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幸せな毒娘 Vol.15 被害者からサバイバーへと⑤ 夢と現実 (上)

JayooByul2023.03.24

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時間が少し前後してしまいますが、私は中国に留学をしていたとき、ある趣味がありました。それはコスプレです。声優という新しい夢が出来て、その声優さんが演じていたキャラクターが好きになり、そのキャラクターになりきってみたかったのです。当時の韓国では、ほぼ毎月のようにコミケが開かれ、そのうち夏休みと冬休みのイベントが最も大きかったです。それで私は、私が一時帰国する冬休みと夏休みをメインに活動をするコスプレチームを作りました。そのため大体はネットでしか活動をしないチームになってしまいましたが、私が作ったコミュニティーはいつの間にか33人まで増え、私たちのネットコミュニティーの中で絵を載せたり、声を録音して声優さんの真似をしたり、歌を歌ったりと互いの絆を深めて行きました。

顔の見えない空間で、チームの中の数人は心の中の話を全て打ち明けられる関係にまで発展していきました。そのチームの結末はあまりよろしいものではなく、今は誰とも連絡を取ることがなくなりましたが、そのチームでの経験は「一人でも多くの私のような被害者に希望の声を届けたい」という私の夢を強めるのに十分でした。お金持ちのお嬢様だった子も、貧乏で生活に苦しんでいた子も、家族からDVされたり、レイプされたりと、皆それぞれの苦しみを持っていたからです。

中国の留学を終えて日本留学を準備していた時期には、「日本は韓国人への差別が酷いから、英語喋れた方が舐められないよ」という母のアドバイスでオーストラリアに短期留学もしました。父も母も私には常にお金がないとしか言わなかったので、どうしてオーストラリアに留学させるという結論に辿り着いたのかはわかりませんが、今思うとそれが私とオーストラリアとの初めての縁であり、親からしてもらった最初で最後である最高のプレゼントだったと思います。

17年前のオーストラリアはシティから少し離れるだけでも同じアジアンに出会うことがなく、今と比べればまだ人種差別も多く残っていたのですが、正直その後日本でされてきた差別と比べれば些細なものだったと思います。その差別問題についても今後お話ししたいと思いますが、オーストラリアとの出会いに関しては時間の流れの理解のために触れただけなので、今回は日本で遭ってきた「性犯罪」だけについて語らせてください。

最初日本で性犯罪に遭ったのは2008年、18歳の頃でした。日本の語学留学を始めたころはアニメを沢山見て来たお陰で少し聞き取れることは出来ても、殆ど喋れませんでした。そこで私と一緒にルームシェアをしていた同じ学校の知り合いにあるサイトを教えてもらいました。その姉さんはそこのサイトに友達募集の投稿をすると日本人からのメッセージが沢山来るので、日本語の勉強になるし、毎日直接会って遊ぶことも出来ると言いました。サイトの名前はハッキリと覚えていないのですが、日韓の文化交流が目的なとても健全に見えるサイトだったので私も何も疑わずサイトに会員登録をしたのです。確かに、一回の投稿で沢山のメッセージが届きました。中には色恋のようなメッセージもありましたが、一見普通のメッセージも沢山あったので最初はとてもワクワクして楽しかったです。

私が日本より保守的な韓国から来たせいもあるかもですが、高校を卒業したばっかりの18歳という歳はまだまだ純粋で物事が分からない歳です。韓国でいろんな目に遭って来たけど、それは私の運が悪かっただけ。世の中はそんな汚くて悪い人ばっかりいるわけではない。韓国から逃げて来たんだから、新しい世界にはきっと沢山の新しい人たちがいるはずだと、そう思っていました。なので、旅行が趣味で韓国の文化にも興味があり、美術館や水族館巡りが好きだという――気が合いそうな40代半ばの男性と動物園に遊びに行くことにしたんです。

今思うとよくもそんな危ないことをしたなぁと思いますが、当時は男だからって警戒したり、疑ったりすることはよくないと思っていましたし、その前にこの世は良い人の割合がもっと多いと希望を捨てずにいましたから。だから、ただの年齢で人を差別しない、本当の友達を求めてそういうサイトに訪ねてくる人だと信じていたんです。長女として育ちそもそも誰かに何かをしてもらうことにかなりの抵抗があった私は、平等な友達関係でいたかったので、二回目に会った時はきちんと食事代も半分にわけ自分の分を払いました。そうすると「ビョルって本当に本当に良い子なんだね」と、なぜか褒められました。それからその男の態度は徐々におかしくなっていきました。頭を撫でたり、私を見てくる目が何だかおかしかったりと。本能的に危険を感じていたのか、私は何か嫌気が差しその人とはその日を最後に一切メールに返事をしませんでした。

そうすると、その男は毎日何回も他愛ない話を送ってきて花見に誘ったり、私の留学生試験についての情報を長々と送ってきたりと、余計な心配までしてきたのです。もちろん留学生試験に関しては当事者である私が最も知っている事だったので、その男に世話になるつもりは一切ありませんでした。それから数日後、それでも返事をしない私にその男はいよいよ本性を出して来ました。

「I will break your virgin this week」

と、わざわざ英語で書いた短い文章と、マスターベーションの途中だと思われる本人の醜いペニスが映ったデカい写真が添付されたメールを私のパソコンと携帯どっちものメアド当てに送り付けてきたのです。心臓が狂ったかのようにドキドキしました。その男は私の最寄り駅まで知っていたので、もしかして待ち伏せされたらどうしようと毎日が怖くて体が震え、涙が出てきました。母に言ってもたいしたことないかのような態度をされ、誰にも頼ることが出来なかったので警察に行くことにしました。

当時の日本の警察署は保安のためと言いなぜかネットが繋がっていなく、全ての写真やメールの証拠を家で一々スクショしてまた戻るなど、通報にはかなりの手間が掛かりました。英語が分かる人もいなかったため、あの文章を自分の口でどういう意味かと説明しなければなりませんでした。多くの男の警察官の前でその文章を自分の口で言うことはとても羞恥的で、顔が真っ赤になりました。しかし私の説明を聞いた警察は「それってただの冗談じゃないの?」と、慎重に受け取って貰えなかったのです。出会いの経緯を説明すると、「二回も食事に行ったのね。それじゃあデートだと思われても仕方ないよな」と私のせいかのような言い方をされました。そして「あなたは今18歳、未成年だから、この人は未成年者特別保護法違反*で、もっと重い罰を受けることになるよ。逮捕されるけど、本当に進めたいの?」と再度聞かれました。日本語が流暢でない私のために手錠をかけられる真似をして見せてくれました。それを言われたら、私が小さいことで相手の人生を壊してしまうのではないか、と一瞬戸惑いがありましたが、だからって私がずっと怖い思いをするまま過ごすわけには行かないので、思い切って「はい」と答えました。それ以上は警察たちも何も言わなくなりました。

*青少年保護育成条例の事だと思います

それが警察署での最後の会話だったので、私の被害届がちゃんと出されたかは分かりません。警察にされたことは罪悪感を被害者に転嫁する立派な二次加害ですが、そのころの私はとにかく日本が大好きだったのでそこまで深く考えていませんでした。怖がる私をパトカーで家まで送ってくれると言った警察官たちは実はとても優しい人たちなんだなぁと思いながら、4カ国語も喋れて将来何になりたいか?という彼らの質問に「私、日本が大好きだから日本で誰かに役立つ仕事がしたいんです!」と無邪気に答えていました。

それ以来、警察から連絡が来ることはありませんでした。その人はちゃんと捕まったかな?と不安でしたが、私に出来ることはありませんでした。数日後、私は念のためその男に「もう一度メールしたら、警察に通報しますよ」とメールを送りました。それは警察が何もしなかったときのための、私を守るための最善策でした。その男からはよっぽど焦ったのかすぐ空メールが返ってきたばかりで、それ以上メールが来ることはなくなりました。が、返事が来たと言うことはもしかしたら警察からの連絡が一切なかったのかな?と不安になりました。メールストーキングは幸いこれで終わりましたが、その男は本当に捕まったのでしょうか?

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JayooByul

JayooByul(じゃゆびょる)

JayooByul (ジャヨビョル)日本のお嫁さんとオーストラリアで仲良くコアラ暮らしをしています。堂々なるDV・性犯罪生存者。気づいたらフェミニストと呼ばれていました。毒娘で幸せです。

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