理するの」と話した我が子に「“女"が料理ができるっていいわよねー」と軽ーく言い放ったのにもイラッとした。女性としての苦労をたびたび話すわりに、彼女の発言に「女だから」「男だから」がたびたび入り込むのを聞いて、それはまあ息子はこうなるよな、と納得したわけだ……。

こういうことに気がつくと、結局のところ、女性が生きづらい社会を作っている一因は女性にもあるのだと思う。そもそも、世の男性たちの多くは母親たちにそうやって育てられてきたのだから。

だから、もういい加減にこの呪縛を解こうよ。仕事にしろ家事にしろ、何かができる、できないことについて男女の差で言い訳をつけようとする限り、どんなにジェンダーの問題を公平にするルールができても不毛になる。そうではなくて「あなただからできない」と言えばすむ話だ。だって実際には家事が得意な男性もいれば、家事が苦手な女性もいて、それは男女の差なんかではないことはあきらかなのだし。さらに家事についていえば、できるできない、以前に、自立して生きていくには何らかの形でやるか解決しなければならない全員の課題なのだから。

しかし、固定観念の刷り込みはなかなか手強い。我が家では娘には女の子らしさという話もしたことはないし、幼児期の洋服はお下がりばかりだったから娘に似合うと思えば男の子からのお下がりの服も着せた。いわゆるお姫様が登場する本もなかったし、その手の物語を話し聞かせたこともなかった。

けれども昨年のこと、保育園から帰ってきた彼女に、カーニバルのコスチュームは何がいいのかを尋ねたら、「お姫様!」まじか……。3歳児にまだそんな絵も動画も見せたことなかったのに。てんとう虫とか動物系のコスプレかなーくらいに思っていた私は娘の即答にノックアウトであった。いつの間にか、お姫様のヒラヒラフリルドレスが大好きになり、ピンクの色が大好きだと言うようになった娘の変化には、内心驚いている。ジェンダー問題に関して進んでいると思っていたドイツの社会でもこうなるのかと。それでも現代のお姫様は「アナ雪」や「ラプンツェル」のように、自らが闘う強い女性だし、男の子たちも混じって女の子もスパイダーマン! と叫んで飛び跳ねていることがまだ救いだろうか。

そんなことを考えていた先日のこと、娘がこう言った。「S君は今日、ヘアピンつけてきたんだよ。男の子なのにさ」うーむ。実は彼女のこの手の発言は初めてではない。彼女のクラスにはD君という、ときどきスカートを履いてきたり、髪の毛を結んできたりする子がいて、でもその子は好きな格好をしているということなのだからそれでいいではないかと彼女に話して彼女も納得していたと思っていたのだが。「別にいいじゃん、男の子だってヘアピンつけたって。自分が好きならそれでいいんだよ」「えー、でも男の子なのにぃ」「えーとね、あなただって例えばキャッピー(野球帽)が欲しいって言ったりするでしょ? それと同じだよ」男の子のような帽子をかぶりたい自分のことと重ね合わせたからなのか、彼女は少し納得したようだった。

うちは夫も私もこの手のことについては、男の子だとか女の子だとか言ったことはないはずだし、この時代、保育士さんたちがそんなことを言うはずはないと信じているが、周りの子どもたちの発言からの影響だろうか。なんだか問題の根深さに思わずため息をついてしまった。

夫やパートナーや社会の男性たちにため息をつくなら、もうこの言葉は封じたほうがいい。私たちの世代でこの呪いは終わりにしようよと思う私だが、身近なところでうっかりと「これだから男は」と言いそうになってハッとするのであった。ああ、問題はほんとうに根深い……。


写真:©️Aki Nakazawa

とはいえ、男女の違い、というのは、それはそれであるわけで。でも、それを「らしさ」とくくるのは危険ですよね。慎重に考えなければ。でもさ、例えば生理休暇というものがあるのもいいっちゃいいけど、女性に男性にしろ、具合が悪かったら仕事を休む権利がしっかりできているなら問題はないはずなのだけど。女性が生きづらい社会とはそもそも、老若男女関わらず弱者が生きづらい社会なのだと思います。

Loading...
中沢あき

中沢あき(なかざわ・あき)

映像作家、キュレーターとして様々な映像関連の施設やイベントに携わる。2005年より在独。以降、ドイツ及び欧州の映画祭のアドバイザーやコーディネートなどを担当。また自らの作品制作や展示も行っている。その他、ドイツの日常生活や文化の紹介や執筆、翻訳なども手がけている。 

RANKING人気コラム

  • OLIVE
  • LOVE PIECE CLUB WOMENʼS SEX TOY STORE
  • femistation
  • bababoshi

Follow me!

  • Twitter
  • Facebook
  • instagram

TOPへ