ひとりでカナダ大学生やりなおし~アラフォーの挑戦 Vol.6 カナダで受けたセクハラ被害の顛末
2023.03.16
前回のコラムで同じ大学内で出会った私を含む日本人女性2人が、同時期に、同一人物である学生からセクハラ被害を受けていたことを書きました。
それは明らかに「日本人女性」という属性で選別された上でなされた行為であり、これ以上の日本人被害者を生み出したくないと私たちの意見は一致し、彼に制裁を与えるべく動きだしました。
ここから先は、私たちがとった行動と、カナダの大学側の対応を報告したいと思います。単なる一例報告ではありますが、どなたかの役に立てば幸いです。
まず私は彼(Aとします)と同じ心理学部に属しており、大学院生である彼の同級生がTA(ティーチングアシスタント:MasterやPhDの大学院生が学部生のクラスを受け持ち指導する制度。TAの上には必ず教授がついている)であったため、そのTAにメールをしました。「あなたの同級生(名前は伏せたまま)からセクハラ被害を受けています。どうしたらよいでしょうか」と。
すると翌朝返事が来て、「セクハラセンターの○○さんにconfidential(内密)に話をしておいたので、相談に行くとよいと思う。センターのポリシーを添付しておくね」という内容でした。小さなサポートでしたが、セクハラセンターの〇〇さんにメールをする際の心理的ハードルが少し下がったのでありがたかったです。
次にAを知っている心理学部教授に「あなたも知る、とあるPhD大学院生からセクハラを受けている。どうしたらいいでしょうか。」とメールをしたところ数時間後にオフィスでの面会を提案してくれました。その面会でも結局セクハラセンターに通報するように、という結論になりましたが、「カナダの恥だ」と言って一緒に怒ってくれ、面会内容を心理学部学部長とも共有をすることを約束してくれました。
その後セクハラセンターに通報したところ、こういったケースに経験豊富そうな女性職員さんがすぐにzoomミーティングを設定してくれました。そこで言われたのは「私たちが提供できることは二通りある。一つはカウンセリングなどのあなた自身のケア。もう一つは、公的に通報するステップに進んで副学長に判断してもらうこと」でした。
私ははっきりと、私が望んでいることは私のケアではなく今後の彼の行動を止めることですと伝えましたが、その一方で一度は真剣にお付き合いしていたので躊躇があることや、復讐されることの恐怖、またそのリスクを負いながら通報するほどの被害を受けているのかどうか自分でもよくわからない……などのことを話しました。
すると、「もともとお付き合いをしていた人から性暴力を受けることは全く珍しくないし、あなたが受けた被害は全く”大したことないこと、ではない”」と言われました。それから先は私たち3人でzoomミーティングをし、公的通報にするために文書を作成したのですが、「私たちは英語にdisadvantage(不利な立場)があるから自分たちで公的文書を作るのはとてもハードルが高い。それも含めて私たちは狙われたのだと思う」と訴え、公的文書はスタッフが作り私たちがそれに手直しをするという形に配慮してもらいました。
またそのやり取りの間、私は自分の大学の留学生課のメールをCCに入れるようにしていました。セクハラの詳細を知られるのは恥ずかしかったのですが、本来私が恥ずかしがる理由はなにもないし、できるだけ多くの人を巻き込むのが大切だと思ったのです。
約一カ月後、副学長から文書が届きました。検討の結果、彼に課されたのは男性メンタルヘルスや同意に関するオンラインエデュケーションと、セクハラセンター職員との面談、反省アクティビティ。制裁というより教育の方向に手を差し伸べられているのがわかります。約一カ月半後の今日、「終わったよ」という趣旨のメールが副学長から届きました。
今回私は一人ではなく、もう一人の被害者とともに手を取り合えたことはとても幸運でした。心強かったし、自分の通報が近くにいるもう一人、ひいてはより多くの人の助けになると思えたのでその正義感が推進力になりました。また沢山の人に適切な支援をしていただいたので、今後自分が支援をすべき時のお手本になったなと思います。
彼は前途多望で英語が堪能な大学院生、対する私たちは英語を使い始めたばかりの短期滞在の交換留学生。引きでみたら小さな格差でも、それにより弱い立場にいることが体感させられ、袋小路に入れられたような気がして怖かったです。
こうしてハラスメントというものの本質=弱いものいじめを痛感しましたが、その構造がわかっていない人が世の中には多い気がします。
もっと周知させたいんですけれど、どうしたらいいんでしょうかね。
格差がない、マイノリティがいない社会というのは無理だとしてもその格差の上側に立った時、下側に立った時と、それぞれの身の振り方の教育というものがもっとあっていいのではないかと思います。
とはいえ私も、とても優位な立場に立った時にサディスティックな気持ちになったことがありますし。条件が整えば誰にでも起きるのではないかとすら思います。
海外生活はエキサイティングで最高ですけれど、マイノリティ性というものの取り扱いを考えさせられる場です。私は今はとっても元気なのでみなさんご心配なく~。
写真©Tachibana Sazanka
plan-B;NYで黒川アンネさんと独立系本屋巡りをしました。