20数年前の話だが、女友だちのパートナーが、医師志望であると聞こえてきた。ただ医師は医師でも、女の人たちを助けたいから美容整形医師になりたい、ということだった。それを聞いて私は仰天した。私は娘を産んだ直後で、若い人の応援をできるだけしたいと思っていたときだった。しかし、美容整形医師だけは正直応援したくないし、できないなと思ってしまった。
私は幼い時から大量の注射や何度もの手術をされてきた。そこからくる痛みはあまりにも過酷で、幼い日々の思い出には、穏やかさがほとんどない。曲がった骨を矯正し、見てくれを良くすることが治療とされてきたことに非常に傷ついてきた。だから、美容整形というものが、女性の顔や体にメスを入れて、それを良いことと考えていることに、嫌悪すら感じた。
10代の終わりに障害者運動に出会って、「自分の体は自分のままでいいのだ、他の人からの評価や眼差しに縛られる必要は一切ないのだ」と気づいた。だから化粧することには全く興味がわかなかった。脱毛は、「すね毛が毛深すぎる」とからかわれていたので、数回は剃刀も使っみた。しかし、最後にガムテープを使ったことことで、凄まじい痛みを味わい、脱毛欲の終焉をみた。
そしてそれら表面的なことだけではなく、歩けないなら少しでも歩けるようにしなければならないという治療の一切が、優生思想であると思えるようになった。
美容整形は、「きれいな足できれいに歩く」ということも確かに謳っているから、歩けるか歩けないかも、整形外科だけではなく、美容整形の分野とも言えるだろう。優生思想の根幹には、医療を使って、少しでも障害のない体や顔に近づくこと。それが絶対に正しいのだという強烈な思い込み、意思がある。
その上この社会は、大量消費至上主義を優生思想にプラスして回してくる。特に女性に対して、自分の顔や自分の体が人と違うことを気にさせて、美容整形医療が儲け続けている。
最近、知り合いになった女性が自分の外見をすごく気にして、私に何回もその悩みを分かち合ってくれた。彼女は決して裕福ではないのに、月3万くらい美容クリニックに払って、自分の外見をよくしようと頑張っていた。私は彼女が賢い人であることを知っていたので、美容整形通いの馬鹿馬鹿しさに自分で気づくまで、話を聞いたり、写真を撮ったり、彼女が気の済むように付き合った。
毎週のように私の家に来ては、治療中のところの写真を撮ってほしいと頼んできた。私は戸惑いながらも、彼女の賢さに期待して、写真を撮り続けた。約一年が経ったころ、彼女はついにその馬鹿馬鹿しさに気づいてくれた。いつのまにか、私に写真を撮ってくれという依頼はなくなった。それがあまりにも自然にそうなっていったので、私たちの関係もさらに自然なものになっていた。
しかし、私は写真を撮ってくれと懇願されるたびに、心の奥深くで傷ついていたのだった。私は小学校高学年の時に、治療の成果を見るためということで、手術の後にパンツ一枚になって写真を撮られたことが何回かあった。看護師が「少し胸も出てきたようだから、ブラジャーもつけさせた方がいいのではないでしょうか。」と小声で言っているのを聞いた。それに対して、医者が「そこまでする必要はない」と、私の前で言い放ったのだった。私はそれを聞きながら、屈辱と絶望でいっぱいだった。
私が感じた屈辱感や絶望が、彼女に写真を撮ってほしいと言われるたびに、心の深いところに蘇っていたのだろう。ただ私と彼女はあまりにも違っていた。私は大人から強制されて、心理的にも身体的にも縛り付けられての撮影だったが、彼女は自分で進んで、その「治療」の成果を見たいと思っていたのだった。一年を経て、今彼女が言うには、「あれは治療ではないのに、治療と言い張って、みんながこの『治療』を受けるべきという価値観を押し付けてくるのがムカつく」ということだ。
私は、それにプラスして高いお金を支払っていることにも腹が立っていたので、彼女が内面化されたルッキズムから自由になってくれて、本当に本当によかったと思っている。ルッキズムという言葉もまた、優生思想の兄弟分である。
人間の一人一人の外見は、一人一人のかけがえのないユニークさでもある。にもかかわらず、そのユニークさに対する尊重も信頼もなく、動ける体と見てくれの良い外見だけを正しいとする社会。私たちが自分の体を、自分の気持ちと思考の居場所として大切にするために、美容整形医療という名の暴力がなくなってくれるよう、私は心の底から願っている。